9月から10月の半ばにかけて息も絶え絶え*1だったからか、マラソンのペースが驚くくらい遅くなり、落ち込み過ぎてもうやめてやろうかと思った。マラソンを。
そんななか、また強行スケジュールで鎧武を完走したので感想をまとめる。ノッて来てからが破茶滅茶に面白く、うっかり数日観続けてしまった。
なんとこれで “『平成ジェネレーションズFINAL』を全力で楽しむために出演レジェンドを学ぶ ” *2という当初の目標を達成したことになる。よくやった私。所要期間は4ヶ月だった。
登場人物
紘汰さんと舞
私は「みんなのヒーロー」であろうとする人が大好きなので、紘汰さんが「みんなのヒーロー」になり始めた時からめちゃくちゃ好きでしか無かった。
紘汰さんはピュアだ。何者でもない紘汰さんは色々な事実と人に影響されまくるが、影響されまくった結果ヒーローになってしまう。映司くんを「都合の良い神様」にさせないために周囲の人間が怒ってくれたわけだが、紘汰さんはその怒ってくれそうな舞共々神になる。英雄に押し上げられてしまうことを怒ってくれたアカリがいたタケル殿のような暖かさもないそれは、どっちかと言えば罪人として引きずり出される戦兎くん的だったなと思う。
戦兎くん的、と言えば。裕也の真実は、インベスになってしまった初瀬と戦えない紘汰さんを嘲笑う描き方でしんどく、当時のキッズにトラウマ植え付けてそうだった。
序盤の調子に乗る紘汰さんが、今思うとめちゃくちゃ一般人だったなと思う。浮かれてた紘汰さんはヒーローとは言えなかったが、「誰かのために」というあり方を選び始め、どんなに揺さぶられてもそれを貫き通すところがめちゃくちゃかっこいいと思う。
舞ちゃんが巻き込み事故も良いところなのに受け入れちゃう心の広い子なのが健気だなと思う。
舞ちゃんや、紘汰さんの青少年的な綺麗事の正義が最終的に世界を救うのが、RPGみたいというか、子どもたちの物語なんだなと感じる。流されて、自分の意思とは無関係に引きずられて行く二人は可哀想ではあるけれど、やりきるところがとても格好良かった。
かわいい。
戒斗と耀子
やべえ思想のやつだなというのが第一印象だった。そしてやべえ思想のまま最後まで行った。戒斗も、燿子も、なんていうかずっとやばい思想だった。
戒斗の「虐げられたからこその強さへのこだわり」は、序盤は「頭固いなこいつ」という印象だったが、後半になるにつれてその頑なさに安心感すら覚え始めた。紘汰さんが色々な人に影響されている反面、戒斗にはそれがないから、紘汰さんが答えに窮する時にさっさと結論出して誰よりも先に怒ってくれるし(それが正義を蔑ろにしたことではなくて弱者の理論であることにだけど……)、そういう一貫した考え方(やばい思想だけど……)をずっと持ち続けるところがめちゃくちゃかっこいいと思う。
あとはヘルヘイムのシーンでどうしても足首を見てしまう。
「舞も知恵の実も区別はしない」と言った戒斗に「知恵の実は知恵の実、耀子は耀子だ」と言わしめた女・湊耀子。根っからの副官というか、王を戴く事に固執するの、わかんなくはないなと思う。生き方や考え方に惚れた相手がいたとして、その人を強く信仰していたとして、やはりその人が一番上に立つところを見たいと思うのが人情ってもんだよな。
なんか、この二人にはこの二人なりの愛情があったんだろうなというのが、また魅力的だなと思う。
かっこいい。
光実と貴虎
病んで行く光実とピュアな貴虎兄さん、という印象だった。紘汰さんにもし理論と権力が備わっていれば貴虎兄さんみたいになったのかもしれないなと思うけど、兄さんほど頭良くなさそうだから無理かもしれない。貴虎兄さんはめちゃくちゃスペック高いけれども、ピュア過ぎて人を見る目が皆無というところが(観終わった今となっては)可愛らしいところだなと思う。
まあ実際それのせいで死にかけたりしてるのだが。
ミッチは途中の「全部自分の思う通りに進んでいる」と考えてるところよりも、思い通りに行かずに紘汰さんや舞ちゃんを失ってからの印象がとても深い。その頃にミッチが思い出す「楽しくみんなで踊ってた回想」との落差がとても良いと思う。ダンスチームという意味が全く分からなかったが、こうしてみると「みんなで何かを成し遂げる」という思い出が「ダンス」というどう考えても楽しいもので本当泣けるな(陳腐)と思った。
