サニーサイドアップフォーチュン

映画、特撮、演劇、ダンスボーカルグループ

ミュージカル『ヴェラキッカ』

配信で見た。末満さんのスイッチングの方です。

とにかく美弥さんありきの作品で、TRUMPシリーズで宝塚をやるならこうなるし、宝塚でTRUMPシリーズを上演するならこれをやるのだと思う。最後の羽を背負ってないだけの階段降りでめちゃくちゃ笑ってしまった。「美弥さん」という男役出身の性別の曖昧さが、ノラという曖昧さを最大に活かしていてとにかくピッタリ。

どういう理由でみんながノラのことを愛しているのか、おおよそわかってくる中で序盤に感じたキモさがだんだん美しく思えてくるのだけど、実際にはその美しさというのはシオンのイニシアチブの上に成り立ってる。シオンは幻想の中にあるノラの解放のためにヴェラキッカ家のみんなのイニシアチブを解いたというけど、実際のところはわからない。最後のカイの言葉や行動だって、シオンが望めばカイはやってくれるのだ。イニシアチブはそういうものなので……。

だから最後の結末はノラが望んだからじゃないのだと思うと、やはり普通にキモい。そもそもこのノラの望みも、全て共同幻想の中にあって生まれたものなのだから、愛してほしいというキャンディの素直な欲求や、みなの"こんな幻想から醒めたい"という意思をただ反映したのだとしたら、愛とは何と身勝手なものだと思う。カイが本当にシオンのイニシアチブから覚めていて、カイの意思でシオンとノラを会わせたかったのだとしても、それはノラのためなのか、むしろ共同幻想を強いたシオンへの復讐にしかならないようで怖い。いずれにしても死者は語らず、死してなお冒涜され続けるとも言える。愛は呪いなので……。

でもね、これはハッピーエンドだよね。なぜならノラはもう一人じゃないし、キャンディがああやって正気な語りをするのであれば、仮にシオンがイニシアチブで「イニシアチブを解くようみんなが求める」ことを命じていたとしても、その後イニシアチブから解放されたのだろうし。カイはシオンと相互にイニシアチブを握りあうから、シオンを噛んだところから以降きっと共同幻想には戻れないだろうし。『ヴェラキッカ』という側面だけで見たら、美しく刹那的なハッピーエンドに見えるように作られてるのが趣味悪くて最高。屋敷も燃え落ちなかったし、ライネスが流れる中大量殺戮も起きなかったし……。

ノラの衣装やヘアスタイルがコロコロ変わるのが、全部素敵でもちろん良いのだけど、わかりやすく不穏の種を撒いてる感じでとっつきやすいなと思った。繭期は厄介だけど、『ヴェラキッカ』は繭期が引き起こす問題じゃないし、越繭しても人の気持ちとか事情や立場は本当にままならない。『ヴェラキッカ』はそういう人の気持ちの、優しさとままならなさの上にある物語で、突然の執着・突然の「君は僕であり、僕は君だ」ではないところが万人に観やすい感じがした。あと歌がいい。

今回、ほとんどノルマは果たされないが、届かぬものが星ではなく目の前の「あなた」なのだというのがよかったし、触れ合うことはなかったとしてもおそらく愛は伝わっていたのだ、ということを願わずにはいられなかった。