サニーサイドアップフォーチュン

映画、特撮、演劇、ダンスボーカルグループ

日記

本当にとりとめの無い日記です。

 

ゴッホゴーギャン
今年は、ゴッホについての舞台が、たくさんあったような気がします。
私が見たのは「ミュージカル ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」で、入野自由さんがテオを演じる作品でした。
昨年から2.5次元にハマったことで、歌への評価が恐ろしくザルになっていたのですが、
入野さんの歌は素晴らし過ぎて、一曲目で目をかっぴらいて息を飲みました。
ゴッホゴーギャン展」に行こうと思いました。あと将来双子の馬か猫を飼う事があったら「ヴィンス」と「テオ」と名づけようと思いました。

不勉強なもので、絵画の価値についてはよくわからないのですが、展示されている作品の中で、私はアーモンドの花が好きでした。
手折られた枝の一本を描いたものでしたが、ヴィンセントが甥のために描いたモチーフと同じだと思うと、
入野さんの歌声が思い出されて泣きそうになりました。テオに、入野さんが演じるテオに、息子が居たのだと思うともうそれもとても辛いのです。
昨年「ミュージカル タイタニック」で、入野さんは一等客室のゲストを演じておられましたが、彼はまだ幼い息子にキスをして、
そして救命ボートに乗り込む妻と息子を見送りました。テオもまた、息子にキスをして、舞台の上を去って行きました。
幼い息子を残して逝くしか舞台の上に居られないのかと、ハリウッドのような大団円大好きの私は考えてしまうようです。

ゴーギャンもまた、ミュージカルでは友情は破たんし、終わってしまったかのような印象を得ましたが、
そうではなかったのだと、今回の展覧会が教えてくれました。
最後に展示されていた「肘掛け椅子のひまわり」、今回の展覧会でメインで使用されていたゴッホの描いたゴーギャンの肘掛け椅子を見た後に、
ゴッホが腹を撃ち抜いた後の時代に、こういうものを描いて(展示して)いるなんて、ゴーギャンのなかにもちゃんとゴッホの存在が残っていたのだと、
まるでゴッホの身内のような気持ちで眺めてしまいました。一方通行で無かったのなら、なによりです。

女は男性が二人いたら夢を見る。今回の場合は永久に続く友情と、兄弟の絆ですね。

 

・K -Lost Small World-
ブルーレイ買いました。最高。
一番最初に見た2.5次元は初演のDVDでした。もともと白銀のクランが大好きな私が、白銀主従きっかけでDVDを見て、気づいたらこんな感じになっております。
仁希のビジュアルが本当に好きだと言う話は置いておいて、とにかくロスモワが私の心に刺さるという話と、美咲と猿比古に対する独自解釈の話をします。

思春期の閉塞感も大人になることの閉塞感も、もういい加減知っていてしかるべき年齢になりました。
けれども、みんながそれを抱えていると、当たり前に通る事だと認めるのも、なんだか癪だと思う子供のまま、年を取った人間が私です。
大貝阿耶ちゃんへの感情移入度が、半端ではありませんでした。
彼女だって表舞台で生きていけるかもしれなかったのに、二度とそこへは戻れないのだと思うと。
一度、解放されたはずがまた、閉塞感に埋没していくのだと思うと可哀そうで、猿比古よりかっこ良くて出来る登場人物を作って、飛行船を追いかけたあの日より楽しい毎日を二次創作したくなります。

小さな世界では美咲も猿比古も王様だったのに、残酷な事に本当の王様は別にいて、
選ばれなかった二人はその王様の臣下となるしか物語を続けることが出来ない、閉塞感の先にあった閉塞感がしんどかったです。
猿比古は、美咲が自分じゃない誰かを仰ぎ見るのが許せなかったから、今までの美咲のコミュニケーションとは別の、
美咲以外に唯一積極的に自分に関わって来た人間――仁希のコミュニケーションを真似したのだと、「美咲ィ」と呼ぶ声を聞いて泣きました。

思えば、仁希の世界にもたぶん木佐さんと猿比古しか居なくて、何かしら特別だったのだろうし、スモールワールドで、ロストしていたのだろうと思います。
仁希と木佐さんに夢を見まくっている自覚はありますが、そこに愛が無かったわけではないと、どうしても思ってしまいます。ハリウッド脳だから。
何故籍を入れたままなのか、何故堕ろさなかったのか、何故入院を知っていたのか、何故月に一度怒らせたいのか。
関わり方を間違えていたんだよと、今日も考えて二次創作を漁ります。

めんどくさい人間を描かせたら、壁井ユカコ先生は最高ですね。