サニーサイドアップフォーチュン

映画、特撮、演劇、ダンスボーカルグループ

『モマの火星探検記観』感想

モマの火星探検記観てきました。

 

びっくりするくらい泣いた。

原作未読、初演未見。八割がたポエム。

 

照明

すごく綺麗だった。まず最初から星空が後ろに広がってるのがときめく。星は好きだ。

夕暮れのオレンジ、不穏な赤色、クレバスの底から見える深い青、記憶と現在の境目のセピアみたいなそういうコロコロ照明の色を変えてく板の上が本当に綺麗。

最後の方に光が上から降ってきて、本当に満天の星空になるところがあるのだが、息を飲むくらい美しい。電気のための配線コードと、そのコードの先で点灯してるLEDってだけなのに、暗闇の中で光るだけで星空に見えて、役者が演じて宇宙だと信じられる。

人による科学と大いなる地球という関係が、あの星の光に集約されているみたいだった。

 

衣装

すごく可愛い。ハンガリーの伝統衣装のような 、スペインのマタドールのような、童話みたいに可愛い衣装でフリルと袖を揺らしながらみんな演じている。すごく可愛い。

 

音楽が配信されている。楽日までなので気をつけて欲しい。

ノスタルジーであり、劇伴としての盛り上がりを備えている。映画ともアニメともつかないその感じが、耳馴染みが良い。

何より多用されたベースラインの音がスピーカーから響くたびに、胃の底を揺らし心臓を掴むあの感覚がいい。爆音に身をやつしたことがある人間の、心地よい空気の感覚があった。

 

セット

展開はない。アマテラスのように釣り物が降りてくることも、吉三のようにセットが多いこともない。シンプルなストーンサークルだけだ。

それは岩であり、門であり、扉であった。

照明が時間を示して、舞台の段差が空間を区切る。すれ違うように別の時間軸が、場所が同時に展開されて場面展開のストレスが少ないかもないと思った。

別の方の舞台で申し訳ないが、もふ虎の語りと回想のような、一連の流れを見ている感覚。語り、回想し……を段差で区切るあの感じ。

劇中の言葉を借りれば「繋がっている」ということなのだろう。

 

ストーリー

これもまた申し訳ないが、原作未読であって何がどう表現されているのかを知らない。

どこまでが原作で、どこからが舞台なのか。

ぴーぴー泣いた。この作品において、隠された事実というものはほとんど存在しない。誰が父で、誰が子か。よほど鈍くなければ幕が上がってすぐわかる。

だからたぶん、この作品にそんなことはどうだっていいということなのだろうと思う。

隠された事実が明らかになる衝撃なんかではなく、ちゃんと繋がっていた(いる)ということが初めから提示されている。

モマがたどり着いた結論があまりにもロマンティックで最高だった。

温暖化で海面は上昇し続けているし、資源を巡って戦争はなされたまま。決して物語と言えど夢物語じゃないのが、ロマンを追う彼らと対比される。綺麗なだけの夢など存在しないんだろうと思う。

 

演者さん

観終わったあと「矢崎氏、鎌苅氏……結婚おめでとうな……」という気分になる。

鈴木氏が見た目とてもブリキのロボットなのだが(アンドロイド、と劇中では表現されていて実際の働きは恐らくロボット)とても可愛らしいし、クライマックスとても泣ける。

谷口さんと子役スティンガーのシーンも大号泣。

 

 イリーナの気持ちを、もっと掘り下げるもの良かったのかなと思う。というか私の理解力問題なのか。何故ユーリたちのロケットを見届けようと思ったのか。それはモマへの恋情だったのか、父を想ってなのか、ユーリへの母性なのか、それとも奥底に眠る憧れなのか。あるいはその全てなのか。

 

 

原作読むかぁ。

良い舞台だった。

 

『東京喰種』感想

東京喰種見てきました。

原作未読、アニメ未見、初演未見、ウィキペディアすら未履修で、つまりは全くなにも知らないまま観に行った感想がこちら。

 

