サニーサイドアップフォーチュン

映画、特撮、演劇、ダンスボーカルグループ

『仮面ライダードライブ』完走

エグゼイド 、オーズに続いてドライブを完走した。ビルド最終回を前に、6月の半ばから3作品を完走するという驚くべき速度ではあるが、今回もまた感想を記録しておこうと思う。

 

登場人物

進ノ介くん 

あんまり『仮面ライダー』っぽくない人だな、と思った。ドライブの世界では(ひいては進ノ介くんの世界では)「警察官」という職業がまず絶対的な正義として存在している。進ノ介くんにとって『仮面ライダー』とは、その「警察官としての正義」を体現するにあたって必要な一つのツールでしかない。進ノ介くんにとっては、例えばロイミュードが人に危害を加えることなく暮らしていたら、ロイミュードも護ろうとするのだろうし、危害を加えようとするから対抗する『仮面ライダー』の力が必要なだけなんだなっていうのがわかる。

つまり、進ノ介くんが仮面ライダーっぽくないのは、車に乗っちゃってるからだけでなく、警察官として進ノ介くんが既に完成されてるからだと思った。

あとは「ちゃんと愛されて生きてきた」記憶のある人が、仮面ライダーになってるだけでだいぶライダー感が薄い、というのもある。

進ノ介くんには正義はあれど、業はない。追いかけるべき背中(父親)と謎(父親の死)はあっても、それが進ノ介くんにもたらす責任はない。

進ノ介くんは、私が知ってるどのライダーよりも自由なんだな、と思う。自由に、自らの選んだ職務に準じ、結果ヒーローになったということなんだと思う。

後は、私の大好きな「唯一無二の関係性による重さ」が、まさかのベルトさん相手にうっすらと感じることができたのが、最終話特別編の最高なところだった。

 

剛くん

どう考えても推しキャラですね。そんなことささておき。

背負ってる業や、生い立ちが、なんだかめちゃくちゃに『仮面ライダー』という感じ。もともと進之介くんが「車」という点でも仮面ライダー感薄いのに対して、剛くんはバイクに乗って今までの「仮面ライダー」像に近しい姿をしている。背負う運命も、その哀しさによって身動きが取れなくなるところも、進ノ介くんにない窮屈さはなんだか剛くんが背負ってるみたいに感じる。

剛くんの魅力はまさにそのライダー的な窮屈さと、それを覆う明るさ、弟らしい可愛らしさにあって、なんていうか「守りたさ」が尋常ではない。だが彼はヒーローなので、自分で立ち上がる。「ドライブに追いつけない」と焦って立ち止まった時だって、強化されるのではなくて姉の言葉によって前進する力を得たのだから、簡単には守らせてくれない感じがヒーロー番組っぽくて良い。

まあ結局、彼にとってもライダーであることはロイミュード撲滅の一手段でしかないから、「ヒーロー」っていうのは後からくっついて来ただけなんだけれども。

あとあまりにも強化されないので、強化されまくってきたクローズ*1のことを思うと、クローズの勝率に文句言っちゃダメだなと思った。

 

チェイス

チェイスが人を護ろうとするのは、そうプログラムされているからだ。

ロイミュードが叛旗を翻すのは、蛮野に虐げられたからだ。

『本当』のチェイスは、どこにいるのだろう。

……というような問いはあまり深く考えられることはなく、チェイスはプロトドライブとしてのプログラム=自分自身として、それに忠実に仮面ライダーとしての自分を選ぶ。

そこが純粋で、健気で、人と共にあり、人になりたかったチェイスの選んだ生き方なんだなと思う。

登場人物が「機械であること」は、即ち「その人格が作られたものであること」とのせめぎ合いだと思うんだけれど、あんまりそういうことを深く考えないところが「ドライブっぽい」なと私は感じている。

チェイスと剛くんが、とても魅力的だった。だからもっとチェイスが加入してからの二人が見たかったなと思うのだが、それだと進ノ介くんの出番なくなっちゃうなという冷静な判断くらい私にもできる。それくらい、チェイスと剛くんの関係にはエモ的な魅力があった。だから最期の友情までの道のりを、もっと見たかった。

 

霧子ちゃん

めちゃくちゃにヒロインでびっくりである。

霧子ちゃん強いはずなのにめちゃくちゃにみんなに守られているところとか、「ヒロインだな〜〜」と思う。

別に、それは彼女がトロフィーとしてあるというわけではないと思う(バディとしてありたい、という彼女の行動が危機を救ったりする)。ただ、霧子ちゃんはきっかけとしてあらゆる関係と感情を生み出していて、守られて、というのがすごい「ヒロイン的」で、なんかむしろ新鮮だった。でも、なんか、こう、私が女だから思うのかもしれないけど、なんかこう、なんかね……!! もっと活躍してほしい……!!

