他人の推しなのだけれど、『ジョーカーゲーム』を観に行くこととなり、観てきた話をしたい。
アニメも見ていなかったし、本は買っただけで何にもしていない。
つまり、何もしていないにも関わらず、観に行ってしまったのだ。
がっつり内容に触れているので、これからDVDなどで観る予定があり、バレを親の仇くらい憎んでいたらブラウザバックをお勧めする。
そういえば、西田D輔氏にしては上演時間が短かった。2時間15分、アイアでも臀部シックスパックは避けることができそうだ。
一幕は佐久間中尉が中心のサスペンスで、二幕は三好の持っていたはずの「協力者のリスト」とそれを取り巻く人々の攻防だった。
二話連続で見たかのような感じで、一幕二幕でだいぶ違う印象を受けた。
ビジュアルの暴力
まず背広アンドタバコがめっちゃかっこいい。D機関の面々は全員背広にタバコで非常にセクシーだ。これでこそ第一次世界大戦後である。
そしてポーカーのシーン。背広、タバコ、ポーカーである。背広に、タバコに、ポーカーである。
一幕ではそれに加えて、スパイ容疑のかけられた米国人の屋敷に乗り込む際に、憲兵隊の制服、すなわち軍服を着る。D機関は諜報機関であって軍属ではないから彼らは軍人ではなく、軍人的価値観を嘲笑いながらも、それでも軍服を身に纏うというなんかその背徳的な感じも魅惑的だった。
推しも昭和やってることにはやってるけど、あれはタートルネックだし……。
慣れ親しんだスパイとの違い
殺人、および自決はスパイにとって最悪の選択肢だ。
平時に人が死ねば、必ずその国の警察が動き出す。
ーー結城中佐
ぶっちゃけメサイア育ちの私たちには初耳だよ。弾丸が頭かすめて川ポチャじゃどうも話はまずいらしい。
そして何より、彼らには救世主がいない。
「三好のメサイアになりたいーー」
と、思ってしまう。
彼らはたった一人で、異国の地でその場所に馴染み、生き、疑われずに任務をこなさなければならない。もちろん救いなどなく、自分の決断だけが自分を救う。
こんな残酷なことがあるかよ。三好のメサイアになりたい。
メサイアがいたら、三好が死なずに済んだのかっていうと、多分そうじゃない。死因は列車事故のせいで腹部鉄骨貫通なら助かるには賢者の石でも無いとダメだろう。鋼の錬金術師読んだことある?
でも私はメサイア出身だから健気に「知ってる〜〜これ死んでないやつ〜〜。アレでしょ? 偽装でしょ? 鋭利でしよ? 知ってる〜〜最終的に敵方に潜入してるやつ〜〜」って思いながら観てたのに、三好が病院のベッドに寝かされており結城中佐が手でそっとまぶたを下ろしてあげたので、「死んでた……」と思った。
で、よくよく調べたら書いてあった。
役が決まったときのことを鈴木は、「あっ、死んじゃう人の役だなって思いました。舞台をする上では形作っていくには、非常に難しい役だなって。演出の西田さんと決めていこうかなって思いました」と、挑み甲斐を感じたのだとか。
http://edgeline.tokyo/wp/2017/05/03/舞台「ジョーカー・ゲーム」ゲネプロ開催!鈴木/
しかも普通にアニメのキャラクター紹介にも書いてあった。
三好の死が避けられないものと知り、昨年各所で死にまくっていた勝吾氏をまた喪った。
二幕の演出がかっこいい
一幕では割と西田Dみが抑えられていた。
だが二幕はだいぶ西田Dみがある。
ぴゅんぴゅん時系列が飛んだりするのも特徴だと思うのだが、一幕はそれがなく完全に一つのストーリーに沿う映画のような作りで、二幕は逆にそれがあるからこそ「事実」と「推理」と「現在」が混在してスパイアクションという感じがする。
例えば暗転と見せかけて懐中電灯であたりを照し出したりも、背景をスクリーンにして映像を映し出すのもだいぶ「ぽい」と思う。
三好が最後にステージを去る時にも懐中電灯を使うのだが、その時背景にあるアルファベットが「joker game」に照らされるのがアニメ感ある。アニメ見たことないけど。
一幕の感想も言う
もう完全に私の深読みでしかないんだけど、一幕ではポーカーとみせかけて「ジョーカーゲーム」に興じ、ただのポーカーだと思ってた佐久間さんは買収と騙し合いという「ジョーカーゲーム」の本質を教えられガン切れする。