・アニメみたいな映像

オープニング、アニメみたいな映像だなと思った。すぐウユニ塩湖にするところとかピクシブでよく見る光景だと思っていた。

 アニメだった。

あと凛として時雨みたいだと思ったら凛として時雨だった。

映像流れる前の金木くんの独白のさらにその前、その時に流れた曲がすごく良かったと思った。

 

・「食人」という行為(ストーリーの話)

デュルケムは「犯罪行為が存在していること」は「犯罪の存在しない社会がない」故に、「正常な状態」だと述べている。

これがいわゆる、「聖人君子の犯罪」だと思うのだけど。

社会(われわれ)が犯罪であると糾弾することによって犯罪が生まれることから、犯罪のない社会とは、ある行為を「犯罪だ」と区別する基準や価値観が存在しない社会であると言える。一種の「未開状態」、未開社会の文化背景についてはレヴィ=ストロースが論じたんじゃなかったっけ。

反社会的行為も、社会(われわれ)が反社会的だと決めているだけであって、社会から生み出された行為だ。

何が言いたいのかと言うと、喰種にとって共喰いとは犯罪行為に当たるのかどうかがわからない。マダムAは共喰いを忌避するように怒って見せていた。それは喰種としての倫理観において犯罪だったからなのか、それとも騙されたが故の怒りなのか。

人間側から見れば食人という行為は犯罪だ。それは人間の倫理観によって規定された犯罪であって、喰種の倫理観ではただの「食事」ーー犯罪ではない。

喰種の社会において犯罪とはなんなのか。共喰いが罪であればそこ(喰種の社会)には秩序と彼らなりの倫理観があったと言えると思う。

で、なんでこんなこと言いだしたかと言うと、こういう作品は確実に狂ったやつが出てくる。狂ったやつがシリアルキラーさながらの謎思考回路で狂った自分の正義を振りかざしてくる。レヴィ=ストロースはどんな未開社会にも文明があると論じていたような気がするが、秩序ゼロ、倫理ゼロで果たして社会と言えるのか。

喰種であったとしても理性を持つ以上社会的な動物であり、そして人間というマジョリティに狩られる側(っぽい)以上共同体を構成することが一つ手段としてある。ウェーバー曰く「国家は暴力装置」、一人で殺し回れば殺人者、組織で力を振るえばそれはレジスタンス。ノー倫理、ノー秩序でそんな共同体を作れるとは思えない。

故に、すぐ絶滅しそうな種だと、観てる間ずっと思ってた。

あんまりストーリーが好きじゃない。

 

・中二の時読んだラノベみたいなバトル

肉弾戦メインに見えたから地味な絵面だなと思ってたんだけれど、意外と特殊能力出て来てプロジェクションマッピング〜〜って思った。

トーカのカグネ? がなんか羽なのとか「わかるヒロインの特殊能力は羽だよね」って思った。

 

・錦がチョロい。が、どう考えても錦が一番魅力的

錦が「お姉ちゃん」って言いだしてからだんだん成長していく様が、月並みだがすごいと思った。インフェルノでリッカの子供時代をそのままアフレコしてた時の、あの会場の微笑ましい雰囲気は一切無く、ただただ「お姉ちゃん絶対に死ぬやん……」という虚無感がジワジワと悲しかった。

で、そんなことがあって、人を殺した錦が、貴未に心をあっさり開いてることが心配である。錦が優しすぎる。そんなんじゃいつかその優しさにつけ込まれて錦は傷つくと思う。

おばさんは心配です。

あとヨモさん?も「もっと強く止めておけば」とか言ってたけどほんとに止めてた?

漫画特有の詰めの甘い登場人物に不安が募る。

錦はどう考えても大人気キャラだと思うのだけど、どうだろう。金木くんがどういうつもりで行動してるのかが私には分かりづらくて、その反対に錦は分かりやすくて魅力的だ。錦が幸せになれる世界が来たら良いと思う。

 

・月山どうした

アニメもあんな感じなの? と途中から不安に襲われていた。めっちゃ歌うけど?

