サニーサイドアップフォーチュン

映画、特撮、演劇、ダンスボーカルグループ

ありがとうキュウレンジャー

今更すぎてもうどうしようもねえなって感じなのだが、やっとこさ宇宙戦隊キュウレンジャーを最後まで完走した。最後二話、涙無くして観れなかった。というわけで、ここではラスト二話に焦点を絞って「チキュウを救ってくれてありがとう、キュウレンジャー」の気持ちで感想を述べる。ウッ……キュウレンジャー終わらないで……。

 

・何も考えてないようで考えてるラッキー

ラッキーは大抵のことを「よっしゃラッキー!」で片付けてきた。そして大抵のことが彼の運にかかればお茶の子さいさいだった。でも人心ばかりはそうはいかず、彼は今までも多くの人の心を、その「自分の運を信じる」という彼の熱い心から出る言葉で動かしてきた。だから最後も彼は自分の言葉で、判断をそれぞれに委ねる。他のメンバーに最後の戦いを強制したりしないし、ちゃんと考える時間を用意する。そこがラッキーの育ちの良さというか、リーダーらしさだなと思う。

 

・決戦前夜

それぞれの決戦前夜のシーンの良さ、語っておきたい。

まず物語の中で最初にラッキーの言葉によって救われたガルや、反目しあったハミィが「そんなこと聞くなんて!」と言ってることがいい。リーダーというのはある種の孤独がつきまとうもので、実際前夜のラッキーだって一人でみんなの決断を待ってた。けど「そんなこと聞くなんて!」と怒ってくれる人がいるというのは、ラッキーが一人になることはないと示してくれてることに他ならないと私は思う。

BN団〜〜!!! この二人は最初から最後まで二人の世界だった。もちろん他のメンバーとちゃんと絆はあるけど、それでも最後にずっと一緒だと確かめ合うのは他のメンバー全員とではなく、バランスとナーガお互いなのだ。それはナーガが得た感情の、その「恐怖」のままに遁走しても、バランスが利己主義のために逃げたとしても、それでもお互いのためにお互いがあるという全てを受け入れた依存のもとに成り立つ関係なのだ。二人の関係には名前はないけど、それでもずっと近くで続いて行くのだと無邪気に信じられるのがこの二人の良いところだった。

定期的に交流して欲しさがある。

キュウレンジャーが生んだディズニープリンセスこと、スティンガー。兄を追って始まった孤独な彼の旅路の終わりを前にして、彼を相棒と呼ぶ人と慕う人が彼の近くにいることに泣けた。単純に、もう一人ではないということがどれだけ彼を救うのだろうと思う。

小太郎はこれから大人になる。スティンガーはそれを見つめて過ごし己に兄を、小太郎に己を重ねて行くのだろうと思う。それは兄の想い出を反芻することに他ならず、そうすることでスティンガーは兄をこれ以上失わずに済む。チャンプはその痛みを、アントン博士を失ったチャンプはその痛みを知っているからこそ共有し、寄り添うことができる。孤独を感じた時に歌って誤魔化してきたスティンガーの歌は、チャンプや小太郎と共にメロディーを重ねることで初めて、絆を感じるためのツールになったのだ。

スパーダとラプターは何なの? え、何なの?

割とずっとそういう感じで描かれてた二人だったが、もうバッチリそういうフラグ立ってる感じ。これだけは言える、めっちゃ好き。スパーダは紳士で、フェミニストだ。ラプターはアンドロイドってこと以外は普通の女の子で、もうなんていうか、成就を願わずに居られない。

 

・最終決戦

みんなが次々と倒れて行くさま、あまりに辛い。ズタボロになりながら敵陣に突っ込んで行く。ここでスパーダとラプターがハリウッドさながらの愛の叫びを繰り広げ、私は感動した。いやまあ告ったとかそういうんじゃないんですけど、なんていうの、「私があなたを守る!」「僕だって君を守る!」みたいなそういうやつ……。ラプターって最初守られてばかりで、だからこそ戦う事を夢見てて、スパーダは取り返しのつかないことになるくらいなら夢を諦める方がいいって考えてて、すれ違ったこともあった。けどその二人がお互いのために背を預けて戦うことの尊さ、守る守られるの一方的な関係じゃなく共に並び立つ関係になったということが、素晴らしいと思うんだよね。この二人は、有り体に言えば恋愛感情のことだけど、そういう発展の仕方をこれからするかもしれないと匂わせられているから、そういう感情の複雑な交換は、対等であるからこそできるという事を示してると思う。

今までずっとナーガのことを元気付けてきたバランスは、機械生命であるが故にナーガより先に機能低下するところが悲しい。一年かけてたくさんの感情を得たナーガが、バランスの背中を感じながら「君と出会えてよかった」とポロポロ泣くシーン、大号泣でした。

