サニーサイドアップフォーチュン

映画、特撮、演劇、ダンスボーカルグループ

1年が経ちました

人間の生死と家族にまつわる非常に個人的な日記で、かつ家族親類との仲がかなり良い人間に地雷がある人は自衛お願いします。

祖父が亡くなってから1年が経ちました。

この様な書き出しで日記を始めれば、COVID-19で亡くなったようにも見えるがそんなことはない。ただ風邪が治らず、軽い肺炎を起こし、そして眠るように逝った。私は、そういう時に限って出社していたのだけど。

当時、プライベッターに彼が亡くなるまでの少しの思い出話と、彼が亡くなった当日と、葬式の話を残した。祖父が亡くなってすぐに書いた日記だった。今ここにそれを再び記すことはしないが、つくづく私は文章を書きたがる性格*1をしている。

一周忌は、この間親からの連絡で、大半の親類がワクチンを打つ*2か世間の大半がワクチンを打つかしてからやると連絡が来た。それはもう一周忌どころの話ではないのでは、と一応子ども世代年長者として進言するだけしたが、「致し方なし」との返事だった。私は、鰯の頭も信心からと思ったし、親らしい判断だと思った。親類も納得しているようだし、私が口を出すことでもない。まあ祖父はおおらかな人であったし、私たち孫にも親たちにも本当に甘い人だったから許してくれると思う。

ので、特段一年経ったらしいことは書けない。

唯一、葬式の当日に書いた内容から日数が進んでいるっぽいことを記すことにする。納骨の話だ。

祖父は、祖母が大好きだった。よく彼女と過ごした日々のこと、彼女がいかに素晴らしかったかを語って聞かせてくれた。祖母が亡くなった時私はギリギリ赤ちゃんとは認識されないくらいの年齢だったので、祖母とのかすかな思い出もあるのだけど、多分祖父としてはその記憶のない孫たちに、祖母のことを覚えておいて欲しかったのではないかなと思う。

というわけで、祖父は祖母が亡くなった時当然喪主を務め、全てを取り仕切っていたわけだが、納骨の折ほぼ全ての親類がすっかり忘れていた祖母の骨壷のデザインが発覚した。

めちゃくちゃ豪華だった。平安時代の寺社仏閣みたいだった。

厳かな雰囲気の中、親族一同その場では何も言えなかったが、駐車場に退避して「すごいデザインだった」「あれはおばあちゃん驚く」と笑いが起きて、「おじいちゃんらしいな」となった。品物を選ぶならせっかくだから良いものにしよう、というのは祖父の性格だった様に思う。常々、わりかし何につけてもそうだった気がするが、それが祖母に関連することであれば尚更だった。

そんなわけで、1年が経った。コロナさえ無ければもっと沢山会いに行けたし、時間も共に過ごせたと思うと憎々しいものだが、ひとまず1年無事に過ごした。

ちゃんと一周忌ができることを祈って、日記として残す。

*1:初めて親知らずを抜いた時も日記を書いた。

*2:奇跡的にアレルギー体質の人間がいない。