彼女によって、愛情がより鮮明に描かれていたのかなと思う。彼女が一番、それぞれに対して愛情を示していた。そういう意味では、彼女は大活躍。

 

ロイミュード

ハート様もブレンもメディックもめちゃくちゃに魅力的だったからこそ、蛮野のゴミカス具合をまっすぐ憎むことが出来た。

ブレンの死の間際がめちゃくちゃ泣けるし、メディックの穏やかな死も哀しい。ハート様の、ロイミュードという役目に殉じた終わり方も、どうにかしてもっとより良い在り方を探す道を、早くに選べなかったのかと思える。

悪意に呼応してしまっただけだと進ノ介が気付いて、ハート様が覚えておいてくれと泣きながら消えて行く。この魅力的な悪役が魅力的なまま散って行くさまが、本当に哀しかった。

ロイミュードが初めに蛮野という男の悪意に晒されなければ、こんな風に哀しい思いをせずに済んだのだろうか。

 

ストーリー

愛するという事

観る前にドライブのことがめちゃくちゃに好きな友人から「最高の家族だから」と聞いていた。

たしかに特状課の面々、ライダー同士、ライダーとヒロイン、ロイミュードの関係が親密であって、こういうのはエグゼイドにもオーズにもあんまり無かったなと思う(ビルドはまたちょっと複雑)。それは、言うなれば家族的であり、チェイスが作中で進ノ介くんや霧子ちゃん、剛くんを見て感じるそのものだなと感じている。

初めから愛情のあり方というものに敏感な描き方をしていたなと思っていたけど、意外だったのは進ノ介くんと霧子ちゃんの恋愛について描いてたことで、それは少年向けの番組としてはあんまりないことのように思う。けれど愛情というものに対して真摯に描いてきた作品だからこそ、一つの家族としての始まりを強く意識させるものを描いたのだなと思う。

ロイミュードの、依存とはまた別の、家族になりきれないけどそれに近しい共同体的な在り方がまた、愛情の一側面という感じで切ない。人間によって生み出されたのに、人間と共にあることを選べなかったという事もまた虐げられた背景を想ってしまって感情移入せざるを得ない。

愛すること、愛されること。そういうことを知っているものは、思ってるよりもずっと強い。それが、ドライブという作品だったと私は思う。

 

全般

刑事モノだった、というのが、こんなにも主人公の人格に影響を与えるものかとしみじみ思った。あくまで役目に則って仮面ライダーになる進ノ介くん、というのは私にとってとても新鮮だった。ただ、その役目に準じるあり方も、「警察官は市民を守るもの」という信念に基づくあり方で、「医者として時に己の事情よりも患者を優先するが、己を蔑ろにはしていない」という順序立てるあり方とは近いようで違うなと思う。同じ「職業が前提にある」ライダーということで、エグゼイドとすぐに比べてしまうが、エグゼイドは論理的・理屈で考える作品で、ドライブはそうではない。

個人的には、エグゼイドのように初めから「ライダーを擁するチーム」でないのに手がける事件全てをライダーが解決する事に対し究ちゃんや追田警部補は疑問なかったのかなという点と、真影(フリーズ)の能力が効かない相手を「特異体質」にしてしまってたのとあんまり踏ん張らなかったフリーズが惜しいなっていうのと、剛くんとチェイスが因縁を超えて友情を育むところが見たかったなと思う。

私が端々に感じる「ドライブっぽさ」はそういう「理屈じゃなさ」に起因している感じはあって、人間関係のなかで芽生える情を愛という「理屈じゃないもの」として描いたドライブならではだなと思う。

結局、変身出来る人の素養も、フリーズの能力が効かないという特異体質も、もっと説明があったらよかったと思うけど、推理というものをしないといけない以上、そうすると説明がお話のもっと多くを占めることになってしまうなとは思った。

そういう意味では、推理モノ・刑事モノという「理屈」に近しい手法を取りながらも、「感情」──いわゆる「エモ」的な側面である「愛」で突破して行く……それが「ドライブっぽさ」なんだと思う。

ドライブは他者への愛情のライダーで、感情の発露による揺さぶりがカタルシスとして心地良い作品だった。

*1:仮面ライダークローズのこと