あとなんかこの変態のキャラクター、変態と思っていいのかわからなかったんだけど、みんな金木くんの「変態!」に笑ってたから良いらしい。

あと月山、人間の食べ物食べれないくせに人間の書いた食事への渇望の文章諳んじまくりだったし、人間になりたいのかなぁ(妄想です)。

なんにせよヒデ様お疲れ様です。

 

プロジェクションマッピングとセットと衣装チェンジ

プロジェクションマッピングとっても綺麗だった。ステンドグラスやカグネの表現が、ナルステーープロジェクションマッピングというある種の工夫でこそ出来たことなのだろうなと思った。

衣装替えが多いのとか、その衣装が久々の現代劇であるが故に地味なところとか、なかなか新鮮だった。貴未の靴の色、あれで正解なの?

血が流れる、というのも生々しくて良かったと思う。見慣れた殺陣の舞台で血を流す事ってそうそう無い(真剣必殺くらいかな)し、想像で補うのではない「血を流す」「傷つく」という表現が、生と死、喰べる喰べられるということを生々しくしてるんだろうなって思った。単純に、流れる血を見慣れてないからギョッとする。

 

・ゴミ箱の蓋

サンドイッチを頬張った金木くんが、カウンター裏に駆け込んでゴミ箱の蓋を開ける。程なく音がする。吐き出した音が。

トーカはヨリコの料理を食べ、みんな水を口にする。コーヒーの匂いがする。

喰べる作品であるからして、食べる描写に手を抜かないところがすごいなと思った。

舞台の上は客席とは隔絶されてるはずなのだが、ミートボールにしろ、ペットボトルの水にしろ、サンドイッチにしろ、コーヒーにしろ、日常的なものがそこーー即ち舞台の上にあるということが、食べるという事を考える要因の一つになる。と思った。わからんけど。

 

勝吾氏演じる錦が魅力的だったのと、カテコの挨拶でクソ長いサブタイトルを流れるように読む松田氏がスゲェと思いました。

 

ベートーヴェンの『月光』を戦闘シーンに使っていた本舞台に、最後にこの言葉を贈ろう。

月も出ていない、死者の脂が燃えて雲底を紅く照らし出す地獄のような夜には、皮肉としか言いようのない美しい曲だ。

p55『虐殺器官伊藤計劃

インスタ画像はなし、感想薄め。書き直すかもしれないと思いながら多分書き直さない。

これからいろんな人の感想を読むのを解禁です。

『刀ステ暁の独眼竜』感想

最近タイトルに凝るのがめんどくなった。

 

昨年からずっと黙ってたことがある。

まあ聞かれたら答えたり、そもそも協力体制敷いてた人もいるから今更なのだけど。

 

刀ステのことだ。

舞台 『刀剣乱舞』 義伝 暁の独眼竜

 

 

ブログでは頑なに(多分だけど)伏せてきたことの一つだと思う。多分だけど。過去エントリに何書いたかなんてうっすらとしか思い出せないので、書いてたらごめんなさい感ある。

 

御察しの通り、今回は『義伝』の感想エントリになる。手放しで褒めるだけのエントリにはならないだろう。それでも良ければ、読んでくれると嬉しい。あとネタバレに考慮しないスタイルだ。

私は私の話を誰かに聞いてもらいたいから書くし、考えたいから書く。このエントリだけで終わるかどうかはわからない。ちなみに、書き始めたこの段階で全く思考はまとまっていない。エントリが終わる頃には結論が出ていることを祈る。

 

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『メサイア極夜』感想

夜の中を生きてきて、暗い中だけを拠り所にして、互いだけを標としてきたのかもしれない。

 

孫引きになるが、ラスバルトという人の研究で、長期的な関係の質はコミットメント(主体的に関わろうとする心理過程)によって規定されるそうだ。コミットメントはこれまでの投資や義務感、倫理的判断の影響を受ける。*1

