サニーサイドアップフォーチュン

映画、特撮、演劇、ダンスボーカルグループ

『煉獄に笑う』感想

納谷健くん出てるので行きました。

発表になった時から西田さん向き過ぎていたけれど本当に向いていた。

ザ・西田演出。

 

・バミリの量

最初の暗転で「???」となるくらいバミリの量が多くて、慄いた。あれを覚えて仕事してるのか!!

今回はセットが細々切れるのでさらに多いのかもしれない。

 

・セットと照明と曲

 相変わらずめっちゃセット動く。

照明も相変わらずとても美しい。

そして相変わらず人の死や信念に関わる時に歌詞のある曲が流れてきて否応無しに心が動く。

ソロデビューについては、崎山さんのファンは大変だなと思うに留まるが、アニメ化もされていない原作のために曲を用意し、それを効果的に使うのは単純にすごいなと思った。だって二幕に出て来て二幕で死ぬ荒木村重の死を、あれだけエモく描くのだから。

 

・ストーリー

漫画途中まで読んでたので全く不自由しなかった(不自由したという感想を読んだので)

ちょうど石田村のクライマックスから読んでいないので、「義兄弟の契りを交わそう!」とか感極まって泣きました。あんなに双子は佐吉をおちょくってたのに、信頼とはなんと美しい……。

確実に次回作あると思う。

 

・殺陣

二幕ずっと斬ってる。

無敵超人じゃない鈴木拡樹氏が久しぶりだったので、新鮮な気持ちだった。雑魚相手には負けたりしないものの、八咫烏(強い敵)には苦戦する。その感じが久々である。けど何かこう、佐吉の人間味は薄いのは、煉獄は英雄譚であるからかなと考えていた。最遊記の方が人間味ある。

前島亜美さんがサイコーにカッコ良かった。女性の殺陣はワカハイ界隈で売りにされる「早い」「多い」な殺陣にならないイメージがある。それはもちろん女性という体の作りの問題でもあるし、もしかしたら私が知らないだけでたくさんの理由があるのかもしれない。

だけど彼女の殺陣は華やかさの中に、武士のように見えたりしてなんというか、とてもかっこよかった。

納谷くんの体の軽さが存分に活かされていたので忍サイコーだと思う。素晴らしい回し蹴りが炸裂する。

 

・演者さん

前述の通り、前島亜美さんかサイコーすぎる。阿国がもしかしたら好きなだけかもしれないが非常にかっこよく、そして色っぽく、時に子供のように可愛らしく、そして曇の当主として在り続ける姿のかっこよさたるや。阿国最高!

納谷くんのちょっとサイコパスな演技、ゾクゾクした。本気で思ってるのかわからない賛辞や助言、罵倒まで、年若い少年が狂っている感じ。最高。アニメ化されておらず、ギリギリドラマCDになっているがまあ聴いていないし誰が出てたかも知らないのだが、納谷くんの一波は正解感あってとてもいいと思った。贔屓目かな?

 

殺陣、エモい演出、殺陣、殺陣、エモい演出って感じで進んでいくため、何を観にきたのかぶっちゃけわからなくなるが、初めから分かっていたといえばその通りだし、私は煉獄のストーリーを把握しているので何の問題もなかった。

繰り返すが、何が起きているのかわからないと言う感想を読んで、まあ確かになと思った次第である。

 

ちなみに、なぜかテレビで生放送する。

おヒマがあればどうぞ。

私はそれなりに楽しみました。

 

 

『神々の悪戯』と『私の頭の中の消しゴム』

 

あんな失礼なブログ書くんじゃなかったかしら。

 

CBGKシブゲキ!!
最後列でも舞台上の演者の表情が分かり、その息づかいが届く距離。
客席数にして242席、近年の渋谷には無かったサイズの劇場空間です。

行ったことないのだけれど、シアターサンモール294席なので想像がつく。

 

行く気が全くなかった。コンテンツでこうも差をつけられると凹むからだ。そんな私がどうして行くことにしたのかというと、

マジかよ。

 

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『モマの火星探検記観』感想

モマの火星探検記観てきました。

 

びっくりするくらい泣いた。

原作未読、初演未見。八割がたポエム。

 

