サニーサイドアップフォーチュン

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映画『虐殺器官』感想

最近無駄にブログを更新している気がするが、理由は特に無くて、やっと使い方とか星とか言うものの存在を認識したのでなんか楽しくなっている。あと周りの人がブログやり始めたのでなんか楽しくなっている。

ちなみに星についてはまだ恥ずかしくて付けたことはない。恥じらう乙女である。それと単純に、pixivを更新できるほどの物語性を持った文章を、腰を据えて書いている時間がないのでブログを書いている。

 

観てきた。

それをどうしても報告したかった。

 

二時間で収めるにあたって、基本的には改変されることは仕方がない。原作は映像になった時のことまで考えて書かれてはいないし、実際に映像になった時にどんな話であれば画面に力があるかは書き手からはわからない。だろうと思う。自信はない。

 

虐殺器官』は、その改変が一番自然であったように思う。漫画版という前提があるからかもしれない。少なくとも「マジか」と思うところは無かった。お母さんのくだりをカットしてしまったのは残念だけれど。

 

以下、多少ネタバレになる。ご了承いただきたい。批評がとても下手なので、感想になる。

プライベートライアンはさすがに使わなかった。けれどアメフトがいい味出してる。コーラ飲みながらピザ食ってアメフト見てるのなんて最高に日本人の思うアメリカ人、っていうバイアスかかってる感じがして超クールだ。

ルツィアの比重が大きい。それはお母さんの死を描かなかったから仕方ないのだろうと思う。お母さんの死をクラヴィスが決めるという苦悩のきっかけを、決断のきっかけとしてルツィアが背負ったのだろう。というかパンフレット見たら中村氏がそう言っていた。正解であった。

「女の取り合いじゃねえか」と映画が終わった後笑いながら言ってた奴がいたが、じゃあなんだお前クラヴィスとジョンにもワトソンとフライデーみたいになってほしいのかよ黙ってろと思った。あいつとは分かり合えないだろうなと思う。

リーランドがとても明るい声で喋るから、「お? 改変か? 生存ルートか?」と思って喜んだ私を粉々にしてくれてありがとう。ちょっと泣いた。界人氏が可愛い。

 

屍者の帝国』では関係そのものがすっかり変わったことで、ある一定の層を取り込むことが出来ていた。私は普通に映画として面白かったと思う。ワトソンのあの狂気に理由をつけなくても、良いかなと私は思っている。その層は、今回は期待できないかな。クラヴィスとジョンはあくまでルツィアを通して会話している。求めるものはルツィア……なんて簡単には言えないだろうし。ワトソンが全世界巻き込みながらフライデーを求めたのと対比してしまうな。

『ハーモニー』は最後の一言がとんでもなく改変だった。おおよそ原作通りと思って進んでいったところに一撃食らった感じだった。観た時はビックリしたけど、今思うとアレも限られた時間で旅を終結させるには必要だったんだろうな。「憎いけれどそれだけじゃない」と伝えるには、二時間は短い。

というわけで、肯定的に捉えている人間が書いている。先に言うべきだった。

 

ラヴィスが諮問委員会(で、いいのだろうか)で口を開き、息を吸うところから始まるのがとても良かった。聞いてはいけない文法で、今から彼が喋るのだ。そういう話でいけば、カウンセラーのところがすごく良かったと思う。「子どもを殺せますか?」で暗転。最高にクールだ。

そして最近なかなか観れないような、戦場の描写がすごい。陳腐だけど、すごい。描くと決めた人も、あれだけの描写をした人も。

 

是非、観れるのであれば、観て欲しい。

私は帰り道に買い物しようと思ったけれど、なんだか平和な風景に疑問を抱いたので切り上げて帰ってきた。影響されやすいのは私のいけないところだ。あともし朗読劇やることになったらクラヴィスは秋人氏にやってほしい。

君の名は。』のようにはなれないだろう。きっとそんなに長くは上映していてはくれない。だから、どうか、今観れるのであれば、観てくれたらいいなと思う。

ここまで書いて気づいた。「心だけが特権的に自由であることなどありえない」というあの名セリフ。言わせなかったな!!この動画で聞けます!

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