 メサイアにおける三栖さん(周がそう呼ぶので三栖とは呼びづらい)と周の関係もそうして規定されてきたのだろうか。

危なっかしい二人が二人とも、互いをほっとかないのは、放っておけずに手を差し伸べたと思ったら相手は肩を貸してくれ、そうしてラブシーン(本人が言ってたからいいだろうと思って書いちゃう)を重ねてきた。

 自己概念という考え方がある。人間は自分自身に対する概念の中から、自分が誰であるのかを参照している。それらは置かれた環境、他者によって影響され、その自分にとって重要な位置を占める他者を重要他者と呼ぶらしい。*2

重要他者と接近し(もちろんそれだけが要因ではないけれど)、影響を受け活性化した自己概念(作業自己概念と呼ぶ)を捉えるため、自分が捉える自己像は変化して行く。

 周は父に牙を剥き、兄と複雑な心を交わし、三栖さんに寄りかかった。

周はそうして変化して行くことがその本質だったのかもしれないと思う。評議会・公安など立場を変えながらも変化しない三栖さんとの対比で。

メサイアという関係性に近いけれど決してメサイアではない二人は、サクラとは違う価値観で生きてきて、とうとう『メサイア』と銘打たれた作品の真ん中に立ってしまう。

これはもうメサイアだ。二人は実質メサイアなのだと、私は信じている。

 

❇︎

 

観てきた。始まる前に書いていた上の文章がなかなか緊張感漂っている。学生時代の教科書を読みながら緊張に耐えていたのだ。そしたらこんな感じになっている。

 

以下、ネタバレ必至の感想である。

これから観る人は出来れば読まないで欲しい。

 

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舞台『NARUTO暁の調べ』感想

2.5ばっかり観ている節操のない私は、また節操のないことをした。

急に、ナルステを観に行ったのである。

 

まず雑感

2.5は2.5でも、普段私が好んで観るのは薄ミュや刀ステで、パフォーマンスは役者の身のポテンシャルというか、その身一つで戦っているような作品ばかりだ。

ナルステはどちらかと言えば、そういう系統ではなかった。

映像、音楽、歌、音響、衣装、ライティングに至るまでがエンターテイメントの結晶という感じで、役者の芝居はもちろんのこと、その上に乗せられるレイヤーの多さに驚いた。

「忍術」などというものを表現するにあたって、そのレイヤーの多さでたくさんのことをカバーしていく工夫がまず、見ていて楽しい。

 

身もふたもない話をすると、お金がとてもかかっている。漫画ならてろっと描かれているだけの模様一つとっても作り込まれていたし、セットも豪華だ。肩パットのないブレザーや裏地のないスーツ、裾がつれた袴もある中これはなかなかすごい。

 

そんで感想

ナルトとサクラ、とても可愛かった。それに先生たちはアニメそのままって感じだったし、サスケはサスケそのものだったし、観終わった感想は「すげぇ」だった。サスケまじでムチムチな事以外はサスケだ。

イタチの真実が明かされる所の話なのだがあまりにも世代直撃という感じで涙無しには観れない。サイのお歌で泣き、イタチとサスケの戦いで泣き、イタチの真実に泣いた。良知くんの歌が上手すぎる。『宝塚BOYS』ぶりなので大変にお久しぶりだったのだがやっぱりめちゃめちゃに上手い。イタチ、大蛇丸、サスケがメインボーカルを張る曲があるのだがビブラートがすごくて毛穴がビリビリした。

 

ナルミュって言っても良いくらい歌う。

そして、ミュのはずの薄ミュより歌が上手い。

悲しすぎない? 私は悲しい。

 

スピード感のいい舞台だなと思った。

例えば我愛羅はバレーボールしてたのでいないのだが、いないならいなくてできるシーンをやって我愛羅のくだりはさっさと終わらせてしまうし、

ちょうど暁が台頭してくる頃からずっとナルトはストレスで胃に穴が空きそうな感じなのだが 、そういった胃に穴が空きそうなやりとりも程々、山場としてうちは兄弟のバトルと真実にさっさと話を持って行く。

