サニーサイドアップフォーチュン

映画、特撮、演劇、ダンスボーカルグループ

『刀ステ暁の独眼竜』感想

最近タイトルに凝るのがめんどくなった。

 

昨年からずっと黙ってたことがある。

まあ聞かれたら答えたり、そもそも協力体制敷いてた人もいるから今更なのだけど。

 

刀ステのことだ。

舞台 『刀剣乱舞』 義伝 暁の独眼竜

 

 

ブログでは頑なに(多分だけど)伏せてきたことの一つだと思う。多分だけど。過去エントリに何書いたかなんてうっすらとしか思い出せないので、書いてたらごめんなさい感ある。

 

御察しの通り、今回は『義伝』の感想エントリになる。手放しで褒めるだけのエントリにはならないだろう。それでも良ければ、読んでくれると嬉しい。あとネタバレに考慮しないスタイルだ。

私は私の話を誰かに聞いてもらいたいから書くし、考えたいから書く。このエントリだけで終わるかどうかはわからない。ちなみに、書き始めたこの段階で全く思考はまとまっていない。エントリが終わる頃には結論が出ていることを祈る。

 

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『メサイア極夜』感想

夜の中を生きてきて、暗い中だけを拠り所にして、互いだけを標としてきたのかもしれない。

 

孫引きになるが、ラスバルトという人の研究で、長期的な関係の質はコミットメント(主体的に関わろうとする心理過程)によって規定されるそうだ。コミットメントはこれまでの投資や義務感、倫理的判断の影響を受ける。*1

 メサイアにおける三栖さん(周がそう呼ぶので三栖とは呼びづらい)と周の関係もそうして規定されてきたのだろうか。

危なっかしい二人が二人とも、互いをほっとかないのは、放っておけずに手を差し伸べたと思ったら相手は肩を貸してくれ、そうしてラブシーン(本人が言ってたからいいだろうと思って書いちゃう)を重ねてきた。

 自己概念という考え方がある。人間は自分自身に対する概念の中から、自分が誰であるのかを参照している。それらは置かれた環境、他者によって影響され、その自分にとって重要な位置を占める他者を重要他者と呼ぶらしい。*2

重要他者と接近し(もちろんそれだけが要因ではないけれど)、影響を受け活性化した自己概念(作業自己概念と呼ぶ)を捉えるため、自分が捉える自己像は変化して行く。

 周は父に牙を剥き、兄と複雑な心を交わし、三栖さんに寄りかかった。

周はそうして変化して行くことがその本質だったのかもしれないと思う。評議会・公安など立場を変えながらも変化しない三栖さんとの対比で。

メサイアという関係性に近いけれど決してメサイアではない二人は、サクラとは違う価値観で生きてきて、とうとう『メサイア』と銘打たれた作品の真ん中に立ってしまう。

これはもうメサイアだ。二人は実質メサイアなのだと、私は信じている。

 

❇︎

 

観てきた。始まる前に書いていた上の文章がなかなか緊張感漂っている。学生時代の教科書を読みながら緊張に耐えていたのだ。そしたらこんな感じになっている。

 

以下、ネタバレ必至の感想である。

これから観る人は出来れば読まないで欲しい。

 

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舞台『NARUTO暁の調べ』感想

2.5ばっかり観ている節操のない私は、また節操のないことをした。

急に、ナルステを観に行ったのである。

 

まず雑感

2.5は2.5でも、普段私が好んで観るのは薄ミュや刀ステで、パフォーマンスは役者の身のポテンシャルというか、その身一つで戦っているような作品ばかりだ。

ナルステはどちらかと言えば、そういう系統ではなかった。

映像、音楽、歌、音響、衣装、ライティングに至るまでがエンターテイメントの結晶という感じで、役者の芝居はもちろんのこと、その上に乗せられるレイヤーの多さに驚いた。

「忍術」などというものを表現するにあたって、そのレイヤーの多さでたくさんのことをカバーしていく工夫がまず、見ていて楽しい。

 

身もふたもない話をすると、お金がとてもかかっている。漫画ならてろっと描かれているだけの模様一つとっても作り込まれていたし、セットも豪華だ。肩パットのないブレザーや裏地のないスーツ、裾がつれた袴もある中これはなかなかすごい。

 

そんで感想

ナルトとサクラ、とても可愛かった。それに先生たちはアニメそのままって感じだったし、サスケはサスケそのものだったし、観終わった感想は「すげぇ」だった。サスケまじでムチムチな事以外はサスケだ。

イタチの真実が明かされる所の話なのだがあまりにも世代直撃という感じで涙無しには観れない。サイのお歌で泣き、イタチとサスケの戦いで泣き、イタチの真実に泣いた。良知くんの歌が上手すぎる。『宝塚BOYS』ぶりなので大変にお久しぶりだったのだがやっぱりめちゃめちゃに上手い。イタチ、大蛇丸、サスケがメインボーカルを張る曲があるのだがビブラートがすごくて毛穴がビリビリした。

 

ナルミュって言っても良いくらい歌う。

そして、ミュのはずの薄ミュより歌が上手い。

悲しすぎない? 私は悲しい。

 

