夜明けの星を待ってる

マイペースに生きている

『イノセントデイズ』買ったよの話

 

若者の夢を描くときに、熱く描くか静かに描くかのパターンがあると思うが、これは静かなパターン。バラードなのだから当たり前なのだけど。

5人それぞれに設定を付けてあって、それが「Sexy Zone」の5人にも通ずる設定であるというところですでに監督に乾杯という感じはある。

 

大抵のグループや大抵のコンビや大抵の作品に執着するような人間は、その中だけで完結する小さい人間関係に夢見ている節があると思う。

少なくとも私はそうで、5人が、5人の世界で健やかであることこそが大切である。きっと他の、どんなグループの(あるいは座組の)ファンも同じだと思う。

5人が美しい家で5人だけで暮らし、淡く美しい色の服を着て、5人だけの夢によって5人だけで構成された世界を揺らすという、その閉じられた関係性がまさにそれ、おたくの見る夢であった。

役としてフェイクが混ざっているとはいえ、彼らの演じる役は彼らにどこまでも近くて、重なって見える。であるからこそ、あの美しい家が「Sexy Zone」というグループをシンボリックに示しているように思えて、あの家が5人だけの小さな世界に見えた。

他の人間が一切登場しないところもまたいい。「塾講師」「妹」という外と関わる設定はあれども、セリフにすら一度も出てこない。見せたいのは5人、というのがはっきりしてる。

 

Sexy Zoneって、ふまけんが出会ったことを当人たちが運命だと思ってることもさることながら、それを弟組3人が良しとした上で、5人出会ったことを限りなく運命に近しいものとして捉えてるところがあるようで。

おたくはすぐに運命を感じ、信じたくなる生き物だから、それが許されるというだけで居心地が良い。

本当に、定められた出会いであればと無邪気に願ってしまう。

 

「小さな世界」と「運命」の、永遠であってほしい2つが、変化していくのが青春であるという風に考えるのであれば、これはまさに青春を切り取ったMVであったし、けれどその中でもなお、世界も運命も変質してはいかないという点で理想だったと思う。

夢に向かって変化して行くことと、関係性が変質することは違うというような。(メイキング見たらふーまくんも言ってたけれど)

家という箱がなくても5人の世界は確かにあって、それは関係性という結線によるものなんだなと感じるのだ。

 

メイキング見ていて、青春のX軸が「永遠」と「変質」なら、Y軸は「甘い」と「苦い」なのかなとか(そうちゃんが監督に言われた、と話してた内容とか)思った。

楽しいことばかりではなかったということはみんな知っていて、それでも5人でと言う役割をそうちゃんやマリちゃんが担うことが、「いま5人である」という象徴しているみたいだ。

 

いま、5人であること。これかも5人でやっていくんだということ。「次」を、「また」を、言葉の中で少しずつ見せてくれること。色々なものが形を保てなくなる世の中で、こんなに嬉しいことはないと思うし、こんなに信じたいと思う言葉もないと思う。

永遠などない。そんなことはわかっている。

けれど出来れば、信じさせてほしいと思う。

 

──と、日々に疲れたおばあちゃんはMV見ながら思いました。

 

舞台行ってなさすぎてまさかのMVの感想。