単調になりがちな説明台詞も歌に乗せてみたり、観客の休みどころがないと思う。良い意味で。飽きさせない。

 

サスケvsデイダラで、大きなデイダラ型のバルーン相手にサスケが真剣にお芝居してるのが面白くて、かなり肩を震わせてしまったのだが、命をかけて戦っているはずのシーンなので頑張って我慢した。

あれだけ映像を駆使してるのに、なぜその一瞬はバルーンなのか。

 

多分もっとたくさん観たとしても、すごく良かったと言うことしかない気がする。薄桜鬼と同じだ、あまりにも世代なので上演されてること、それを自分が観に行くようになったことがもう嬉しいみたいな。

 

ごめん忘れてたけど見に行った理由は北村推しに爆推しされたからなんだけど彼女もうちは兄弟が素晴らしいからって勧めてきたけど北村さんすごく良かったよ!!

 

とても面白かった。興味がおありならぜひ凱旋公演へどうぞ。

 

 

舞台『男水!』感想

 

シアター1010は久しぶりだった。

 

スポーツものの舞台を観るのは初めてだった。

 

 映像なら見たことがあっても、実際に観劇に行くことが無かった。推しのテニミュはとうに終わっていたし。

 

スクリーンの水飛沫が、波紋が、きらめきが、スポーツを舞台上で表現するってどういうことが教えてくれたし、そのきらめきそのものが青春という感じだった。

 

ぶっちゃけ、五話以降のドラマを観ていない。

社会人って意外と忙しいから、合間を縫って舞台見に行ってたらまあ時間なんてない。

 

だから舞台序盤見て「あ、これダイジェスト挟むんだ」と思ったのだが、実際ドラマの内容をほとんど舞台でなぞり普通に話が進んでいくのに驚きつつ、龍峰との合同記録会の辺りから初見の気分である。

 

というわけで、試合も初見だった。

 

うっかり泣いてしまい、ペダステ黄金期に友人たちが言っていた「よくわからないが泣ける」の意味を痛感した。

 

青春は生々しく、舞台もまた生々しい。

生々しいが故に、うっかり感動するのだろうと思った。

 

まあほぼほぼドラマと内容同じっていうまさかの展開ではあったけど、ほぼ初見の私は普通に良かったと感じた。現在のシーンを演じながら同時に回想シーンをやるみたいなのもなんか青春スポーツ現代劇って感じがした。綺麗なペダステって感じで。

 

れんれんの光希の「クソッ!!!!」って悔しがるシーンがすごく良かったのと、秀平が礼央と大樹を応援する声で図らずも泣いたのと、あとは「部をやめたい」と言い出した結太の涙とかのシーンが好きだった。

ハルミちゃんと川崎さんに腐ったオタク特有の何らかのアレを感じる。

 

仁科さんのあの顔面とその努力家の背景で、女の子のこと軽薄に口にするの「ヒ、ヒェェ〜〜」みたいな感じだ。ズルい男だ。

 

たぶんキャラクターとしてはハルミちゃんが一番好きだが、私は私に反し、光希を高く評価したいと思う。

光希の、付き合ってる女の子のダズリンのカバンから絡まったイヤフォンが出て来たのに冷めて別れそうな感じが良い。カラオケのドリンクバーのコップに直接口つける奴が許せなさそう。デートにスニーカー履くとしたらブランド気をつけないとチェックされてそう。

でも光希はサラダ取り分けるのは個々人でやるべきだと思ってそうだし、女子だからって昼食食べずに3時くらいに入ったカフェで「お腹すいちゃった〜パンケーキ食べよ!」じゃなくてハンバーグ定食食べてても普通に一口くれって言ってくれそうだし、ヘアオイルのブランド変えたことに野生の勘で気づいてくれる(仁科と違いブランドはわからない。仁科はブランドの検討つけてくる)

 

