夜明けの星を待ってる

あなたはここにいる

メサイア月詠乃刻感想

言っておきますが、めちゃくちゃに気持ち悪い感想?妄想?です。なぜなら白崎が卒業した今、万夜様(と小太郎)を推しているからです。(ここは観た後に書いています)

 

〜これまでのメサイアと私〜

メサイアだ。

いやーメサイア来たよ。来れて良かったよ。ショーマストゴーオン、13ヶ月目のユートピア目指して。

白崎が卒業してしまったいま、悠久のDVDを観ていて、私はいつきのこと好きだったんだなぁと思った。間宮がいなくなって、いつきが来て、いつきが間宮のあとをなぞって。それで、いつきのことが私は好きだった。

なので、卒業したはずのいつきがまたいるのもなんか、嬉しいなと思ってる。「その男の名は…加々美いつき」だけで興奮してiPhoneを投げそうになった。

このツイート、正直ちょっと泣いた。少ない言葉が、サクラのいつきらしく思えてしまって。

万夜様と柚木が、小暮と雛森が、早々に己の過去と向き合うことになるらしい本作。あの強烈とも言える暁を、美しい悠久を見た4人ならきっと良い救世主たる関係を演じ切ってくれるのではないかと思っている。欠けることなく。

そう、欠けたることなく。

つくよみというそれが、黄泉の坂を駆け上がって、黄泉を見たその眼球から生まれたのなら。坂の下を二度と見ないような生き方をしてくれたら良いと思う。夜を照らす月の如し、だ。

アスファルトに立つ僕と月の間には何もないって知った

『ナイトフィッシングイズグッド』サカナクション

ここまでは観る前に書いた前置き。というわけで、以下は見てきた後に書いた感想である。例のごとく、ネタバレに関してはモリモリして行くスタイルである。

 

 

全然もうね、観る前に書いたことがね、もう全然合ってない。

 

・万夜様と小太郎、加々美や間宮

紛れもなく愛だったじゃん。

私は、「万夜様が死への衝動に狂って行くなら止めるのは小太郎」だと思っていた。けれど実際には二人とも愛に狂っていたし、二人とも信仰に生きた。唯一の相手に対する愛情と信仰と執着が、二人のメサイアとしての在り方だったのだろうと思う。

万夜様は信者を愛し、信心を愛し、ことの外小太郎を愛した。万夜様は「御神体として受け入れてもらう在り方しか知らないのだ」と私は思っていたけれど、むしろ万夜様はまだ御神体だったんだ。小太郎も信仰を捨ててはいなかった。照日の杜に対する信仰ではなく、己を規定してくれたたった一人に対してとして。小太郎の憎しみはメサイアへの想いがあっという間に塗り替えていって、それで、やっぱりそう、狂っていたんだと思う。

月詠は、「誰のために生き、誰のために死ぬのか」「何を、誰を、どうやって救うのか」という、シリーズの中でも「メサイア」というシステムについて深く掘り下げた作品だったと思う。結局、まだ間宮を忘れられない人間が多くいる中で、間宮の死を救済だったと「人が死ぬってことは大変なことだ」と考える加々美が受け入れるには、いつきがその身をもって(その目をもって)経験するしかなかったのだろう。そして第三世代の四人が「メサイア」というシステムをその体に刻むには、経験するしかなかったんだろう。それは白崎や有賀やいつきの身にだけ起きることではなくて、四人にも起きうるということを。

人の死を大変だと言えるいつきだからこそ、万夜様に生きろと言えた。

いつきが万夜様に教えるように掟を読み上げ、万夜様が自分の意思でそれを引き継いで「友人や恋人に〜」と小太郎に縋りながら言うのが、「友人や恋人」を体現しているんだろうと思う。信仰は、恋に似ている。狂うことこそが恋。

万夜様と小太郎のあり方は、暁や鋼があったからこそなのだろう。「メサイア」が己の一番近くにいて、己自身と重なる。一つになるという、まさにそれだ。

ほんとうに桜にまかれてしまう人、いるんだね。

生きている奴は何をしでかすか分らない。何も分らず、何も見えない、手探りでうろつき廻り、悲願をこめギリギリのところを這いまわっている罰当りには、物の必然などは一向に見えないけれども、自分だけのものが見える。自分だけのものが見えるから、それが又万人のものとなる。
『教祖の文学──小林秀雄論──』坂口安吾

万夜様はこれからどうなるの。

誰か他のメサイアが充てがわれたとして、万夜様は小太郎と同じように愛せるの?

