サニーサイドアップフォーチュン

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舞台『COCOON 星ひとつ』感想

繭期

ウルの話だったので『TRUMP』のリブートなのかと思ったのだけど、ということは説明回なんだなというふうに思った。

これまで楽しんできた余白のいろいろを、今の解釈分かっている情報をもとにするとこうなりますよという作品がこれなんだなと。

それがつまり今まで語られなかったウルでありウルの視線であり、ソフィへのコンプレックスや憧れであり、ラファエロや萬里の親類としての情であり、『TRUMP』の後ろでダリ卿やクラウスが何を思っていたのかということになる。

『SPECTER』を経た上で描かれた物語において、萬里さんがソフィを背にしてラファエロと喧嘩をするのが良かった。あの時(NU版)ソフィばかりにラファエロが言い募るのが不公平だと思っていたけど、萬里さんもああやって甥っ子可愛さにラファエロに声を荒げるシーンがあるのが良い。『TRUMP』を観ているときに思うラファエロの頭の固さに対するカウンターになっていてスッキリする。

『月の翳り』を観た後に『星ひとつ』を観るとやはりラファエロにはウルが言うように自分がなく、自分で何かを切り開き、何かを変えていく主人公としての気質に欠けている。ラファエロがデリコという家名においてしか何かを説明する術を持たなかったのが問題だし、もっと言えばダリ卿が兄弟に対して何者であれ息子として愛しているという全面的な肯定をしないのが問題だったんだろうけど……。

繰り返すが、メリーベルがルルミナという知らぬ名前になっていたり、様々なTRUMPとSPECTERと、月の翳りと観てないグランギニョルを経たのでやはり全体的に余白を説明するための作品なんだろうなと思うし、基本的にはそういう説明回のことをあまり好かないのだけど、解像度の高くなったウル・デリコという少年に対する庇護欲がむくむくと湧いているので結果的にはありの方に傾いている。

ダリ卿が、その場にいないソフィがウルを守ろうとした事実を悟るのが、己がイニシアチブを取ることでウルを守ろうとした過去がある故であるなと思うし、私はこのシーンですごい泣いたし、ウルとダリ卿は血が繋がってないのかなと思った。

解像度が高くなったといえばアンジェリコ様である。

繭期が拗れてああなったのは確かなんだけども、月の翳りがあったからこそ星ひとつのような拗れ方をしたのである。繭期の具合が良くないことを差し引いても、青春(?)の不安定さが月の翳りにはあって、その歪さの上にいるからこそ星ひとつもグラグラするんだなと思う。そう、青春っぽい。

なぜ月の翳りと同じタイミングで星ひとつが必要だったのかというと、やはりアンジェリコ様とラファエロのためなんだろうなあ。そしてなにより、グランギニョルを終わらせるためにあったのだろうなあ。死、という明確な終わりをもって、ダリ卿の因果を、アンジェリコ様とラファエロ、ウルの因縁が終わっていると思うとソフィは本当にかわいそうね。私はソフィに良き終末が訪れることを願っているし、どんな形であれウルがそれをもたらしてくれれば良いと思う。

グランギニョル観たい。というか、やはり地獄の悲鳴は新鮮さが命だと思ってあまり他の方の感想を読まないように頑張っているので、グランギニョルを観ないことには知らぬ真実が多いというのは結構大変である。

なんにせよ、どんなに欲しいと思っても星には手が届かないし、月それを眺めるばかりで無情なものである。