その辺は秀平もそんな感じする。でも光希と違って本人に言えなさそうなところもまた良い。

あと秀平はファストフードに行くと「女の子は海老アボカドが好きなんでしょ?」って言って来そう。

まあそうやって言われたら海老が苦手な私でも元気よく肯定して海老アボカドをオーダーすると思う。

 

ドラマも舞台のあと見たが、この作品は汗臭くないと思う。スポーツものの汗だく感がなく、プールの底の青が際立ってとても爽やかで、塩素の匂いがする。

すごく見やすいと思うし、ビジュアルや題材なら「2.5」感の薄いこの作品は、2.5系列への偏見を持っている人たちにはとても良い入門編だったはずだ。その偏見が、この作品に出演している彼らの行く道の障害になるなら、それを取り除く第一歩になったかも知れない。そうであればいいと、私は思う。

 

逆に言えば、このプロジェクトは2.5であるのにも関わらず、2.5らしい作品の作り方とは多分少し違っていて、それが私たちのような2.5に普段から浸かっている界隈の人間にとっては物足りなさみたいな、違和感とは呼べないけれど「感覚的な違い」みたいなのがあって、一話や始まるまでの高揚感の行き場を無くしてしまったような気がする。

「綺麗なペダステ」はそんな私の行き場のない期待を、私が思ってたよりもちゃんと掬いあげてくれた。でもあまり深読みしたり語ったり出来ないのは、この作品が真っ直ぐだからなのかなあと考えるのを放棄しつつ書いている。

私は概ね、このプロジェクト楽しかったです。

 

私の、なんのきらめきもなかった学生時代の記憶を塗り替えるように、舞台の上からはプールの香りがしたような気がした。 

 

高校生、最高ですね(まとめ)

 

 

ところで話は変わるのだけれど、推しの最近の仕事どうしたのだろう。

声優、声優で戦ブラの時の目新しさを失った私は微妙な顔をするばかりである。

(声優やるくらいなら2.5や2次元ではない一般の舞台に出て経験を積んで欲しいけどいつかみゆくんと共演してくれる可能性を考えて黙る)

 言い知れぬ不安感。

 

あと話関係ないけどやっぱりインスタライブで歌聴けるって最高だしスティンガー歌うまくて最高です。

 

そしてさらに関係ないけどこちら

前回みゆくんは次女の旦那・パーチック、今回みゆくんは長女の旦那・モーテルにランクアップ。あーー……みゆくん……おかえり……。

屋根の上のヴァイオリン弾きは、いつかそれだけ単体でブログにしたい。

 

男水は写真撮るの忘れてもうブロマイド開封式も終わっているのでインスタ画像はありません。

代わりにこちら。

 

 これの売り上げが良ければまた何か続くのかな。どうなんだいプロデューサー。

 

うっかり予算がついたら今度は私の推しもゲス野郎の腰巾着(http://www.fujitv.co.jp/uenosan/story/story10.html)以外の役で地上波に出れるのかい?

舞台『ジョーカーゲーム』感想

他人の推しなのだけれど、『ジョーカーゲーム』を観に行くこととなり、観てきた話をしたい。

アニメも見ていなかったし、本は買っただけで何にもしていない。

つまり、何もしていないにも関わらず、観に行ってしまったのだ。

 

がっつり内容に触れているので、これからDVDなどで観る予定があり、バレを親の仇くらい憎んでいたらブラウザバックをお勧めする。

 

そういえば、西田D輔氏にしては上演時間が短かった。2時間15分、アイアでも臀部シックスパックは避けることができそうだ。

 

一幕は佐久間中尉が中心のサスペンスで、二幕は三好の持っていたはずの「協力者のリスト」とそれを取り巻く人々の攻防だった。

二話連続で見たかのような感じで、一幕二幕でだいぶ違う印象を受けた。

 