照明

すごく綺麗だった。まず最初から星空が後ろに広がってるのがときめく。星は好きだ。

夕暮れのオレンジ、不穏な赤色、クレバスの底から見える深い青、記憶と現在の境目のセピアみたいなそういうコロコロ照明の色を変えてく板の上が本当に綺麗。

最後の方に光が上から降ってきて、本当に満天の星空になるところがあるのだが、息を飲むくらい美しい。電気のための配線コードと、そのコードの先で点灯してるLEDってだけなのに、暗闇の中で光るだけで星空に見えて、役者が演じて宇宙だと信じられる。

人による科学と大いなる地球という関係が、あの星の光に集約されているみたいだった。

 

衣装

すごく可愛い。ハンガリーの伝統衣装のような 、スペインのマタドールのような、童話みたいに可愛い衣装でフリルと袖を揺らしながらみんな演じている。すごく可愛い。

 

音楽が配信されている。楽日までなので気をつけて欲しい。

ノスタルジーであり、劇伴としての盛り上がりを備えている。映画ともアニメともつかないその感じが、耳馴染みが良い。

何より多用されたベースラインの音がスピーカーから響くたびに、胃の底を揺らし心臓を掴むあの感覚がいい。爆音に身をやつしたことがある人間の、心地よい空気の感覚があった。

 

セット

展開はない。アマテラスのように釣り物が降りてくることも、吉三のようにセットが多いこともない。シンプルなストーンサークルだけだ。

それは岩であり、門であり、扉であった。

照明が時間を示して、舞台の段差が空間を区切る。すれ違うように別の時間軸が、場所が同時に展開されて場面展開のストレスが少ないかもないと思った。

別の方の舞台で申し訳ないが、もふ虎の語りと回想のような、一連の流れを見ている感覚。語り、回想し……を段差で区切るあの感じ。

劇中の言葉を借りれば「繋がっている」ということなのだろう。

 

ストーリー

これもまた申し訳ないが、原作未読であって何がどう表現されているのかを知らない。

どこまでが原作で、どこからが舞台なのか。

ぴーぴー泣いた。この作品において、隠された事実というものはほとんど存在しない。誰が父で、誰が子か。よほど鈍くなければ幕が上がってすぐわかる。

だからたぶん、この作品にそんなことはどうだっていいということなのだろうと思う。

隠された事実が明らかになる衝撃なんかではなく、ちゃんと繋がっていた(いる)ということが初めから提示されている。

モマがたどり着いた結論があまりにもロマンティックで最高だった。

温暖化で海面は上昇し続けているし、資源を巡って戦争はなされたまま。決して物語と言えど夢物語じゃないのが、ロマンを追う彼らと対比される。綺麗なだけの夢など存在しないんだろうと思う。

 

演者さん

観終わったあと「矢崎氏、鎌苅氏……結婚おめでとうな……」という気分になる。

鈴木氏が見た目とてもブリキのロボットなのだが(アンドロイド、と劇中では表現されていて実際の働きは恐らくロボット)とても可愛らしいし、クライマックスとても泣ける。

谷口さんと子役スティンガーのシーンも大号泣。

 

 イリーナの気持ちを、もっと掘り下げるもの良かったのかなと思う。というか私の理解力問題なのか。何故ユーリたちのロケットを見届けようと思ったのか。それはモマへの恋情だったのか、父を想ってなのか、ユーリへの母性なのか、それとも奥底に眠る憧れなのか。あるいはその全てなのか。

 

 

原作読むかぁ。

良い舞台だった。

 

『東京喰種』感想

東京喰種見てきました。

原作未読、アニメ未見、初演未見、ウィキペディアすら未履修で、つまりは全くなにも知らないまま観に行った感想がこちら。

 

・アニメみたいな映像

オープニング、アニメみたいな映像だなと思った。すぐウユニ塩湖にするところとかピクシブでよく見る光景だと思っていた。

 アニメだった。

あと凛として時雨みたいだと思ったら凛として時雨だった。

映像流れる前の金木くんの独白のさらにその前、その時に流れた曲がすごく良かったと思った。

 

・「食人」という行為(ストーリーの話)

