サニーサイドアップフォーチュン

映画、特撮、演劇、ダンスボーカルグループ

東京ドームと映画の話

 

東京ドームの話

というわけで行ってきました東京ドーム公演。GロやTDCを除けばゆうにジャニーズワールドの感謝祭ぶり、5年は経ってるなってくらいぶりだった。

 

印象的だったことを日記として残しておく。言い訳がましくて申し訳ないが、私は曲を聴いたり、PVを見たり、ケーブルテレビで出演番組を見たりする程度のライトなコンシューマーである。だからもし、私の解釈が甘くても、彼らに対する知識不足でも、「ライトさ」からそうなっているとうことを踏まえてほしいとは思う。そして私は今回初めて7人のパフォーマンスを生で見た(遠いところからだが)。

 

美しさとシンプルさ

なんというか、凝り方の方向性が違うなと思う。

例えばステージの上に木が生えてるわけじゃないし、大きなロゴマークが常に天井付近で光ってるわけじゃない。一見するとシンプルであるという印象を受ける。背景すべてがディスプレイとして機能していてそれが美しい。シンプルで装飾は少ないのだけれど、そこに映し出される映像はこれまでのlove yourselfシリーズなどのちょっとほの暗い青春のそれであったように思う。

そういう背景映像(というか、ソロ曲の前にインサートされる映像なのだが)の暗示する複雑さ、情報量の「含み」があるから、シンプルな大画面で良いと思うし、その映像の含みが活きる。察する余地、感じる余地だなと思う。おたくは考察が大好きだから。

単純に、顔がよく見えていいよねみたいな話かもしれないけど。

アミボムがリンクして明滅し色が変わるだけで相当きれいなのだが、それがライティングや映像とリンクし、演出としてちゃんと機能しているのが、「一体感」を強く感じられてよかった。始まる前の待機時間で、流れるPVに合わせて光始めたとき「うおぉぉ」という変な声が口から思わず出るくらいには。「一体感」については書きたいことがあるので後でまた。

例えば明滅するライトの光、例えば映像。そういうところにより特化した美しさだったと思う。ほの暗いストーリーをより美しく、余白をより魅力的に見せるための演出であり、ダンスや歌を見てもらうためのステージだと。

 

一体感

掛け声が歓声が、大きいことに単純に驚いた。もちろん、それがあることが普通の現場であるとはわかっていたのだけれど。

それが多分私が知らなかったk-popの文化の一つだと感じたし、ちゃんと予習したのにもかかわらず全くできるようにはならなかったし、そもそもあんステのmelody in the darkの掛け声もできなかったのに無理だよねという感じもある。

文化である、というのは面白いと思う。拍手だけが伝える手段であった*1私とは(あるいは、私たちとは)違って、声で、名前を呼ぶ声で、あらかじめ決められた掛け声で、観客がいるのだと伝える手段が許されているのが面白い。私はあなたを観ているし、私たちはあなたに伝えたいのだ、という感覚。手紙でもうちわでもないその感覚。

揺れるTシャツの裾に対して。カメラ越しの視線に対して。メンバー同士の手が触れ合うことに対して。ひとつひとつの要素に対して上がる歓声に、切実さが滲むのを感じる。私のように初めて観た人も居たろうし、これが気軽にパフォーマンスを観れない海外アーティストの規模ゆえだとも思う。

アミボムの演出だけじゃない。観客のその声が、一体感を生むし、私に感じさせていた。

私はアンコールを待つ観客が歌うfor youを忘れないだろうな。

 

曲、パフォーマンス、そして歌

なんていうか、めちゃくちゃ楽しかった。前述の通り、演出も一体感も楽しくて仕方がない。ダンスもかっこいいし、曲は前々からちゃんと聴いているから知らない曲はない。歌もめちゃくちゃよかった。

DNAの掛け声やラストのとんでもダンスが見れたことがうれしかったし、ビルボードの観客のようにfake loveを叫べたことも楽しかった。

曲とか歌とかについて書きたかったがうまく書けなかった。ごめん。

 

映画の話

東京ドームまで私を連れて行ってくれた友人に連れられ、今度は映画にを観に出かけた。三週間限定公開とのことで、そりゃ急ぐわけだと思った。

 

アイドルというもの

20そこそこの男の子が息を切らして座っているところに、何人もの大人が囲って、氷や、ヘアセットや、メイクや、そもそもそれを撮影するカメラでされるがままになっていて、なんてことさせてしまっているのかという気持ちになる。

かつてジャニーズJr.の真実や、バクステでけんと君をフォローするふうま君を見た時のあの気持ちだ。あの細い肩にどれだけのものを背負わせているのか、何を強いてしまっているのかという、あれだ。スクリーンで彼らは言う。休息は十分ではないけど、準備のための時間も足りないと。

どんなものでも、ステージの上でやるにあたっては体も心もすり減らすことになるのだと思う。私はごくごく普通の一般人であるから、ステージの上のことなどなにも知らないしそれを享受するだけの人間であるわけで、ステージに立つための努力も疲労も、見えない位置それが観客席であると思っている。

ファンは打ち出されたコンセプトを愛したのかもしれない。文字通りの偶像を愛したのかもしれない。それでもそこに至るまでの努力をなかったことにはできないと思うし、垣間見るそれにファンは胸を熱くするのだろう。

……と私は隣で涙ぐむ友人を見て思った。

 

 7人でいること

大事なのは、メンバーがずっと一緒にあることで、難しいこともまた、メンバーがずっと一緒にあることだと思う。

不思議なのは、周囲の大人たちから一緒に常にあることを求められ、それを良しとしてなおも「これからも7人で」と言えることだ。7人であることにそれぞれが意味を見出し、感情を抱いて、これからを願っている。どんなアイドルにも言えることだけど、グループであるということを大切に思うということが、不思議で、尊いのだと思う。

ファンは彼らが7人でいることを信じたいし、私もそう思いたい。求められるものが大きくなればなるほど、客席からではどうしようもなく見えようもないものがあの若い背中にのしかかるのだろう。

アイドルにはそういう切なさがあって、彼らにはその先頭に立つ*2が故の孤独や苦悩が色濃く見えるところがあるから余計に切ない。

どうか7人がそれを共に乗り越え、そしてなるべく長い時間を共に歌って過ごしてくれたら、と思う。

*1:

舞台『K』第二章千秋楽レビュー。それでも私たちには拍手しかなかった。 | レビュー - 舞台『K』 - 著・紅玉いづき - 最善席

*2:これは難しい表現で、恐らくは個々人によってどのアイドルが代表かは変わってくる。