昂まったので自分ルールを破って更新する。
〜これまでのメサイアと私〜
「もう二度と会えない人、もう二度と立ち寄らない場所、もう二度と触れないもの、もう二度と聴けない音楽」彼女は窓の方を眺めて目を細めた。「人生は、常にそんな別れの連続ですね」
とうとう来たなーと思う。何が? そう、メサイアが。
『メサイア 悠久ノ刻 』稽古終わったよ。
— 杉江大志 (@SugieTaishi) 2017年8月27日
いよいよです。
本番まで残り数日、最後まで足掻いて、燃やし尽くそう。
待っててね。 pic.twitter.com/EelF0ZXHg8
しかし有賀さん、すごい半ズボンだな。
悠久、という響きが良くない。幸せかもしれないと思ってしまう。ハッピーエンドかも、せめて翡翠のようにと。
何をもってハッピーとするかは、本当はわからない。同じ板の上にメサイアがいるだけで幸せなのかもしれない。もし引き金が彼の指の震え一つで左右されたとしても。
「最後のシーンで」か。
希望のある最後みたいに思えるね。
間宮の話は、出てくるのだろうか。いや、避けて通る事の方が不自然か。
不自然かどうかを度外視して、極夜で間宮を描いたのだし。
暁で間宮の名を出したのだから、その責任は是非に取っていただきたい。
でもさー、グッズがさー。
「有賀×加々美 メモリアルフォトブック」って……。
終演後から、というグッズの多さが、卒業衣装や後輩メサイアくんたちの組み合わせを匂わせられていて動悸がする。
暁の、自分の感想を読み返したら、「暁には社会がない」と書いてあった。確かに、社会というものに向けられた悪意がないのが、暁だった。と思うけど私の感想でしかなくこれが一般論かどうか判断はできない。
じゃあ今回はどんな話になるのだろう。
出生が再び有賀を苛み、加々美にはまだ雲井の影が付きまとう。ということで、自己同一性の物語なのだろうか、と考えている。
思えば二人は、アイデンティティが初めから薄かった。生まれも育ちも、利用されて来た二人だ。誰のために、何のために、メサイアのためにという理由すら、暁で確固たるものになったのなら尚更だ。
暁を経た今、二人を規定するのはお互いがお互いの名を呼ぶ声なのかもしれない。メサイアと呼ぶ、その行為なのかもしれない。
だとしたらやはり、有賀は間宮とでは自己を規定出来なかったのかもしれない。メサイアと片方が呼べば拒絶する二人では、きっと。
「言葉は、言葉だけなのに、でも、結局、言葉が嬉しいわ」
ここからネタバレありの感想です。
以上のように悶々と考えながら初日を迎え、普通に出勤し、メサイア 悠久 site:hatenablog.comで検索してはてブロの初日感想を眺めながら(読んではいない)銀河劇場に行って、物販で普通にネタバレされた。
あまりにも予想通りじゃねえの(笑)
というか終演後に販売しますって言ってなかった? 終演後って初日の終演後なのかーい。
アルマゲドンみたいな曲が流れ続ける銀河劇場で、ハッピーエンドを確信した。
劇場に入って、まずその、印象の柔らかさに驚いた。画面として区切られていた暁の板の上が悠里の視界だとしたら、悠久はバベルの塔を下りそして上るための螺旋階段だったのだ。というのは、幕が上がってから思った。
まずもうね、バイオリンの音ね。もうまず一回無理。泣いた。
記憶、が鍵になるのは観る前から提示されていたことだが、それがいつき(急にいつきとか呼び始める)の記憶を巡るあれこれと有賀さんの過去(という意味での記憶)だと思っていた。
実際始まってみると全ての人の記憶を巡る話だったなと思う。
いつきの失うかもしれない記憶、古い記憶、有賀さんの脳の損傷、いつきというメサイア、そして間宮。御池、柚木、小暮、雛森……ひいてはサリュート、ハングドマンの過去という意味での記憶、といった形で。絶望を乗り越えて行くサクラらしいと言えばらしい。
「アイデンティティ(自己同一性)が薄い」という私の、有賀さんといつきへの印象は当たらずとも遠からずだった。薄いことへの理由があって、それをちゃんと乗り越えて行ったのだろう。
記憶をなくすことを、再びネクロマンサーによって人形となることを、その不安がるいつきを有賀さんが肯定し、そして記憶をなくし、操られる有賀さんをいつきが救う。有賀さんにしてもらったことをいつきが有賀さんにしてあげるという構図が、あまりにも対等だと思った。
有賀さんといつきは、何度でもお互いに銃口を向ける。それは間宮がそうだったからだ。間宮の影は有賀さんに永遠に付きまとうし、いつきはかつてのメサイアである間宮の事をある意味では超えられない。有賀さんは間宮と果たせなかったことをいつきと果たす、と私は思っていた。それは卒業を意味していたが、悠久で分かったのは、有賀さんは間宮が果たせなかった事を、本当に果たそうとしているという事だ。間宮の夢を有賀の夢とし、それが間宮の夢だと(恐らく)分かっていながらいつきは己の夢として選択する。ブレ続けたいつきとあやふやな有賀さんと、何ものにも帰属出来なかった間宮が、三人一緒になって卒業して行くという事実に泣いた。
有賀さんのためにといつきがバイオリンを練習していたというところがもうどうにもならないくらい泣けた。