デュルケムは「犯罪行為が存在していること」は「犯罪の存在しない社会がない」故に、「正常な状態」だと述べている。

これがいわゆる、「聖人君子の犯罪」だと思うのだけど。

社会(われわれ)が犯罪であると糾弾することによって犯罪が生まれることから、犯罪のない社会とは、ある行為を「犯罪だ」と区別する基準や価値観が存在しない社会であると言える。一種の「未開状態」、未開社会の文化背景についてはレヴィ=ストロースが論じたんじゃなかったっけ。

反社会的行為も、社会(われわれ)が反社会的だと決めているだけであって、社会から生み出された行為だ。

何が言いたいのかと言うと、喰種にとって共喰いとは犯罪行為に当たるのかどうかがわからない。マダムAは共喰いを忌避するように怒って見せていた。それは喰種としての倫理観において犯罪だったからなのか、それとも騙されたが故の怒りなのか。

人間側から見れば食人という行為は犯罪だ。それは人間の倫理観によって規定された犯罪であって、喰種の倫理観ではただの「食事」ーー犯罪ではない。

喰種の社会において犯罪とはなんなのか。共喰いが罪であればそこ(喰種の社会)には秩序と彼らなりの倫理観があったと言えると思う。

で、なんでこんなこと言いだしたかと言うと、こういう作品は確実に狂ったやつが出てくる。狂ったやつがシリアルキラーさながらの謎思考回路で狂った自分の正義を振りかざしてくる。レヴィ=ストロースはどんな未開社会にも文明があると論じていたような気がするが、秩序ゼロ、倫理ゼロで果たして社会と言えるのか。

喰種であったとしても理性を持つ以上社会的な動物であり、そして人間というマジョリティに狩られる側(っぽい)以上共同体を構成することが一つ手段としてある。ウェーバー曰く「国家は暴力装置」、一人で殺し回れば殺人者、組織で力を振るえばそれはレジスタンス。ノー倫理、ノー秩序でそんな共同体を作れるとは思えない。

故に、すぐ絶滅しそうな種だと、観てる間ずっと思ってた。

あんまりストーリーが好きじゃない。

 

・中二の時読んだラノベみたいなバトル

肉弾戦メインに見えたから地味な絵面だなと思ってたんだけれど、意外と特殊能力出て来てプロジェクションマッピング〜〜って思った。

トーカのカグネ? がなんか羽なのとか「わかるヒロインの特殊能力は羽だよね」って思った。

 

・錦がチョロい。が、どう考えても錦が一番魅力的

錦が「お姉ちゃん」って言いだしてからだんだん成長していく様が、月並みだがすごいと思った。インフェルノでリッカの子供時代をそのままアフレコしてた時の、あの会場の微笑ましい雰囲気は一切無く、ただただ「お姉ちゃん絶対に死ぬやん……」という虚無感がジワジワと悲しかった。

で、そんなことがあって、人を殺した錦が、貴未に心をあっさり開いてることが心配である。錦が優しすぎる。そんなんじゃいつかその優しさにつけ込まれて錦は傷つくと思う。

おばさんは心配です。

あとヨモさん?も「もっと強く止めておけば」とか言ってたけどほんとに止めてた?

漫画特有の詰めの甘い登場人物に不安が募る。

錦はどう考えても大人気キャラだと思うのだけど、どうだろう。金木くんがどういうつもりで行動してるのかが私には分かりづらくて、その反対に錦は分かりやすくて魅力的だ。錦が幸せになれる世界が来たら良いと思う。

 

・月山どうした

アニメもあんな感じなの? と途中から不安に襲われていた。めっちゃ歌うけど?

あとなんかこの変態のキャラクター、変態と思っていいのかわからなかったんだけど、みんな金木くんの「変態!」に笑ってたから良いらしい。

あと月山、人間の食べ物食べれないくせに人間の書いた食事への渇望の文章諳んじまくりだったし、人間になりたいのかなぁ(妄想です)。

なんにせよヒデ様お疲れ様です。

 

プロジェクションマッピングとセットと衣装チェンジ

プロジェクションマッピングとっても綺麗だった。ステンドグラスやカグネの表現が、ナルステーープロジェクションマッピングというある種の工夫でこそ出来たことなのだろうなと思った。

衣装替えが多いのとか、その衣装が久々の現代劇であるが故に地味なところとか、なかなか新鮮だった。貴未の靴の色、あれで正解なの?

