サニーサイドアップフォーチュン

映画、特撮、演劇、ダンスボーカルグループ

『仮面ライダーフォーゼ』完走

なかなかのスピードを維持して頑張ってると思う。

前回はドライブを完走し、「平成ジェネレーションズFINALに登場するレジェンド達を学習する」という目的から逸脱したが、今回は当初の目的に沿う形で作品を選んだ。ちなみに、ゴーストも何故か並行して見始めているので、この後はゴーストに注力することになる。

今回もまとめという形で感想を残しておこう。

 

キャラクター

弦太朗

この子は一見するとライダーらしくないが、存外「ライダーらしい」ところがあるなと思う。

「両親の不在」「何度も転校してきたことによる漠然とした孤独」「みんなの友達として献身するヒーロー」……それ自体はとてもヒーローっぽい。

はじめ私は、弦太朗がどうして戦う道を選ぶのか、フォーゼであろうとするのかがわからなかったのだが、例えば映司くんのように、あるいは戦兎くんのように、「みんなのためのヒーローであろうとすること」それ自体が彼を彼たらしめているんだなと思う。

友達のために戦う弦太朗、めちゃくちゃ一護……と思ったりもしたが、彼は「これから友達になる人」のためにも戦っているので、手の届く範囲だけでなく全部のためでもあるなと思う。

 

流星

二面性を全面に押し出してるところが面白いキャラクターだなと思う。流星にだけモノローグがあるのもそうだし、メテオと流星、昴星と天高、そんな風に一人だけ全てが二つのなのが面白い。

友情、というものにこだわる作品だったからこそ、彼の持つ友情への狂気は弦太朗のそれと対比させられるものであったと思うし、弦太朗が主人公でなければ彼が主役になってもおかしくはない濃さだと思う。

だからこそ、完全に合流してからの流星が他のライダー部員と同じように弦太朗シンパみたいになっていたのが切なかった。

 

ライダー部

可愛いなと思う。特に賢吾が好き。

ちょっとユウキが苦手だが、44話でだいぶ持ち直した。

ライダー部はあくまで友達であって、「かけがえのない友である」という関係性は一対一というよりかは複数人数で結ばれている。弦太朗と賢吾はたしかに親友かもしれないが、その関係性に極限までフォーカスされることもない。ライダー部は友人を超えることもなく終わっていく。あれだけ隼が美羽にアプローチしても、あれだけ流星と友子が近づいても、薄っすらと漂うだけで明確な結論は描かれない。それがフォーゼにおける絆、つまり友情ってことなんだと思う。そこから先ではなく、まずはそこ。

 

ホロスコープ

この世界における大人は本当に全く信頼できない。まず敵が教師(学生における最も身近な大人)であり、天高に起きている異変についても大人が介入してくることなく話は進む(介入してきたら話は進まない)。

大人の不在、学校という子どもたちの社会で、子どもたちが何を支えに成長して行くのか、そういうことかなと思う。

正直、ホロスコープスが終盤に駆け足になるのが少し惜しいなと言うのと、キャンサーが強すぎて退場の仕方が残念なのが可哀想だったと思う。

デザインはめちゃくちゃオシャレでかっこいい。

 

ストーリー

「明るさ」と「学校」

未曾有の災害の後に制作が始まったからか、フォーゼの明るさは群を抜いている。そういう作品に、と望まれて始まったことは有名であるから当たり前なのだが、その明るさは私の知る『仮面ライダー』とはちょっと違って新鮮だった。

まあ正直なところ、私のこの作品への苦手意識の一つにその「明るさ」があることは否めないのであるが、ゾディアーツになってしまう生徒や大人のあり方を通して、暗さもまた描いていたわけで、それを思春期特有の息苦しさや疎外感に任せて「暗い」描き方をせず、明るく描き切ったところは非常に好感が持てる。求められていたことをやり切ったわけだから。

ラストバトルの「先生からの卒業」は、ここまで見て来たからこその「わかるわかるフォーゼってこう!!」感が強かったし、学校がシステムとしてではなく生徒の環境として、生徒自身によって選びとられるというのも非常に興味のある描き方だった。

教師が悪役なのは「学校」というシステムへの不信感にも見えるし、通過儀礼的に存在する「学校」を超えそこにあるはずの将来への不安に繋がるように感じる。

そういうことを超え、自分で選び取っていくことを最終回で描き、一つの成長として位置付ける本作における「学校」は思春期(成長する期間として)──青春の特徴的な象徴だったんだろうなと思う。

繰り返すが、それを深刻に暗く描くのではなく明るく描いたことが、「フォーゼ」らしさであるし、その明るさに内包されることによって暗さもまた明るく描かれるというのが本作の置かれた環境や状況──ヒーローとして困難を乗り越えて行くってことだと思う。

 

全体として

頑なに2話完結を推し進めているスタイルには好感が持てる。一回見る度に2話見てしまう。

学校のオシャレアメリカンハイスクール感も良かった。昔見たアメリカのホームドラマを思い出すし、典型的な日本の教育システムによって育った私には「ファンタジー」な部分もあり、生々しさが無くとても見やすかった。最初の仲間集めのあたりは、まだフォーゼの明るさにも慣れていないので、そういう「ファンタジー」的な感じ方によってよりストーリーに専念しやすくなってたように感じている。

あとは、序盤のペースで十二使徒見つけてたら一年じゃ終わらなくない? と思ったら、ラプラスの瞳という最強パワーでサクサク見つけて行くところがめちゃくちゃ合理的で好きだった。私はそういう合理的に物事を進めるために犠牲にされるストーリー性というか、まあご都合主義的な物語の一側面が好きだ。人間が作ってるという感じがする。それはそれとして、序盤のスコーピオンの苦労を想って涙出るけども。

フォーゼは、ファンが多いイメージがある。正直に言うと、私には向かない部分も多くある作品であることは確かだが、「フォーゼっぽさ」を最後までしっかりやり切ったところは好ましい。そういうブレなさにファンがたくさん付いているんだと思う。