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舞台『COCOON 月の翳り』感想

再び繭期。

アンジェリコラファエロに対して自分と分かり合えるもの、父たちの重圧について耐えうるものとして見ていて片思い。ラファエロはそうあろうとする自分に疑問を持ってしまい、イデオローグとして現れたディエゴに惹かれる。ディエゴは自分が望んだものに追いつめられ、初めからその位置にいたアンジェリコラファエロをねたむ。ドナテルロもグスタフのように爆発した感情の発露が欲しかったけど、グスタフはそれが嫌だった。片思いが頻発するなかで、一体どこでクラウスは100年も前に死んだ少年に片思いしてるのか……。

TRUMPはシリーズ内で役者を変え時系列を変え、同じ人物を何度も描く関係上からか、非常になんとも繰り返しの描写が多い。つまりはそれが因果で、縁ということだと思う。この構図もSPECTERに近いものを感じるし、使われる語彙などにはLILIUMを感じる。

アンジェリコラファエロについて。私はラファエロがウルに固執する原因を、父からの命令として理解していたけど、ちゃんと愛していたんだなというのが意外だった。腹違いの、ダンピールの弟だ。あれだけ血筋に対して特権的な意識が染みついた貴族社会で、ウルがラファエロにとってちゃんと弟として、無条件に愛すべきものとして受け入れていたというのがとても貴重なことのように思う。でも、あれか、SPECTERでもハリエットに対してはさほど興味を抱いてなさそうだったクラナッハも、いざ子が生まれるとなったら焦っていた。父親というのは、出産を伴わない以上誰かが「あなたの子」と伝えるしかなく、兄弟もまたそれに近いのかなと思う。これはあなたの守るべき弟、庇護すべき対象ですよって。

ただ、なんというか。クランに来る前は父というイデオローグに、クランに来てからはディエゴという新たなるイデオローグに振り回されているという印象が強い。TRUMPでもまた、ウルその人に振り回されていた。彼が、主人公として、何かを解決に導くような人ではないのだと思う。彼は彼で強く、もしくは愛を持って頑張っているのはわかるが、彼が彼自身でなにかを打開していくような人であれば、きっと死ななかった。

ウルを、父に言われたからではなく自分の愛する弟として守ると決め、そこに自分の存在意義を見出した人が、自分を選べ、父の後に続け、君ならそれができると言ったアンジェリコを蔑むの、勝手だなと思う。ラファエロだって自分の存在意義を外注に出しておきながら、アンジェリコが「自分と同じような存在が頑張っているのだから」という存在意義を欲することを拒絶しているということでしょ?自分勝手だよ~~。

アンジェリコはつらいな、ずっとつらい。最初に目がどうという会話をしていたところからずっとつらい。なぜなら私たちは仲たがいした二人を知っているからだ。アンジェリコ様がかわいそうなのは、並び立つ貴族として、友としてのラファエロであることがたしかなのに、それがこの厳格な階級社会によってもたらされた重圧であるからそれさえなければもっと簡単にラファエロと友人になれていたとわかって(あるいは思い込んで)いることだと思う。

TRUMPで見たアンジェリコ様の言動になっていく、変化していくことがとても悲しい。COCOON始まったときあんなにキュートだったのに……。

親から期待されても拗れ、放任されても拗れ……。親とはいったいどうしたら繭期の具合が落ち着いた吸血種を育てられるのか。結局泣き虫アンジェリコと甘えん坊のラファエロなんだよね。

ディエゴ、自分の置かれている現状がいやで仕方なかっただけなのに、逃げ出しただけで悲劇を巻き起こしていて可哀そうな子。自分でついた嘘に苦しめられ、さらにイニシアチブを取って望んだものが愛だったわけだから、実はとてもやさしい子だったのではないかと思う。嘘の上に成り立つディエゴという人格において、エミールやジュリオとの友情は嘘じゃなかったろう。嘘じゃなかったろうとはた(エミールやジュリオ)から見て思うのは、本人がついた嘘が本人にとってどれほど重大であったかを知らないからであるということがつらい。

敬愛する父だったのだろうな、最後にディエゴがイニシアチブでの支配をやめたことからもわかるというか、推測だが。きっとディエゴもちゃんと大人になれる。ただもう出てきた瞬間に「どう見てもダンピール」と思った。あとディエゴがフラの血筋についてアンジェリコに言い放った時、すごく嫌な予感がしたけどグランギニョルを見せてくれ。繭期のヴァンプは勘が鋭いんでしょ。

ジュリオがとても共感できる、とんでもなくまともなキャラクターだった。退屈ゆえにディエゴという提唱者に追随するのも「わかる」し、バランスを取ろうとするところも、クランでのことを大人のまなざしで振りかえるようになってしまうことも「わかる」と感じる。エミールとジュリオがとても一般的な感覚を持っていて、確かに繭期っぽいことはあるけども、クランを出ていくということ、繭期を越えるということがどういうことなのかをよく示していると思う。彼の共感覚で見るディエゴや、ラファエロや、アンジェリコの色が「血のような赤」で、これが心で血を流すが故に舞い散る花弁で表現されるのが素晴らしい。この赤い心の色のためだけに、最後にラファエロとアンジェリコが赤い衣装を身にまとい、ラファエロに負けたアンジェリコの慟哭に合わせて大量の花弁が天井から落ちてくるのだ。アンジェリコがそれだけ傷ついている……。あの瞬間、私たちはジュリオと同じ景色を見ている。

エミールの演出がすごくよくて、じゃあ私たちが見ていた舞台の景色はずっとラファエロの目を通してだったということになる。ぞっとする。

 

今回の場合は、TRUMP――つまりクラウスはそんなに因果に関係してこない。いるはずのクラウスが名前だけ出るにとどまるのは、出てきたら彼の因縁を描かざるを得ないからで、今回のストーリーには必要ないからだったんだね。逆に言うと、今回の騒動に関してクラウスは心底どうでも良いと思っているんだろうなと。

最初の因果はグスタフとドナテルロが目をつぶしたことにあり、片目が銀ということはつまり初代の萬里さんの関係者であり、これはいったいどこで説明されているんだと混乱している。

ドナテルロのやばさはグスタフのように、あるいはエミールやジュリオのように繭期を越えてなおも、自分が思うような繭期を過ごせなかったと固執していることに端を発しているということでよいのかな……。

よくある幻覚症状、よくある暴力衝動だったとしても、ドナテルロの繭期はきっとそれほど深刻ではなかったんだろうな。そういう意味ではドナテルロはきっとジュリオに近いものがあるんじゃないかと思う。ジュリオにとってのカリスマがディエゴだったように(退屈しのぎの一番面白い相手がディエゴだったように)ドナテルロの代では一番グスタフが強烈だったということだろう。

 

というか今回殺陣の量が多く、それゆえにクランの中の治安が最悪だったのが面白い。TRUMPの時だって因縁をつけてきてねちねちと喧嘩することはあったが、ここまですぐ殴り合いにはならなかったろう。みんな、階級社会なんでしょ!!品よくして!!と思って笑った。中学校なんかじゃ、何代か前の先輩が最悪なまでに荒れてるなんてことは日常茶飯事*1だから、そういうことにしておこう。

 

誰も死なない、が苦しい。生き、乗り越え、受け入れることは苦しいことだ。

繭期のままになった吸血種を知る分、大人になるであろう吸血種を見送る中で失わない未来を想ってしまう。

*1:少なくとも私が育った町では。