夜明けの星を待ってる

舞台、日韓アイドル、映画、仮面ライダー

ここのところ見た映画の感想⑥

 となりの怪物くん氷菓、ミッドサマーという学生ムービー特集。

となりの怪物くん

あれ、私もしかして東映の映画観てる?(冗談)

映画だからかもしれないが、必要以上に吉田父が春に干渉して来た結果、雫との関係に亀裂が入るわけでもなく。また同様に委員長が何かしらの手段に出た結果、春との関係に躓くのでもなく。なんでわかってくれないんだ、どうして自分にはないんだ、という「自分たちの心の動き」だけに起因した障害が降りかかるのがとても良い。外的なストレスが一切なく、主人公たちが自分の生まれや持ち得るものに対して自分の力だけで乗り越えて行っているんだと思うんだけど、そこも全くと言って良いほど描かれない。なので内的なストレスも高速で受け流して行く印象を受ける。私は「これは癒しだ」と思った。なのでずっと癒されるし、ずっと可愛い。一人も嫌いになる登場人物がいない。

最初の春のアクションシーンの謎ワイヤーは、春が「怪物くん」である以上まあ許そうと思ったが、最後の雫の大ジャンプはダメでした。笑っちゃった。あと正直西野カナしか流れてこない世界にも笑った。西野カナ的世界は五箇所*1くらいのロケ地で形成されている。

ともかくとして、菅田将暉のビジュアルが彼史上ナンバーワンなんじゃないかと思うな。モサモサの、長い前髪で、屈託ない表情をするところが。そもそもとして誰も雫背中を支えようとしない中で、お誕生日に自分の世話を焼く雫の肩を押して座らせたところ「好き」ってなるよね。

 

氷菓

公開した時にいろんな人が怒ってたのでとても真面目に見ています。そこで、私はあまり役者の年齢に対して「キャラクターに近くない」を批判の一つの理由にするのは非合理的*2だと思っているということは先に挙げておく。

そういうことを踏まえると、キャスティングに対して概ね、私は特に言うことはないかなと思う。映画という産業・興業として、考えうる中でイメージに近い人選*3だったように思う。えるだって、奉太郎に有無を言わせない強い目力を持つ人がやらねばならないのだから、限られてくるだろうと思う。

どちらかと言えば演技のプランというか、演出の仕方にはもう少し余地があったのではないかと思う。実写映画なのだからアニメのように誇張できない。アニメのように演出できないということは、アニメの時のようなメリハリは用意できない。えるは摩耶花とのお喋りに夢中でも、奉太郎に気付かないなんてことあるだろうかとか、摩耶花の口の悪さはコロコロ表情の変わるアニメだからこそ可愛いのであって、実際だったら周りにいる人はうんざりしないか、とか。回想シーンと現代の校舎同じじゃね?とか。

ストーリーについては、私が今後の展開について十分すぎるほど知っている故に思うのだろうけど、推理のための資料集めが文書に偏っているのも疑問だなと思う。これは映画云々の問題ではないが、単純な疑問として何故当時を知るであろう人に対して尋ねないのかという疑問が湧いてくる。親類とか。原作には理由書いてありましたっけ? ピースが綺麗にハマっていくのは本当に気持ちいいけど、出来ればもっと奉太郎が説明する方が良かったのでは。結果先生に全部説明してもらってるんだよな。

というか、淡々とした話なので映画として向いてるのかとかいうそもそもが気になって仕方なかった。

と、気になることばかり言ってるのは低評価を前提に話してるからで、序盤から出て来たことが全部最後に結論に収束していくこと(鍵のこととか……誰も説明してないかもだけど……)や、山崎賢人は結構ハマり役なんじゃないかと思う。

すごい好きな人が多い原作だから色んなことを言われてるんだと思うけど、作り自体は丁寧だと思う。文集刷りすぎてたからこのあとクドリャフカの順番まで行くんだろうな。

 

ミッドサマー

最初に鬱の妹が暴走して心中を成功させるわけだが、そこで挫折しそうになった。

ホルガ村が美しいので持ち直し、そして飛び降りでまた折れかけた。はっきり言って映画としてわかりやすい盛り上がりがなく、夢中になって登場人物を応援したりするようなあつくなる作品じゃないと思う。それをつまらないと表現するのか、どうなのかは個々人に任せる。

なぜこのような映画を観てみんなが癒しだというのかよくわからないなと思っていたけれど、ダニーが踊るシーンくらいから私も癒しに近いものを感じていて、つまりそれはたぶんダニーとホルガの人たちが共感しているということに対する私の安心感なんだと思う。ダニーはクリスチャンはじめとして、妹ともほかの同行者ともさして心を通わせることもできずにいたところ、ホルガ村の人々がダンスで一体となり、泣きながら呼吸を合わせてくれる。そういう共感の姿勢に言いようのない穏やかさみたいなのを感じたし、最後に微笑むダニーを見てなんだかすっきりする。まあ実際この共感はマヤに対しても、最初に死んだ老人にも向けられるものであるから、これが普通として村の中では成り立ってるんだよね。

とにかく衣装が、ホルガの建物や衣装が可愛く、確かにグロだけど暗がりからクリーチャーが出てくることも幽霊が急に出てきて大きな音が鳴るわけでもない。こういう静かなホラーというのは実に私好みであったし、実際気に入った。土着の信仰とかしきたりとかそういう、外部から見たら何も理解できないのに社会の維持に必要だから続いているという仕組みもエンタメとして好き。それに一度出てきたものは絶対にまた出てくるという、多数の反復が気持ちよかった。一回出てきたものは何度再登場してもいいんですよ。私が気持ち良いので。

なによりダニーがすっきりとクリスチャンに別れを告げることができ、かつ、自分を置いて行った理解しえなかった家族(妹)よりも、深く寄り添う「家族」を手に入れたことに私が安心している。そこにダニー本来の自我があるなし問わずだけど。

でも、インターネットで皆さんが「ヒーリングだ」とか言って大バズりするほどのことだったのかはわからない。だけどグーグルで「ミッドサマー キノの旅」とサジェストされて私の安心感の一つがわかった気がする。私、子供のころキノの旅めちゃくちゃ読んでたんだよね。

*1:そんなに少なくないだろ。

*2:ただ、里志がショタ(という表現も適切ではないと思うけど)ではないことにはびっくりした。もっと幼い外見に寄った役者がやっているのかと思ったからだ。里志は完全に飄々とした雰囲気を活かすためのキャスティングだった。

*3:山崎賢人の悲哀はここにあって、私としては奉太郎という少年の持つ雰囲気なんかはとても近いものだと感じているんだけど、山崎賢人が実写化請負人みたいになってしまったことで損をしていると思う。大人が悪いよ大人が