 

雛森と小暮、そして園

雛森は全然、全く、前のメサイアである園を乗り越えてなんかいないのに、小暮への愛が深すぎる。小暮がモルモットなのか兵器なのか、それはおそらく今後明かされるのかモルモットという結論なのかは知らないけれど、ヤケになる小暮を受け入れようとする雛森が健気だなと思った。

この二人は兄弟のようだ、とも思った。

小暮は己も、雛森のことも大切にまだできない。それは思春期にあるような揺らぎにも似てる。雛森は全てに結論を用意できるほど大人になりきってないけど、それでも小暮を第一に出来る。未成熟だけれど、少し大人な一人と揺らぐ一人が、切っても切れない関係の名前を付けられている様は、兄弟のようだ。

雛森と園は、どうなって行くのだろうか。憎しみ合い殺し合うのか、それともハングドマンのように求めてそばにいてくれと言うのか。その時小暮はちゃんと、メサイアとして雛森を支えられるようになるのだろうか。今小暮は支えられていることに、己一人ではないということを気付いていないからこそ、どうか早く気づいて唯一無二の存在になってほしいと思う。

譬えばこれまで自由に動かすことの出来た手足が、ふいと動かなくなったような感じである。麻痺の感じである。麻痺は一部分の死である。死の息が始めてフランツの項に触れたのである。
『木精』森鴎外

 

・加々美

めちゃくちゃに荒んでたからこの人の孤独と向き合う話なのかと思ってたけど、存外この人は大人になっていて、孤独に対する折り合いも一人でつけてしまっていた。

それが多分、サクラとして悠久乃刻の先にあるいつきなんだろうと思った。

ちゃんと後輩を慮っているし、有賀のために生きることができる。いつきは一人のサクラとして、一嶋さんや志倉さんともう対等に話してる。最高に大人になってる。かっこよかった。

かつてここで、間宮が死んだ。鋼のような描き方をされているシーンが、散見される。いつきがその場所で強い目をしていることが、心強い。

映画はまた、いつきの話だそうから、この続きになるのだろうか。

有賀は、いつきを助けに来る?

 

・照日の杜

まったく振り向いてもらえない穂波の切なさと、信仰に生きることの出来なかった昴流と、裏切られたと思ってる園の、なんとまあ歪なことだろうと思う。穂波は結局万夜様にしか興味が無くて、信者を、信仰を愛しているようでさほどの興味もなかったのかな。愛されず、信仰に殉ずることも出来なかった昴流もまた、悲しいことだと思う。

園さんに注がれる惜しみない拍手の音が、美しかった。

 

 

今回は、言葉は悪いかもしれないが綺麗にまとまっていて、立場が入れ替わる登場人物に戸惑うこともなかったし、技術に違和感を覚えることもなかった。

マインドコントロールは、まあなんか、万夜様になら出来るとなんとなく信じられたから深く考えるのをやめた。

セットも美しく、神話のようだった。伊勢神宮に行った時、内宮の御正宮に参拝した。あの時吹いた風が目の前の「御幌」を大きく揺らして、奥がよく見えた。あれを思い出した。そういうことなんだと思う。

あの階段が、上と下、黄泉とうつつ、高天原とうつつの階段なんだろうか。

本当は「ミコトノリ処理、人類のハーモニクスじゃん……」とかも思ったけどあれは高度な社会化で今回のように意思を持つ者を頂きには置かないし、それ以上話を広げられなかったからやめる。

 

 

あーあ、なんで死んじゃったんだよ、小太郎。