ビジュアルの暴力

まず背広アンドタバコがめっちゃかっこいい。D機関の面々は全員背広にタバコで非常にセクシーだ。これでこそ第一次世界大戦後である。

そしてポーカーのシーン。背広、タバコ、ポーカーである。背広に、タバコに、ポーカーである。

一幕ではそれに加えて、スパイ容疑のかけられた米国人の屋敷に乗り込む際に、憲兵隊の制服、すなわち軍服を着る。D機関は諜報機関であって軍属ではないから彼らは軍人ではなく、軍人的価値観を嘲笑いながらも、それでも軍服を身に纏うというなんかその背徳的な感じも魅惑的だった。

推しも昭和やってることにはやってるけど、あれはタートルネックだし……。

 

慣れ親しんだスパイとの違い

殺人、および自決はスパイにとって最悪の選択肢だ。
平時に人が死ねば、必ずその国の警察が動き出す。

ーー結城中佐

ぶっちゃけメサイア育ちの私たちには初耳だよ。弾丸が頭かすめて川ポチャじゃどうも話はまずいらしい。

そして何より、彼らには救世主がいない。

「三好のメサイアになりたいーー」

と、思ってしまう。

彼らはたった一人で、異国の地でその場所に馴染み、生き、疑われずに任務をこなさなければならない。もちろん救いなどなく、自分の決断だけが自分を救う。

こんな残酷なことがあるかよ。三好のメサイアになりたい。

メサイアがいたら、三好が死なずに済んだのかっていうと、多分そうじゃない。死因は列車事故のせいで腹部鉄骨貫通なら助かるには賢者の石でも無いとダメだろう。鋼の錬金術師読んだことある?

でも私はメサイア出身だから健気に「知ってる〜〜これ死んでないやつ〜〜。アレでしょ? 偽装でしょ? 鋭利でしよ? 知ってる〜〜最終的に敵方に潜入してるやつ〜〜」って思いながら観てたのに、三好が病院のベッドに寝かされており結城中佐が手でそっとまぶたを下ろしてあげたので、「死んでた……」と思った。

で、よくよく調べたら書いてあった。

 役が決まったときのことを鈴木は、「あっ、死んじゃう人の役だなって思いました。舞台をする上では形作っていくには、非常に難しい役だなって。演出の西田さんと決めていこうかなって思いました」と、挑み甲斐を感じたのだとか。

http://edgeline.tokyo/wp/2017/05/03/舞台「ジョーカー・ゲーム」ゲネプロ開催!鈴木/

 しかも普通にアニメのキャラクター紹介にも書いてあった。

三好の死が避けられないものと知り、昨年各所で死にまくっていた勝吾氏をまた喪った。

 

二幕の演出がかっこいい

 一幕では割と西田Dみが抑えられていた。

だが二幕はだいぶ西田Dみがある。

ぴゅんぴゅん時系列が飛んだりするのも特徴だと思うのだが、一幕はそれがなく完全に一つのストーリーに沿う映画のような作りで、二幕は逆にそれがあるからこそ「事実」と「推理」と「現在」が混在してスパイアクションという感じがする。

例えば暗転と見せかけて懐中電灯であたりを照し出したりも、背景をスクリーンにして映像を映し出すのもだいぶ「ぽい」と思う。

三好が最後にステージを去る時にも懐中電灯を使うのだが、その時背景にあるアルファベットが「joker game」に照らされるのがアニメ感ある。アニメ見たことないけど。

 

一幕の感想も言う

もう完全に私の深読みでしかないんだけど、一幕ではポーカーとみせかけて「ジョーカーゲーム」に興じ、ただのポーカーだと思ってた佐久間さんは買収と騙し合いという「ジョーカーゲーム」の本質を教えられガン切れする。

で、その佐久間さんが憲兵隊として米国人(ゴードン)宅に乗り込み、そこでその米国人が盗んだ機密書類の隠し場所というカラクリを佐久間さんによって暴かれる。

D機関の面々にとっては簡単なことだったと思う。D機関的、諜報員的発想を持っていれば、簡単な答えだったはずだが佐久間さんは軍人的価値観の持ち主だ。だがそれをあえて佐久間さんに言わせるというD機関のある種の洗礼という側面、そして家宅捜索されたゴードンからしてみれば佐久間さんの指示によって暴かれることになる隠し場所という見え方。三好というプレイヤーによって提示される佐久間さんという「ジョーカー」、すなわち「切り札」である感じがかっこよかった。