血が流れる、というのも生々しくて良かったと思う。見慣れた殺陣の舞台で血を流す事ってそうそう無い(真剣必殺くらいかな)し、想像で補うのではない「血を流す」「傷つく」という表現が、生と死、喰べる喰べられるということを生々しくしてるんだろうなって思った。単純に、流れる血を見慣れてないからギョッとする。

 

・ゴミ箱の蓋

サンドイッチを頬張った金木くんが、カウンター裏に駆け込んでゴミ箱の蓋を開ける。程なく音がする。吐き出した音が。

トーカはヨリコの料理を食べ、みんな水を口にする。コーヒーの匂いがする。

喰べる作品であるからして、食べる描写に手を抜かないところがすごいなと思った。

舞台の上は客席とは隔絶されてるはずなのだが、ミートボールにしろ、ペットボトルの水にしろ、サンドイッチにしろ、コーヒーにしろ、日常的なものがそこーー即ち舞台の上にあるということが、食べるという事を考える要因の一つになる。と思った。わからんけど。

 

勝吾氏演じる錦が魅力的だったのと、カテコの挨拶でクソ長いサブタイトルを流れるように読む松田氏がスゲェと思いました。

 

ベートーヴェンの『月光』を戦闘シーンに使っていた本舞台に、最後にこの言葉を贈ろう。

月も出ていない、死者の脂が燃えて雲底を紅く照らし出す地獄のような夜には、皮肉としか言いようのない美しい曲だ。

p55『虐殺器官伊藤計劃

インスタ画像はなし、感想薄め。書き直すかもしれないと思いながら多分書き直さない。

これからいろんな人の感想を読むのを解禁です。

『刀ステ暁の独眼竜』感想

最近タイトルに凝るのがめんどくなった。

 

昨年からずっと黙ってたことがある。

まあ聞かれたら答えたり、そもそも協力体制敷いてた人もいるから今更なのだけど。

 

刀ステのことだ。

舞台 『刀剣乱舞』 義伝 暁の独眼竜

 

 

ブログでは頑なに(多分だけど)伏せてきたことの一つだと思う。多分だけど。過去エントリに何書いたかなんてうっすらとしか思い出せないので、書いてたらごめんなさい感ある。

 

御察しの通り、今回は『義伝』の感想エントリになる。手放しで褒めるだけのエントリにはならないだろう。それでも良ければ、読んでくれると嬉しい。あとネタバレに考慮しないスタイルだ。

私は私の話を誰かに聞いてもらいたいから書くし、考えたいから書く。このエントリだけで終わるかどうかはわからない。ちなみに、書き始めたこの段階で全く思考はまとまっていない。エントリが終わる頃には結論が出ていることを祈る。

 

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『メサイア極夜』感想

夜の中を生きてきて、暗い中だけを拠り所にして、互いだけを標としてきたのかもしれない。

 

孫引きになるが、ラスバルトという人の研究で、長期的な関係の質はコミットメント(主体的に関わろうとする心理過程)によって規定されるそうだ。コミットメントはこれまでの投資や義務感、倫理的判断の影響を受ける。*1

 メサイアにおける三栖さん(周がそう呼ぶので三栖とは呼びづらい)と周の関係もそうして規定されてきたのだろうか。

危なっかしい二人が二人とも、互いをほっとかないのは、放っておけずに手を差し伸べたと思ったら相手は肩を貸してくれ、そうしてラブシーン(本人が言ってたからいいだろうと思って書いちゃう)を重ねてきた。

 自己概念という考え方がある。人間は自分自身に対する概念の中から、自分が誰であるのかを参照している。それらは置かれた環境、他者によって影響され、その自分にとって重要な位置を占める他者を重要他者と呼ぶらしい。*2

