サニーサイドアップフォーチュン

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感想『HiGH&LOW THE WORST EPISODE.O』『6 from HiGH&LOW THE WORST』

発端の映画の感想

HiGH&LOW THE WORST EPISODE.O

大人になっていく人たちと、まだまだ高校生のみんなのビッグな感情が入り混じったドラマだった。これは観た方が映画の解像度が上がる。

まず、大前提として年齢差を勘違いしていて、全日では轟最年長で2年に楓士雄や司がいるもんだと思っていたが違った。全然みんな三年生で、同い年だった。本当に申し訳ありません*1でした。

楓士雄が伸び伸びと田舎で純真無垢に育っていくなか、楓士雄が引っ越すことも彼がいない学校にも悶々としてる司が哀れ可愛くて、次のステップを見据え始める村山と、不器用に言われたことを真剣に勉強しながら考える轟が真面目可愛い。楓士雄や村山が自発的な行動の結果学んだり成長したりできるから余計に置いてけぼりを食らう可哀想な構図。本当に可愛いね。

家の事情だから行くなよとも言えず、自分も子どもだしついていくわけにもいかず、しおしおしてた司が村山に「頭とはなんたるか」を学んで楓士雄が相応しいなあみたいに一人でなってるのすごい健気だった。それで派閥も作ってしっかり無冠にならないようにして待ってて、実際帰ってきたらそりゃああの笑顔になっちゃう。土砂降りの喧嘩のシーンとか色々考えちゃうよね。寂しいって言いそびれたイライラかなとか、元気出せってことかなとかさ。

あと、全編通して大人になろうとする人たちが散りばめられた印象で、だからこその村山の定時制と全日制の決別宣言なのだなと思った。村山たちはもう何度も留年を繰り返していて良い大人だけど、全日制は義務教育から上がってきたばかりのお子さんなので、定時制定時制なりの親心があったんだなと思った。私が見ていない過去作で死んでもおかしくないような抗争があって、それから遠ざけたりすること。ちょっと違うかもしれないけど、そういうヤバすぎる世界じゃなくて例えば派閥争いとか高校同士とかで済めば速やかに社会復帰していけるってことなのかなと感じた。村山たちを助けにダンプで追いかけてきちゃう轟、すごく健気ですね。

轟は強さに固執していて、だからこそトップの村山に固執していて、であるからこそ自分を歯牙にも掛けない村山に苛立つし目標の座から降りようとする村山にキレてたってことで良いのかなあ。自分が頭になる、というのは轟にとっては定時も含めた全体のことで、だからこそいつか打ち倒すべき村山のアドバイスなんかも汲みながら『君主論』なんて読んでみたり、他校にやられた鬼邪高生の話を聞いてケリを付けに行ったりしてたわけだし。映画見ながら「人望だけがなさすぎる……」と嘆いていたけど、辻や芝マンにはちゃんと信頼されていて、村山なりに色々教えてくれてる風であるとやっぱり本人があんまり人付き合いが上手くないのが問題だと思う。映画を経て楓士雄が全日を纏めてるんだから、もうそんなに大きな問題じゃないのかもしれないけど。本人が不器用ゆえに、他者から轟の奥ゆかしい健気さや異常にストイックに上を目指す真面目さに気づいてもらわないといけないというのが、上手くトップに君臨できない一種の障害だったんじゃないですかね。

泰志と清史も楽しそうで良かったんだが、二人がゾロゾロ引き連れて転入してきて教師に案内されてる図めちゃくちゃ面白かった。一応教師いるんだ。二人が楽しそうにしてるのも最早可愛く見えてきている。

ハイロー見て可愛いみたいな感想しか出てこないの本当にバカだと思う。

 

6 from HiGH&LOW THE WORST

6人は可愛い。

やりたいことはすごくわかる。6人の日常であるとか夢、その後の進展をやりたいというのは伝わってきたのだけど、誠司や基晃の問題の大きさというのは6分割された分量で足りるというものでもないと思う。人情を描くとしてこのストーリーラインになることはそんなに違和感のあることではないが、引き起こされた問題の回収がぼんやりとしすぎていて、処理しきれないなら引き起こすのはどうなんだと思う。

記憶喪失のネタ、めちゃくちゃ狂ってる新キャラというのはそれぞれ2時間たっぷり映画になるレベルの問題だし、非常に勿体無い使い方かなと感じた。どうせなら基晃に絞るか、誠司に絞るか、あるいは新太に絞るかした方が良かったように思う。

また、一応HiGH&LOWの名前を冠している以上、日常ものをわざわざやる必要があるのかなというのはちょっと思った。私は『THE WORST』からの視聴者かつまだ見たのも二週間前くらいの話なのでそういうものかと思って見ているけど、みんながみんなそうではないだろうから。警察とか言われると「じゃあ今までのあれこれは警察介入しないのかな」とか思ってしまうし。

ただ、映画で使えるようなシリーズを代表するロケ地(鬼邪高とか)というのは使えない状況であろうし、登場させられるキャラクターも少ないし(あるいは出したいキャラクターがいること)、色々な制約はあったと思う。必然的に楓士雄たちを外に連れ出す必要があって、そこからこういう日常人情ストーリーになるのは私の中ではそれほど気になるものではなく、上記のように処理が勿体無いという感想以外はそれなりに楽しく見た。

*1:別に誰か特定の人に謝罪しているわけではなく、概念に向かっての謝罪。