「ジョーカー」の佐久間さんは番外の札らしく、一幕ラストにD機関から去る。そうやすやすと、切り札は使えないよね。

 

佐久間さんめっちゃ主人公

一幕は佐久間中尉がD機関に馴染んでいく、ある種の成長を描いていたと思うのだが、まずその様がとても主人公。

二幕はほぼ出てこないのだが、D機関の面々がそれぞれの任務を終えて帰国した際に、一幕で戦地に送られた佐久間さんも、一員としてカムバックしてくる。

本来三好が居るべき場所を照らすスポットライトを見つめながら近く足音が、もしかしたら三好なんじゃないかって期待してしまう。三好が帰ってきたんじゃないかって。死んでるのに。

佐久間さんはそんな期待を歯牙にも掛けず、颯爽と現れて三好が立つべきその場所に立ち、軍人らしく(佐久間さんらしく)帰還を告げる。

あれだけ三好と反目していた人が、三好の立つべき場所で自分らしくあるって言うのは、胸に迫るものがある。

三好のメサイアになってあげてよ……。佐久間さんが三好を救うことができたなら、三好は死ななくて済んだかもしれないじゃん……。列車事故だからどうしようもないけど。

 

お笑いシーン
別にいらないと思うんだよね。オラキオさん普通にお芝居してるだけでも存在感あるし、まあ西田D氏がやりたいならやればいいんだけれど。
ジョカゲだかどうというわけではなくて、例えば板の上の役の、キャラクターとしての素が、日常パート垣間見えたりする時に少し笑えたりとかそういうのは好きなんだけど、シリアスなところにぶち込まれるのは「別に無くてもなあ」と思う。

 

と、まあこんな感じで楽しい舞台だった。

最後に結城中佐の名言に触れておく。

女は必要もないのに殺すからだ。愛情や憎しみなどといった取るに足らないもののためにな。

ーー結城中佐

メサイアのことかな?

 

混同してるのは私だけかもしれない。

 

メサイアの持つ熱さや感情はジョカゲでは全く役に立たないというか、まさしく別物って感じだ。

仕組み、情勢、思考、最適解。まさにハードボイルドな舞台だった。こんなに違うものかしらね。

 

 

 

完全に余談なのだが、三好について評する、三好が潜入していた際の隣家の人の言葉として、「美男」というのが出るのだが、そこで「んんんんんんん〜〜〜〜」みたいな喜び方を内心ではしていた。

 なんかイケメンとかハンサムより美男って褒められてると「そ、それだ〜〜」ってなりませんか。

 なるんだ、私は。

 

またメサイアメサイアうるせえなってなってるのはひとえに悠久のせいで、「こんな日が来ると思わなかった」とは一体何、どんな日が来たの。

「こんな日がくると思わなかった」

一体どんな日なのでしょうか。

動き出す悠久 | 井澤勇貴オフィシャルブログ「yuu-style」Powered by Ameba

 有賀にも分からないこと私に分かるわけないね。

終焉も悠久も果たして白いのだろうか。空白の中に漂うだけじゃ、きっと幕は降りないよねこっわ。

日の当たる場所で生きることもなく、死ねもせず、産まれてから今日までずっと曖昧な社会のグレーゾーンをたゆたって来た有賀さんにも、人間らしく望むものがあるなら、それを手に入れて欲しいと思う反面、

そこに間宮がいないことも、サクラが人間らしく生きていけるはずがないことも知ってる私たちはどうしたら良いのだろう。

 

はー、つらいね。

有賀の幸せに、せめて加々美が寄り添える未来が来ることを祈りつつ。

すべてをやりきった三好が、安らかに眠って、出来ればD機関のみんなでワイワイしている番外編があるならそれを紹介して欲しい。