今更過ぎる。
面白かったけど苦言も呈します。
セットとステラボールのせいで見えない
ゲネの動画を見て初めて気付いたのが、「あれこのセット、ドミネーターの形してる」と言うことだった。理由は簡単で、私が観た席からはセット全容が見えないからだ。*1
私は割と端っこに近い位置で観ていたのだが「見えない」と何度も思った。
ステージなんてほとんど見えない位置に席を置くことも、ステージの上が遮るもの(セット)多すぎて見えないのもちょっとよくわからない。
舞台の上で起きていることを観客に見せる必要があるのだから、皆が平等に舞台の上で何が起きどんな顔をし演出されているのかを見させるべきではないのかと思ったが、これは「遮るものの多いセット」を作った人と「ステラボールそのもの」への文句になっており、論点がブレてるかもしれないな。
トレード禁止のくせにトレード商法すな
これは別にここに限ったことでは無いが、トレ禁ならトレード商法するな。
しかしみんな律儀に守っていて偉いなとは思った。
ドミネーターと『名前のない怪物』
文句は言いつつも正直にいうとドミネーターが光ったり、『名前のない怪物』が流れた瞬間に鳥肌が立った。
まずドミネーターの興奮だが、正直これはもうスクリーンへの投影だけでも仕方ないと思っていたという前提がある。が、そこをちゃんとあの動くドミネーターでやってくれた。
過去、ちゃんと展開するドミネーターが売られた。価格は10万に乗り、「無理だろう」という前提のもとで物事を考える癖のついた私は今回も「無理」と考えていた。なのでまずドミネーターが光るだけで着席した時の「見えねー」という文句をかき消してしまった。*2
『名前のない怪物』は名曲である。アニメ『サイコパス』と言えばこの曲のイメージが私には強い。
https://music.apple.com/jp/album/%E5%90%8D%E5%89%8D%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%84%E6%80%AA%E7%89%A9/577677565?i=577677650&uo=4&at=10l8JW&ct=hatenablog
これが流れるオープニングとエンディングだけ見せられても「とても良い」と私は言うだろう。
かいつまみ方が上手い
私はアニメ『PSYCHO-PASS』の視聴者のため「どのエピソードをどれくらいの分量でやるのかな〜〜」程度の事しか考えていなかったのだけども、序盤の金原や御堂*3のあたりをザーーーっと飛ばして「槙島聖護」という魅力をふんだんに使うことにしたのがどう考えても正解だと思う。
金原や御堂の辺りも面白いが、登場人物の思考の掘り下げ、関係性の描写に対して重きが置かれているというか、もちろんあの事件の経験が常守朱という獅子の目覚めに寄与し、槙島聖護という異常性を際立たせるのだけども、舞台でやるにあたってどう考えても長すぎるのである。それをこう、ザッと説明して終わりにしたところ、潔くて良い。獅子が目覚めるのはノナタワーの邂逅を経てからでも遅くない。
そして無理して一期を終わらせなかったのも英断だと思う。
「お前は狡噛慎也だ」「お前は槙島聖護だ」とテレビシリーズのように始まり、槙島の犯罪係数を計って終わる。「槙島さんがヤバイ」ということと「狡噛さんが佐々山さんの後を継いで槙島さんを追っている」ということがわかるかいつまみ方。それでいてノナタワーを彷彿とさせるやりとり、そして流れる「名前のない怪物」──だらけるところなくその辺の面白いところを網羅できていたかなと私は思った。
謎のミュ
急にまた文句で申し訳ないのだが、途中に挟まるミュージカルはなんだ?
歌がめちゃくちゃうまかった。
でもある意味はわからんかった。
そういえば登場人物が良い感じ
ここまで来てまだキャストの話をしていなかった。
今や2.5界を統べる王の如き橋本祥平くんのはまり役だと思う。顔立ちにウィッグがとても似合っている。Chapter2のことを思って心が苦しくなる。
前山さんも良かった。品がすごい。あの品の向こうにある狂気が淡々と醸し出されているのが良い。見え隠れではない、槙島さんは別にそんなの隠さない。アニメの槙島さんは狂気を身に纏ってるようだったけど、舞台の槙島さんの狂気は足元に溜まる澱のようで、それがとても良かった。
個人的には王陵璃華子がとても良かったと思う。美しく、聡明で、華奢で儚く、子どものようで、成熟したような、アンバランスな王陵璃華子の魅力そのものだった。かつて再放送が吹っ飛んだ彼女のエピソードだけど、そういう危うい王陵璃華子がこれでもかというほどに表現されていた。
何はともあれ話が面白い
それはもうこの舞台が面白いのか、PSYCHO-PASSという元の脚本が面白いのかわからないが、ともあれ話は面白い。
今はまだChapter1であり、描かれるのは佐々山の足跡を辿り槙島聖護にたどり着く寸前までというとてもこう、最後まで見たいよと思わせるところで区切りなので今後に期待したい。