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舞台『刀剣乱舞』禺伝 矛盾源氏物語 感想

ネタバレ考慮なしですがこれは批評ではないので解説は一切なく、ネタバレというよりは観劇済みの人に向けた文章です。

舞台『刀剣乱舞』 禺伝 矛盾源氏物語

面白かった!私は虚伝が一番好きなのだけど、そこに匹敵するくらい良かった。

女性だけでやるからには、女性が置かれている立場や視線に対して無視をしないというストーリーで、源氏物語というとにかく古い価値観のもとで書かれた物語の女性であるゆえに、女性としての苦しみとさらにそれが創作されたものであるという苦しみがあり、またそれを紫式部という女性が描き出すに至った苦しみと、創作物からの作者への怨嗟があり、それが名前のない男という狂信者を産み、その狂信が光源氏藤壺に重なっていくという多層的な構造としての面白さがある。さらにその多層は舞台上の設定を超えて、演者が女性であることや、刀剣乱舞というゲームの流動的なメディアミックス展開、観客と制作と演者という舞台の区切りを消し去った問いかけに繋がるのが良い。最後の日の出の演出とセリフなどは、演者が宝塚歌劇団という集団の中で、性別という大きな違いを持つ役を演じる「男役」としてファンを多く持ち、一度退団してなお俳優であり続けることを選んだ彼らが言うからこその重みがある。

メタ的に見て女性が登場人物の女性の持つ苦しみに対して連帯的な視線を持つことや、それを手癖っぽく「愛」へ帰結させる展開、さらに観客側の「女性が刀剣男士を演じる」ということに対する様々なムーブを見ていると、かなり批評性の高い舞台作品であると言える。この舞台作品を観てなお、生物学的な女性が男性を演じるということに対して、「やっぱイケメンが舞台やってるところが見たいな」というような素直な欲望以外の言葉で批判するとしたら、本当に公演を観ての発言か甚だ疑問である。個人的には、同じような俳優がぐるぐると巡って*1公演されている今の界隈に、新しい風が吹き込まれたことで本当に楽しみにしてきた作品だった。

「愛」への帰結が手癖なのは、産地が同じなら仕方ないこととは思う。何かを愛し、その愛に対して理想を願ってしまったからこその創作であり、その愛に応えることを決めたからこその俳優であるとは思う。ものの、平安の女性という精神的なものより他の手段を選べなかったであろう人たちが、創作物の上であっても愛という事実に帰結してしまうのは、すこし残念でもあった。

女性向け*22.5次元作品において、女性というのは徹底的に排除されてきたと思う。マーベラスが今回の公演を企画した真意まではわからないので、これは私の所感でしかないが、現在マーベラス系の2.5次元作品を支えているコア層の客は確実に移ろい始めており、体感でしかないものの、かつての時代*3を支えた若手俳優厨たちの流出は激しいはずだ。そこ向けの公演というわけではないにしろ、新たな客層や新たな興行という意味では刀剣乱舞というふわふわした枠組みの原作は最適であったと思うし、すでに舞台という仕事の素地と一定の集客力のある宝塚OGという出演者は合理的である、と思った。

創作やその中でもたらす苦しみに対して作中で「地獄」と表現することは、末満さんが自身の書く物語に対して、観客が簡単に「地獄」という言葉を使ってきたことへのアンサーであり自覚であり指摘であると思った。何かを語るときに、その言葉が簡単で的確なのか、その言葉が回り回って何の足枷になるのか、そういうことを思う。

「伝」というのはステで共通して使われる定冠詞*4な訳だが、明確にこの本丸が荒牧山姥切本丸とは別であると示されたのが、まあそうかとはおもいつつ、やはりステにおいて演者の同一性は意味があることなんだろうなと思った。つまり、この本丸においては、OGが刀剣男士であることが個性の一つであり、別個体である証なんだと思う。禺伝の歌仙兼定や大倶利伽羅が「僕には僕の、君には君の」というセリフなど、虚伝を思わせるところがあるのもこの本丸において最初の物語であるというのを感じるのが好きだった。

禺伝発表時に危惧されたもののうちの一つに、殺陣があったと思うが、これを存外しっかりやっていたのは素晴らしいことだと思う。殺陣さえできてしまえば、正直他のことで普段公演をしている若手俳優たちに劣るものって思いつかないというのもあるが、定期的に差し込まれる殺陣と決めセリフあってこその刀剣乱舞*5の味わいだと思うので、そこをそのままに製作されたのがとても良い。一方で真剣必殺は無くなっており、これは確かに殺陣の最後の見せ場のような意味合いもあれど、今や半裸で*6やってるということの「何故?」感があると思うので、個人的にはないのであればないに越したことはない。そうなってくると当然、傷メイクもない。早変えがない、というのは負担も減ると思うし良いのではないかなと感じた。負担の軽減という点ではオープニングエンディングの歌唱もなかった。そのぶん、訓練が行き届いたダンスが素晴らしく、手先や腕の角度、つま先の方向が六振り違わず美しい。俳優の話は別項立てるか何か考え中ではあるが、所作の美しさとそのいやらしくなさはやはり長年の経験あってだと感じた。

 

20230212追記 公式ダイジェスト動画のリンクを挿入しました

*1:これは、しょっちゅうキャス変しろというい意味ではない。

*2:男性若手俳優が演者の大半を占める公演、という意味で。

*3:例えば、2013,4年から17年頃くらいまでの機運など。

*4:という表現で良いのかどうか

*5:刀剣乱舞としての原作の情報がそのくらいだからということであって、これが今後も存在していっても良い演出なのかは別問題です。

*6:真剣必殺の絵は半裸なので仕方ないと言えばないが、それを観客側が見せ場としてまなざすことに若干思うところがある。