で、その佐久間さんが憲兵隊として米国人(ゴードン)宅に乗り込み、そこでその米国人が盗んだ機密書類の隠し場所というカラクリを佐久間さんによって暴かれる。
D機関の面々にとっては簡単なことだったと思う。D機関的、諜報員的発想を持っていれば、簡単な答えだったはずだが佐久間さんは軍人的価値観の持ち主だ。だがそれをあえて佐久間さんに言わせるというD機関のある種の洗礼という側面、そして家宅捜索されたゴードンからしてみれば佐久間さんの指示によって暴かれることになる隠し場所という見え方。三好というプレイヤーによって提示される佐久間さんという「ジョーカー」、すなわち「切り札」である感じがかっこよかった。
「ジョーカー」の佐久間さんは番外の札らしく、一幕ラストにD機関から去る。そうやすやすと、切り札は使えないよね。
佐久間さんめっちゃ主人公
一幕は佐久間中尉がD機関に馴染んでいく、ある種の成長を描いていたと思うのだが、まずその様がとても主人公。
二幕はほぼ出てこないのだが、D機関の面々がそれぞれの任務を終えて帰国した際に、一幕で戦地に送られた佐久間さんも、一員としてカムバックしてくる。
本来三好が居るべき場所を照らすスポットライトを見つめながら近く足音が、もしかしたら三好なんじゃないかって期待してしまう。三好が帰ってきたんじゃないかって。死んでるのに。
佐久間さんはそんな期待を歯牙にも掛けず、颯爽と現れて三好が立つべきその場所に立ち、軍人らしく(佐久間さんらしく)帰還を告げる。
あれだけ三好と反目していた人が、三好の立つべき場所で自分らしくあるって言うのは、胸に迫るものがある。
三好のメサイアになってあげてよ……。佐久間さんが三好を救うことができたなら、三好は死ななくて済んだかもしれないじゃん……。列車事故だからどうしようもないけど。
お笑いシーン
別にいらないと思うんだよね。オラキオさん普通にお芝居してるだけでも存在感あるし、まあ西田D氏がやりたいならやればいいんだけれど。
ジョカゲだかどうというわけではなくて、例えば板の上の役の、キャラクターとしての素が、日常パート垣間見えたりする時に少し笑えたりとかそういうのは好きなんだけど、シリアスなところにぶち込まれるのは「別に無くてもなあ」と思う。
と、まあこんな感じで楽しい舞台だった。
最後に結城中佐の名言に触れておく。
女は必要もないのに殺すからだ。愛情や憎しみなどといった取るに足らないもののためにな。
ーー結城中佐
メサイアのことかな?
混同してるのは私だけかもしれない。
メサイアの持つ熱さや感情はジョカゲでは全く役に立たないというか、まさしく別物って感じだ。
仕組み、情勢、思考、最適解。まさにハードボイルドな舞台だった。こんなに違うものかしらね。
完全に余談なのだが、三好について評する、三好が潜入していた際の隣家の人の言葉として、「美男」というのが出るのだが、そこで「んんんんんんん〜〜〜〜」みたいな喜び方を内心ではしていた。
なんかイケメンとかハンサムより美男って褒められてると「そ、それだ〜〜」ってなりませんか。
なるんだ、私は。
またメサイアメサイアうるせえなってなってるのはひとえに悠久のせいで、「こんな日が来ると思わなかった」とは一体何、どんな日が来たの。
「こんな日がくると思わなかった」
一体どんな日なのでしょうか。
動き出す悠久 | 井澤勇貴オフィシャルブログ「yuu-style」Powered by Ameba
有賀にも分からないこと私に分かるわけないね。
終焉も悠久も果たして白いのだろうか。空白の中に漂うだけじゃ、きっと幕は降りないよねこっわ。
日の当たる場所で生きることもなく、死ねもせず、産まれてから今日までずっと曖昧な社会のグレーゾーンをたゆたって来た有賀さんにも、人間らしく望むものがあるなら、それを手に入れて欲しいと思う反面、
そこに間宮がいないことも、サクラが人間らしく生きていけるはずがないことも知ってる私たちはどうしたら良いのだろう。
はー、つらいね。
有賀の幸せに、せめて加々美が寄り添える未来が来ることを祈りつつ。
すべてをやりきった三好が、安らかに眠って、出来ればD機関のみんなでワイワイしている番外編があるならそれを紹介して欲しい。