サニーサイドアップフォーチュン

映画、特撮、演劇、ダンスボーカルグループ

『黑世界』と『D2版TRUMP』

TRUMPシリーズしか最近観てないらしい。

黑世界

観た順番としては雨下→日和で、配信で見てます。脚本家対談が見たかったのでその日に一気に観て、で時系列としては正解だったみたい。

雨下・日和共に感想としては「ハッピーエンドなのでは」と思った。雨下で幸せを願ってもらったリリーが、今度は誰かの幸せを願って日和を過ごしているという変化が温かいと思う。前提として、永遠の繭期であるのだから、精神的な成熟はおそらくは来ていない*1のだと思うのだけど、どちらも通してソフィへの憎悪や嫌悪みたいなものを持ち(あるいは反面教師にして)繭期の具合を落ち着かせてるみたいだった。安寧はソフィへの憎悪の上にある。ただソフィはリリーと違って友人も家族も十分にいなかったわけだから、心の拠り所がいっそう少ない。そんなに憎まないでやってくれよ……。

シュカとラッカがとても魅力的で、シュカというある意味庇護者から、ラッカという娘にキーパーソンが移っていくのがハートフルだなと感じた。雨下だけ見ていると、影ながら見守り、フォローしているシュカは強火のリリー担というか、その孤高の純潔に対して勝手に神格化しているように見えたんだけど、日和までみてその庇護者(守護者?)の役割がリリーに母という形で受け継がれているのを見ると、養い親みたいな気持ちだったのかなとも思う。シュカみたいなキャラ結構好きなのでまだ語りますが、ソフィを二度絶望させた「ウル」がシュカの希望として望みを叶えるのに役立つの、すごくないですか。

ラッカは、というか朴璐美さんが本当にすごいよなと。年齢・性別の変化を一人でこなす圧倒的技術と情念。ラッカやノクというキャラクターも本当に魅力的で、不死者の家族になろうとする健気な存在を受け入れていくリリーが美しかった。リリーは永遠の繭期だけどラッカはそうではないから、彼女がリリーの年齢を追い越し成熟していく中で、リリーを母(子どもから見て頼れる大人)としてだけでなく、孤独な一人の少女としても認識して行ったんだろうと勝手に考えて辛くなる。そして純潔の少女を母とする血盟議会ヴラド機関所属の戦士という、そこら中にフェチの気配を感じる。

リリーはソフィと違って母があり、父があり、友人があったわけで、すでにその時点でソフィのように狂う道から逸れたというのに、こういう暖かな交流によってどんどん穏やかな方向に流れていくのだなと思う。

歌がLILIUMで聴いたものと同じメロディーであったり、あのクランの子たちは今でも友達であったり、スノウが今でも一番の親友であったり。

雨下三話の突然の中屋敷ワールドとか、シャドとはまた別の地獄を生きる神父様とか、クランを脱走しまくる繭期のヴァンプたちとか、塩の魔人と醤油の魔人感とか、個別にいろいろ感想はあるけども大まかこういう風に思いました。

 

D2版TRUMP

見たタイミングは黑世界の前です。

切磋琢磨あるいは全力投球な感じが若々しい。

既に一度見たストーリーであるのでそこは置いておくとして、役者さんが変わると受ける印象はやはり変わる。ソフィの硬質な感じは一貫してるのだけど、やっぱりウルが本来はこういう、貴族の坊ちゃん然とした、たおやかな存在なんだろうなと思う。15年版のtruthウル、めちゃくちゃ喧嘩強そうだったから……。あれはあれで、本当はとても活動的な少年が体に限界を迎えているせいでもう本を読んでいることくらいしか出来ないというような印象だった。

やはり御伽話を本気にして、それに対して狂ってしまいそうな繊細さはみつやさんの方が「ある」なと思った。

アレンも、航平さんのアレンは言葉は悪いけど白痴という感じがあって、山田裕貴くんのアレンは全部分かった上で確信的に行動してるみたいだった。

猫アレンのことを分かったうえで頭から見ると、序盤のティーチャーグスタフが言う「だから首に縄でもつけとけって言ったんだ」という言葉が、まさにそのままの意味なのだと言うことがわかる。散々粗野で、乱暴な人だと冒頭から描かれていたわけだから、生徒たちに対してもそういう態度でいてもおかしくはなくて深く考えないんだよね……。

cocoon見てからD2TRUMPだったので、散々ディエゴにつまらないと言われていたジョルジュとモローがギャグに走っているの、健気で可愛いなと思いました。

そうなってくるとやはりアンジェリコ様の、ラファエロに選ばれなかった事実からくる思想の歪みが哀れだし、そのアンジェリコを差し置いて選ばれたはずのウルが、今回はクラウス に選ばれずに死んでいくのだという悲しみが深い。

*1:じゃあ精神的な成熟によって繭期の終わりが訪れたりするとどうなるのだろう。