平成二期ライダーマラソンもここまでくると感慨深いものがある。
完走記念に今回もまた感想を残しておく。
先に言っておくと、私は結構好きだった。私は、初めの99日が終わってからが好きかな。
登場人物
タケル殿
圧倒的光属性である。
ヒーローである以上、今まで見てきた各主人公もまた光属性だったと思うのだけど、タケル殿の光は物理的に自分から光っちゃってる。その懐の深さ、暖かさ、まさに仏である。
物語がしきりに「繋がる」ということを強調し、タケル殿は徐々に人間から乖離する能力を手に入れていく。その能力はまさにタケル殿が他者と繋がるために発揮される。その能力の獲得の過程こそタケル殿が仏のような心を獲得していく過程であり、つまりそれがタケル殿が手本とした英雄に近づいていく成長であり、仮面ライダーという英雄になる物語なのだと思う。
「繋がる」ことは「その個人を受け入れ、愛すること」で、仲間、家族がその関係の代表として描かれる。タケル殿はその繋ぎ目であり、先頭。人間から乖離して、一番前で愛を説き続けけてもなお孤独ではなかったタケル殿のあり方が、繋がることで英雄に近づいて行くということなのだと思うし、「ゴースト」の救世主、英雄そのものだなと思う。
タケル殿がおにぎりを食べるシーン、あまりに愛おしすぎて泣いた。
マコト兄ちゃん
途中ヒロインかっつー立場になるマコト兄ちゃんだが、妹・カノンちゃんの問題さえどうにかなれば後は義理のために犠牲になることを厭わないという自己犠牲の人だったなと思う。
その一方で、マコト兄ちゃんの行動原理は「自分がどうしたいか」であることを強調されていたようにも思う。
タケル殿が他者を愛するあまり己を蔑ろにするのに対し、マコト兄ちゃんは「自分があいつのためにこうしたいから」で自己犠牲に走ってる。
マコト兄ちゃんが「己のために己を愛する」ようになってくれたらいいなと思う。
アラン様
見始める前、友人に言われたことを思い出す。「結局あなたはアラン様が好きだと思う」──大正解だった。
アラン様はタケル殿が英雄として目覚め始めてから、まっさらな状態で仲間になる。タケル殿の光属性の影響を一番受けていたのがこの人なのだろう。
アラン様は純粋に民の幸せを願っていて、それを実現するのが父親の理想だと思っていた。アラン様は人間性の奥底から高貴な人だと思う。自分の民を愛していたからこそ、タケル殿と共鳴してともに戦えたんだろう。
アラン様が仲間になってから、私がたこ焼きを食べる回数が増えた。
ストーリー
評判とそれについての雑感
あんまり評判が良くない、ということしか知らなかったのだが、私は意外と好きだなと思った。
評判が悪い、ということもわかる。初めの99日までは「英雄の眼魂」を集める「一話完結」で「タケル殿の光のハグ」*1が解決。努力してくれたみんなにタケル殿が感謝しながら、父と心を通わせて復活。次の99日は「英雄の眼魂と心を繋げ」て「二話完結」で「タケル殿の説法」が解決。最終的には「タケル殿が生き返ること」を目的としているところは変わらないのだが、そこにアデル様ら眼魔世界の「完璧なる理想の世界」の実現が絡んできて、「生き返るためにグレートアイと接触」したいタケル殿と「理想の世界の実現のためにグレートアイと接触」したいアデル様の二重構造になり、英雄であるタケル殿がグレートアイと接触する理由が「生き返るため」なのか「アデル様を阻止する」ためなのかわからなくなって行く。
もちろん、世界を守らなければ生き返ったところで、タケル殿が一年間繋いできた人との繋がりは失われることになる。「死してなお想いは残る」と説くゴーストの中で、繋がりのない人間は生きているとは言えない。だが、この作品は物語のテーマの深化が唐突に訪れるものだから、徐々に掘り下げられて行くのではなく説明されてやっと視聴者に明確に伝わる。
ゴーストは物語を論理的に組み立てようとしていたんだろうとは思うのだ。ドライブが論理的な職を扱いながらも感情の高ぶりで乗り切ったように、ゴーストは心に寄り添う立場にいながらも言葉でそれを説明したかったのではないかと。
だが、あまりにも言葉で説明するが故に全てが唐突になってしまった。感情の揺れも言葉での説明が先立つ故に不鮮明になってしまった。物語の構造もまた、初めの99日を経てだいぶ変わってしまった。そういう不安定さ唐突さが、評判の良くなさに影響しているのかなと思っている。
そんな唐突な物語にも、一貫して描くこともある。
一つは、タケル殿のためにみんなが一生懸命になること。
繋がることを描いている物語であるから、繋がりの中心であるタケル殿は特別である。タケル殿が特別であるということを繰り返し描き、それが各々の登場人物にとっても言えるということを繰り返し描く象徴として、みんながタケル殿のために躍起になるというシーンだと思う。
二つ目は、執拗にタケル殿にお茶や食事を出さない御成である。
食卓にタケル殿の分の食事は並ばず、客の前でさえタケル殿にお茶を用意せず、タケル殿は「またみんなでご飯が食べたいな」と手巻き寿司パーティーを回想し、タケル殿がゴーストであるために食事を摂らないということをずっと最後まで描写し続けていたところが好きだ。
何度も言うが、おにぎりを美味しそうに頬張るタケル殿の姿を見てめちゃくちゃ泣いた。
今まで見た作品(エグゼイド、オーズ、ドライブ、ビルド、フォーゼ、ゴースト)の中で、一番「あなたが何者であれ、私はあなたを愛している」という、「愛」のメッセージが強かったと思う。
SF
寺の息子が主人公でありながら、めちゃくちゃSFだった。
体を捨て合理化を図り、荒廃した世界でも生き残る術を獲得していった眼魔世界の「ディストピア」感も、そこから侵攻して来てデミアによって全ての人間を世界の一部とするアデル様の「管理社会」も、モノリスが繋ぐ別時空という考え方も、総じてゴーストはSF感が強い。ゴーストというSFでないものを主眼に置きながら。
異なるイデオローグを掲げるもの同士(つまり、タケル殿とアデル様、もしくはガンマイザー)の対立であると書けばよりSF感は増すと思うのだが……。それにしても、本編内で語られなかったことが多いような気もする。
でもこの作品を見る上で「ゴーストはディストピア管理社会SF」、これは重要なことだろう。
何事にもセオリーというものがあって、SFにもまたセオリーというものがある。ゴーストもまたそのセオリーを踏襲しているわけだから、語られないところはそうやって補完*2するしかないのかな。
最後に
色々言われて入る作品だが、私は登場人物が悩み、学び、お互いを思い合って、成長しているというところがそれなりにわかりやすく描かれていたことも含めて、結構好きだった。明るさと暗さの含有量も丁度良いと思うし、繋がることは愛すること、愛し繋がりそれが未来へ綿々と流れて行くこと、繋がることも愛することも自分の意思によるものだということを何度も何度も伝える愛に溢れた作品だったと思う。
初めの99日が過ぎてからの物語は特に、タケル殿が仏のように他者を愛し、繋がっていたので、その辺からより好きになったかな。
ドライブも「愛」を描いていたと感じたが、ゴーストの「愛」はもっと博愛的だと思う。仏は救うものだから。
正しく在ろうとすることを愛したドライブと、全てのものを愛そうとするゴーストは、なんか対比して色々考えてしまうなと感じている。
あと、50話のエグゼイド客演の、曲やエフェクトがエグゼイドになるところに「ア、アガる〜〜〜〜〜〜⤴︎⤴︎⤴︎」となった。