重要他者と接近し(もちろんそれだけが要因ではないけれど)、影響を受け活性化した自己概念(作業自己概念と呼ぶ)を捉えるため、自分が捉える自己像は変化して行く。

 周は父に牙を剥き、兄と複雑な心を交わし、三栖さんに寄りかかった。

周はそうして変化して行くことがその本質だったのかもしれないと思う。評議会・公安など立場を変えながらも変化しない三栖さんとの対比で。

メサイアという関係性に近いけれど決してメサイアではない二人は、サクラとは違う価値観で生きてきて、とうとう『メサイア』と銘打たれた作品の真ん中に立ってしまう。

これはもうメサイアだ。二人は実質メサイアなのだと、私は信じている。

 

❇︎

 

観てきた。始まる前に書いていた上の文章がなかなか緊張感漂っている。学生時代の教科書を読みながら緊張に耐えていたのだ。そしたらこんな感じになっている。

 

以下、ネタバレ必至の感想である。

これから観る人は出来れば読まないで欲しい。

 

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舞台『NARUTO暁の調べ』感想

2.5ばっかり観ている節操のない私は、また節操のないことをした。

急に、ナルステを観に行ったのである。

 

まず雑感

2.5は2.5でも、普段私が好んで観るのは薄ミュや刀ステで、パフォーマンスは役者の身のポテンシャルというか、その身一つで戦っているような作品ばかりだ。

ナルステはどちらかと言えば、そういう系統ではなかった。

映像、音楽、歌、音響、衣装、ライティングに至るまでがエンターテイメントの結晶という感じで、役者の芝居はもちろんのこと、その上に乗せられるレイヤーの多さに驚いた。

「忍術」などというものを表現するにあたって、そのレイヤーの多さでたくさんのことをカバーしていく工夫がまず、見ていて楽しい。

 

身もふたもない話をすると、お金がとてもかかっている。漫画ならてろっと描かれているだけの模様一つとっても作り込まれていたし、セットも豪華だ。肩パットのないブレザーや裏地のないスーツ、裾がつれた袴もある中これはなかなかすごい。

 

そんで感想

ナルトとサクラ、とても可愛かった。それに先生たちはアニメそのままって感じだったし、サスケはサスケそのものだったし、観終わった感想は「すげぇ」だった。サスケまじでムチムチな事以外はサスケだ。

イタチの真実が明かされる所の話なのだがあまりにも世代直撃という感じで涙無しには観れない。サイのお歌で泣き、イタチとサスケの戦いで泣き、イタチの真実に泣いた。良知くんの歌が上手すぎる。『宝塚BOYS』ぶりなので大変にお久しぶりだったのだがやっぱりめちゃめちゃに上手い。イタチ、大蛇丸、サスケがメインボーカルを張る曲があるのだがビブラートがすごくて毛穴がビリビリした。

 

ナルミュって言っても良いくらい歌う。

そして、ミュのはずの薄ミュより歌が上手い。

悲しすぎない? 私は悲しい。

 

スピード感のいい舞台だなと思った。

例えば我愛羅はバレーボールしてたのでいないのだが、いないならいなくてできるシーンをやって我愛羅のくだりはさっさと終わらせてしまうし、

ちょうど暁が台頭してくる頃からずっとナルトはストレスで胃に穴が空きそうな感じなのだが 、そういった胃に穴が空きそうなやりとりも程々、山場としてうちは兄弟のバトルと真実にさっさと話を持って行く。

単調になりがちな説明台詞も歌に乗せてみたり、観客の休みどころがないと思う。良い意味で。飽きさせない。

 

サスケvsデイダラで、大きなデイダラ型のバルーン相手にサスケが真剣にお芝居してるのが面白くて、かなり肩を震わせてしまったのだが、命をかけて戦っているはずのシーンなので頑張って我慢した。

あれだけ映像を駆使してるのに、なぜその一瞬はバルーンなのか。

 

多分もっとたくさん観たとしても、すごく良かったと言うことしかない気がする。薄桜鬼と同じだ、あまりにも世代なので上演されてること、それを自分が観に行くようになったことがもう嬉しいみたいな。

 

ごめん忘れてたけど見に行った理由は北村推しに爆推しされたからなんだけど彼女もうちは兄弟が素晴らしいからって勧めてきたけど北村さんすごく良かったよ!!

 

とても面白かった。興味がおありならぜひ凱旋公演へどうぞ。