キュウレンがあまり面白くない(体感)間に始まったビルドがめちゃくちゃに面白い。
まず、男性が二人並んで戦うということそれこそがメ……を思い出させるので加点である。
というか、仮面ライダーは割とそんな感じなのかもしれないと、映画を見て思った。
ビルドに対する批評であるとか、そういう小難しいことは特撮専門で書いてる人のところを読めばいいと思うので私は何にも書かないつもりでいる。だが一つ思うのは、いろいろインタビューやヒロビを読むと、ビルドとはこれまでの平成ライダーの美味しいところ取りなのかな、とは感じている。
見てなさすぎてわからないけど。
ワカハイ学科の必修(あるいは選択必修)の科目であることは間違いないと思うのだ。
というわけで、感想を綴る。
かつて主人公であった永夢(それまでのレジェンド達)と、今の主人公である戦兎は、すでに「仮面ライダー」としての人格が確立し、それに対し龍我が「映画の主人公」として成長物語の主人公に据えられている構図がとても美しい。
戦兎は目覚めてから一年間ビルドとして戦ってきており、永夢もまたテレビシリーズ一年間を通してエグゼイドとして成長していることを考えると、戦兎が本編で龍我の導き手として在ろうとするそれは「映画で龍我に仮面ライダーの在り方を見せてくれるレジェンドたち」と同じなのだなと思う。戦兎はもうある程度の成長と成熟を経ているから、クローズになったばかりの龍我の成長が描かれるのは、今後龍我がより戦兎の相棒として並び立てるようになるその一つの布石になるんじゃないかと興奮する。本物のメ……アになってくれ。
あと戦兎の「ラブアンドピース」は「ラブアンドピース」のために戦っていないと一つの人格として危ういので、それを言い聞かせてる感じも切ない。葛城との因縁も、いよいよもって現実味を帯びてきたことであるし。
エグゼイドを見てこなかったので申し訳ないのだが、パラドの子供のような純粋さと永夢の穏やかな関係がとても魅力的だった。記憶が無くアイディンティティが危うい戦兎と、冤罪や因果を背負う龍我には是非とも互いを叱咤し、支え合い、背中を預け合う救い人であってほしいと考えているのだが、パラドと永夢はネタバレを読んだところ運命の双子 - Διδυμοι -(Sound Horizon official website)なのでは?と感じている。永夢もパラドも元気そうで本当に何よりなんだけれども。
仮面ライダーって、「仲間の結びつき」推しの戦隊と違って、「個と個の結びつき」みたいなのを重視しているような印象が私にはあって、主人公はもちろん全ての登場人物と絆を深めて行くけれども、そのなかでより濃い結びつきを持つ相手が一人いるのが定番なのかなと思う。パラドが一生懸命「永夢!」と呼びかけて永夢がずっとパラドのことを心配しているのとか、ちょっと重い兄弟のような印象を受ける(ネタバレ読んで兄弟どころじゃねえなと思ったけれど)。
そのあたり、戦兎と龍我はこざっぱりしてるよな。そういう気負いしない関係が二人が結構大人で自立した人生を歩んで来た感じがある(他のライダーの背景をあんまり知りません)。
龍我の達した結論もとても彼らしくて良い。
彼は別に2号ライダーであるし、彼の背負っているドラマを思えば(もしくは人間の感情で考えれば)「ラブアンドピース」のために戦えなくて当然なところを、「自分を信じてくれた人のために」という“裏切りようのない理由”みたいなので戦うことを決めて戦兎のところに赴くのが相棒という感じ。このへん見てるとき「なんでもかんでもメ…イ…って言ってごめんな……」と思っていた。二人はべつにワールドリフォーミングの後の世界で生きてるわけではないのだから、二人は二人らしく相棒になって行くんだよな……とジーンとしていた。龍我は戦兎のことなら信じても良いと言っていたし、同じことを戦兎も思ってる(仮面ライダービルド 第10話 滅亡のテクノロジー | 東映[テレビ])。そもそも龍我の冤罪を最初に信じたのだって戦兎だ(仮面ライダービルド 第1話 ベストマッチな奴ら | 東映[テレビ])。
しかも、
運命のベストマッチ
仮面ライダーである桐生戦兎。しかし、彼にはここ1年間以前の記憶がすべて欠落しています。『仮面ライダービルド』の1話のポイントは、既に仮面ライダーとして能力を発揮する戦兎が、その記憶喪失の謎を解くためのキーパーソンである龍我と出会うところにあります。その龍我は、よりにもよって刑務所から逃げてきた脱獄犯。無実とはいえ罪を背負った龍我との出会いをキッカケに数々の奇奇怪怪な出来事が巻き起こります。そんな二人の運命の出会いを、絶対にお見逃しなく!
「運命の出会い」だったわけだ。ックゥゥ〜〜誰に仕組まれた運命なの? スター…なの? Moira(Sound Horizon official website)のみぞ知るの? ス…ークなの?
全て終わって帰ってきた二人が一つのベッドに倒れこむシーンがあって、「別にメサ……じゃないんだよな、うんうん」と納得(?)したはずだったのに、急に珀と鋭利みたいなカットが大写しになってビビったことは認める。
あと書き忘れていたのだが、オーズのオタク大丈夫? 息してる?
オーズ、入野自由の声が聞きたくて何度か見た程度の私ですら途中泣けた。
映司が掴み取ったそれは映画だからこその奇跡であり、奇跡であるから永遠でなく、アンクの切ない表情とともに消えてしまうところがもう涙無くして見れない。終わりゆく平成の中で映司とアンクが再会できたのは、運命のようにも監督の愛情のようにも思える。これから二人がまた再会できるのだろうか、また並び立つことができるのだろうか。運命は残酷だ。されど彼女を恐れるな。Moiraが戦わぬ者に微笑むことなど決してないのだから。
龍我の成長物語として本当に熱かった。もちろん龍我の成長だけでなく戦兎の不穏な背景を匂わせる、正真正銘ビルドの映画だった。
なんだか今回はいろんな人の感想のキメラみたいな文章になってしまったが、運命に執着したキモキモブロガーはそう多くはないと信じて公開する。