この兄弟がきっとこのあと頑張るのだろうなと考える。貴虎兄さんは子どものもつ純粋な正義を失っていないし、ミッチはもう大人になるままならなさを知っているから。
鳳蓮さんと城之内(と初瀬)
鳳蓮さん出て来た時「マジで人の話一切聞かねえな」と思ったのだが、話が進んでいくと「この人が一番まともな大人だ……」と感じる。
そう、この師弟関係、すごいまともだったなと思うのだ。
まず手に職つけた城之内が “ 子どもたち ” の中で一番大人になってしまったと思うし、鳳蓮さんは(それが自分の思う正義の定義に偏っていたとしても)最後まで正義の側にあった大人だった。
大人になってしまった(或いは、なろうとしている)城之内が初瀬ちゃんのことを忘れてないのも切なかったし、初瀬ちゃんのために出来ることを探していたところも良かった。
鳳蓮さんという大人が、策士と言いながらずるいばっかりの城之内をちゃんと一人のライダーとして、従業員として育てたというのが、なんか作品唯一の良心という感じがする。子どもを育てるのは大人なのだと思う。
ストーリー
創世の神話
序盤の「ウキウキ不良ダンスバトル」が懐かしくなるな……という視聴者の気持ちを汲んだかのような、後半に挟まれる「楽しかったあの頃」の回想がしんどかった。
多分本放送の時に見ていたらめちゃくちゃにハマっていたと思う。何故ならおたくは神話が好きで、おたくはライバルが好きで、おたくは戦国時代が好きだから。
鎧武は国譲りの神話ではなく創世の神話なので紘汰さんは戒斗と決着をつけなければならなかったし、人類の脅威と同化してしまった紘汰さんは人類の元を去らなければならなかった。最後の紘汰さんと戒斗の、インベスを引き連れた戦がかっこよすぎる。聖戦だ。レデュエが出てきた時、ラスボスにしては地味ではと思っていたのだが、ラスボスは戒斗だった。そもそもそこが違った。戒斗は2号ライダーなのに全く紘汰さんに寄り添わない。別々の世界を夢見る二人なので、寄り添うことも出来ずに戦になるんだ。戦う必要なんてないのに戦わなければ何も始まらないの、めちゃくちゃしんどいけども最高に熱かった。
巻き込まれ系主人公であるはずの紘汰さんが神話の主人公にさせられてしまうの、理不尽すぎてちょっと泣いた。インベスゲームですら意図して流行させられていたわけで、取るべき責任も因縁もない子どもたちが、大人の機能しない世界で踏ん張らなければいけない。めちゃくちゃ可哀想だと思いながら見ていたが、大人になるってそういうことなのかもしれない。誰もが大人になんかなりたくない。
大人になるということ
そんなに急いで大人になる必要なんてないのに、猛スピードで大人にならなくちゃいけなくなった話というか。ちゃんと教え、導く人がいない子どもたちが、自分で学んで決めて、子どもの真っ直ぐな思いのまま選んで行く話だったなと感じている……というのは前述の通りだ。
びっくりするくらい屑な大人しかいない世界で、子どもならではの真っ直ぐさが鮮やかだった。ただめちゃくちゃヘビーなのでこれを当時見ていた子どもたちはどんな気持ちだったのだろうと思う。
行動に責任が伴うこと、想像し理解した上で振舞うこと。誰も何もわからないままそれを求められる鎧武はしんどいが、大人になるというのはそういう理不尽に晒されることだと私も薄々気付いてきた*3。そうして学んで身についた力で未来を担って行ってください……と思った。
さいごに
かつて『サイコパス』の本放送時に、「一話マジつまんねえな」って見るのをやめた私が、その後「なんだよサイコパスめっちゃ面白いじゃん」となるわけだが、鎧武もマジでそれ、完全に同じだった。さすが同じ脚本。
そんなわけで気づいたらめちゃくちゃ面白くって焦った。2、3日ぶっ続けで観てしまった。
まどマギもこんな話なのだろうか。今なら完走できる気しかしない。
あと、沢芽市という限られた範囲の中での話なので、超時空にならないところも良かったと思う。範囲が広いと一瞬の間にめちゃくちゃ移動することになるので、その違和感を考え始めるとキリがない。
そんなわけで、もう一度平ジェネfinalを観るぞ。