依存性パーソナリティ障害のいつきにとって、新たに得た有賀さんという依存先に受容してもらうために選んだ手段の一つがバイオリンだったというのが辛いのか嬉しいのかわからないが涙が止まらなくて、けれどバイオリンの音だけで有賀さんが戻って来ないというところに有賀さんの成長を感じた。
いつきは、全てに依存する。それは近しいものをすべてを受け入れる在り方なのだと思うし、一度懐に入れたものを愛する在り方なのだと思う。一嶋係長を殺すことを受け入れたがらなかったいつきの在り方が、間宮というかつての、ともすれば自分をその代わりにされてしまうな存在をも受け入れて、間宮という存在が欠けた有賀さんをまとめて愛することができたのだろうと思う。
「人が死ぬって大変なことなんだ」というあまりにも当たり前なことを言いだしたときは、ああそうだなと思った。
悠久というサブタイトルが、二人が悠久に(永遠に)なりたいという意味なのかと想像していたが、そうではなくて悠久の中で会えた奇跡に乾杯という意味だった。
・アウターヘブン
ハングドマンの目指した軍事国家ーーと最初に聞いて思い起こしたのは、アウターヘブンだった。もう戦うことしか残されていないハングドマンのような人間にとって、人間らしくあるための場所、天国の外側かな、と。
まあ実際はゴルゴダの丘、見せしめの如く死ぬ事を選んだハングドマンの墓標だったわけだけれど。
ハングドマンの死に方が、あまりにも無邪気だった。駄々をこねるように端末を抱きしめて、ぽろぽろと泣く姿が悲しい。
そういえば今回は、驚くほどに世界への話が出た。
ハングドマンはウォーラステインの世界システム論に則って言えば、周辺部の象徴とも言える。
世界、社会というものから一旦排除されてしまった人間たちが、再び社会の、世界の一つになるための過程を描いていたと思うとやはりまた悲しい。ハングドマンはそれを国家の王として表現し、有賀さんといつきは兵士として歯車の一部となったのかなと思う。
ワールドリフォーミングによって得られた平和はけれど、ウェーバーの言うように国家が監視や管理を司る暴力装置としての側面を捨てきれていない。管理された平和かーと思った。
禍根はある。また抵抗も反感もある。
しかし、これはまごうことなき戦の終わり。
自分ではない誰かと、そして自分自身の幸福を祈る、祝福の日だ。
『雪蟷螂』紅玉いづき
・恐るべき子供たち計画
恐るべき子供達計画 - 用語事典 - メタルギアコンベンション
小暮と雛森の話をする。
観てる時に「そういう事かー」と思ったが、実際今後の展開で大幅に外していたらごめんというところだ。みんな同じこと考えいたら「同じだよ!」と教えて欲しい。書き終わったらいろいろ皆さんの感想を読み、小暮についてふむふむしたい。以下は私の解釈の話だ。
日本にとって、一嶋係長は最高の兵士なのだと思う。
そして五係についても、目の上のたんこぶと考えている人以外に、必要な機関であると考えている人もいることだろう。
初めから最高の兵士の素養を備えた兵士がいれば、五係は安泰ーーひいては日本は安泰になるかもしれない。
「父親とでも思いましたか?」……父親でないなら、それは、と思ったのだ。リンク先参照プリーズ。
雛森、顔面良いなしかし。雛森の過去は、「一嶋係長の裏切りによって一嶋係長を信じられない」であるらしいのだけれど、小暮が「恐るべき子供」であるなら、このメサイアの因縁は「一嶋係長を憎む」という点で類似し「一嶋係長を憎みながらも己のメサイアが一嶋係長自身」と「間接的に自らを憎む男がメサイア」となるのかなと思う。
「俺達は政府や誰かの道具じゃない!
戦うことでしか… 自分を表現できなかったが… いつも自分の意志で戦ってきた」
・玉の緒よ 絶えねば絶えね
万夜様悲しすぎないか。
憶測にしか過ぎないが、多分万夜様は“御神体として”他人に尽くすやり方しか自分を受け入れてもらうすべを知らない。だから柚木の望みを叶えてあげたいし、そうして死ぬしか柚木の願いが叶わないと思っている。「御神体」を憎む柚木に殺されることで、御神体として柚木に認識されて死ねる。
柚木は命を大事にする人であるから、万夜様の言動が気に食わなかったわけだけれど、万夜様が己自身の命を蔑ろにすることも許さないわけ
だ。殺したいほど御神体を憎んでいるのに。
万夜様が死への衝動に狂って行くなら、それを止めるのは柚木なのだろうと思うけれど、「メサイアとして愛しながらも、御神体として憎む」という在り方に、柚木が耐えられるのだろうか。
耐えて、乗り越える話がいつか観れるのだろうか。
かつては宗教が、わたしがわたしであることを保証していたのだろう。全ては神が用意されたものなのだから、人間がそれに口を差し挟む必要はない。けれど、宗教のそのような機能は今日では完全に失われてしまった。
『ハーモニー』伊藤計劃
・ネクロマンサー
し、白崎〜〜〜〜好きだ〜〜〜〜!!!
暁から数ヶ月、白崎と悠里はちゃんと共にいた。ありがとう。
あとチェーカーのクズっぷりというか、小者感(いい意味で)がわかりやすく悪者っぽくていい。
・今回の気になるポイント
ネクロマンサーは領域分けてあるのだろうか。チェーカーはネクロマンサーを介していつきを操ってる? クラウドなのか??
立場の入れ替わりが激し過ぎてちょっと付いていけなくなるかと思った。
推しにもメサイアが欲しい。
有賀さんといつき
そのうち追記するかもしれないかも。