スティンガーとチャンプと小太郎は、その点戦士らしいなと思った。戦うことそのものに主眼を置いている三人だから、敵の攻撃にも突っ込んで行くのがあまりにもかっこいい。

 

・ひとりひとりがスーパースター、全員揃ってオールスター

ドン・アルマゲの中にプラネジウム*1として吸収されていたショウ司令と、体を乗っ取られていたツルギを含めて、ドン・アルマゲを食い破って外に飛び出してくるみんなを見て、私の中の幼女が「信じてたよ〜〜」と泣いた。

ラッキーは言う、「ひとりひとりがスーパースター、全員揃ってオールスター」だと。

めっちゃくちゃに泣いた。

なんて単純な、なんてシンプルなメッセージだろう。一年かけて、ずっとキュウレンジャーが投げかけたのはこのメッセージだったのだ。

生まれも、育ちも、境遇も何もかも違う12人が、全員それぞれがスーパースターであるとラッキーは言ってくれる。みんな違ってみんな良い。

キュウレンジャーは熱い男の継承の話でもあったなと思う。最初の救世主であるツルギ*2から、ラッキーはリーダーとは何かをたくさん学んだはずだ。けれど、ある種ヒロイックな自己犠牲的発想をしがちなツルギを超えて行けるのが、ラッキーという男だった。ラッキーはなんてったって父であるアスラン王から託されてるからね。愛されている、自分の命が望まれているという感覚を持つラッキーは、自己犠牲を良しとしない。

まあ一歩間違えば自己犠牲になりかねない作戦でドン・アルマゲに挑んでたわけだが、それはキュータマやみんなの力を信じてたからこその判断ということで。勝算は自分を信じるというところにあったわけだ。

 

・VS鬱

ドン・アルマゲの正体が「運のない連中の思い」であることが判明し、ドン・アルマゲの短絡的かつ刹那的思考が生命体的でないが故に生まれたものだなと思って切なくなる。負の感情がドン・アルマゲとして排出され、ドン・アルマゲとして蓄積されてきたわけで、ハナっからキュウレンジャーは実体のない鬱と戦ってたわけだ。

否定的な感情の塊であるドン・アルマゲに、肯定感の塊であるキュウレンジャー、ひいてはラッキーが負けるわけがなく、ドン・アルマゲの中にプラネジウムとして吸い取られた多くの生命がキュウレンジャーへの応援という形で一つになり、強大な鬱を滅する。

ラッキーの運を引き寄せるポジティブさは、自分を信じるという単純なところに端を発している。努力は必ず報われるとか、そういうこと以前に自分を信じて、とずっと伝えていたのだ。ひとりひとりがスーパースター、みんなそれぞれ違うけど、それぞれが自分を信じて、と。その圧倒的肯定感が、全ての負の感情たるドン・アルマゲを打ち破るのだ。

流星に乗って落ちてくるラッキーの一話のリフレインに一年前を思い出し胸を熱くした。

 

・エピローグ

スティンガーが戦い続けるとして選んだ道がリベリオンの司令なの、ほんとあの孤独に戦ってたスティンガーが成長したなという感じ。ショウ司令によって拾われた彼もまた、キュウレンジャーの中の熱い男の、継承の物語の主人公だった。小太郎もまた、その近くで成長して、スティンガーからたくさんのものを継承するんだろうと思う。

スパーダとラプターめっちゃくちゃに可愛くない? なんなんだよモジモジしてんなよ可愛いなあもう。この二人はまたこれから始まる物語があって、それはそれでとっても見たい。あとツルギはほんとカレー好きだね。

一人っきりでじいやの元から飛び出して宇宙を旅してたはずのラッキーが、今度はガルと一緒に宇宙を旅してて、一話とおんなじようにスクーターで落ちてくる。やっと宇宙が平和になったのだ。平和になったからこそ、キュウレンジャーそれぞれの、戦いではない物語が始まる。だからこその一話と同じ落下で、けれど一話と違って12人の仲間なのだろうと思う。

 

中だるんだ時もあった。見ずに溜めまくった時もあった。平たく言って、色々あった。でも、初めてちゃんと見た特撮作品が「宇宙戦隊キュウレンジャー」で本当に良かったと思う。

一年間、本当にありがとう。

お疲れ様でした。

 

LUCKYSTAR

LUCKYSTAR

 

*1:星に眠るエネルギー

*2:初代宇宙連邦大統領であり、かつてドン・アルマゲを倒した。実際にはドン・アルマゲはクエルボに取り付いていたので生き残っていたのだけど。