スピード感のいい舞台だなと思った。

例えば我愛羅はバレーボールしてたのでいないのだが、いないならいなくてできるシーンをやって我愛羅のくだりはさっさと終わらせてしまうし、

ちょうど暁が台頭してくる頃からずっとナルトはストレスで胃に穴が空きそうな感じなのだが 、そういった胃に穴が空きそうなやりとりも程々、山場としてうちは兄弟のバトルと真実にさっさと話を持って行く。

単調になりがちな説明台詞も歌に乗せてみたり、観客の休みどころがないと思う。良い意味で。飽きさせない。

 

サスケvsデイダラで、大きなデイダラ型のバルーン相手にサスケが真剣にお芝居してるのが面白くて、かなり肩を震わせてしまったのだが、命をかけて戦っているはずのシーンなので頑張って我慢した。

あれだけ映像を駆使してるのに、なぜその一瞬はバルーンなのか。

 

多分もっとたくさん観たとしても、すごく良かったと言うことしかない気がする。薄桜鬼と同じだ、あまりにも世代なので上演されてること、それを自分が観に行くようになったことがもう嬉しいみたいな。

 

ごめん忘れてたけど見に行った理由は北村推しに爆推しされたからなんだけど彼女もうちは兄弟が素晴らしいからって勧めてきたけど北村さんすごく良かったよ!!

 

とても面白かった。興味がおありならぜひ凱旋公演へどうぞ。

 

 

舞台『男水!』感想

 

シアター1010は久しぶりだった。

 

スポーツものの舞台を観るのは初めてだった。

 

 映像なら見たことがあっても、実際に観劇に行くことが無かった。推しのテニミュはとうに終わっていたし。

 

スクリーンの水飛沫が、波紋が、きらめきが、スポーツを舞台上で表現するってどういうことが教えてくれたし、そのきらめきそのものが青春という感じだった。

 

ぶっちゃけ、五話以降のドラマを観ていない。

社会人って意外と忙しいから、合間を縫って舞台見に行ってたらまあ時間なんてない。

 

だから舞台序盤見て「あ、これダイジェスト挟むんだ」と思ったのだが、実際ドラマの内容をほとんど舞台でなぞり普通に話が進んでいくのに驚きつつ、龍峰との合同記録会の辺りから初見の気分である。

 

というわけで、試合も初見だった。

 

うっかり泣いてしまい、ペダステ黄金期に友人たちが言っていた「よくわからないが泣ける」の意味を痛感した。

 

青春は生々しく、舞台もまた生々しい。

生々しいが故に、うっかり感動するのだろうと思った。

 

まあほぼほぼドラマと内容同じっていうまさかの展開ではあったけど、ほぼ初見の私は普通に良かったと感じた。現在のシーンを演じながら同時に回想シーンをやるみたいなのもなんか青春スポーツ現代劇って感じがした。綺麗なペダステって感じで。

 

れんれんの光希の「クソッ!!!!」って悔しがるシーンがすごく良かったのと、秀平が礼央と大樹を応援する声で図らずも泣いたのと、あとは「部をやめたい」と言い出した結太の涙とかのシーンが好きだった。

ハルミちゃんと川崎さんに腐ったオタク特有の何らかのアレを感じる。

 

仁科さんのあの顔面とその努力家の背景で、女の子のこと軽薄に口にするの「ヒ、ヒェェ〜〜」みたいな感じだ。ズルい男だ。

 

たぶんキャラクターとしてはハルミちゃんが一番好きだが、私は私に反し、光希を高く評価したいと思う。

光希の、付き合ってる女の子のダズリンのカバンから絡まったイヤフォンが出て来たのに冷めて別れそうな感じが良い。カラオケのドリンクバーのコップに直接口つける奴が許せなさそう。デートにスニーカー履くとしたらブランド気をつけないとチェックされてそう。

でも光希はサラダ取り分けるのは個々人でやるべきだと思ってそうだし、女子だからって昼食食べずに3時くらいに入ったカフェで「お腹すいちゃった〜パンケーキ食べよ!」じゃなくてハンバーグ定食食べてても普通に一口くれって言ってくれそうだし、ヘアオイルのブランド変えたことに野生の勘で気づいてくれる(仁科と違いブランドはわからない。仁科はブランドの検討つけてくる)

 

その辺は秀平もそんな感じする。でも光希と違って本人に言えなさそうなところもまた良い。

あと秀平はファストフードに行くと「女の子は海老アボカドが好きなんでしょ?」って言って来そう。

まあそうやって言われたら海老が苦手な私でも元気よく肯定して海老アボカドをオーダーすると思う。

 

ドラマも舞台のあと見たが、この作品は汗臭くないと思う。スポーツものの汗だく感がなく、プールの底の青が際立ってとても爽やかで、塩素の匂いがする。

すごく見やすいと思うし、ビジュアルや題材なら「2.5」感の薄いこの作品は、2.5系列への偏見を持っている人たちにはとても良い入門編だったはずだ。その偏見が、この作品に出演している彼らの行く道の障害になるなら、それを取り除く第一歩になったかも知れない。そうであればいいと、私は思う。

 

逆に言えば、このプロジェクトは2.5であるのにも関わらず、2.5らしい作品の作り方とは多分少し違っていて、それが私たちのような2.5に普段から浸かっている界隈の人間にとっては物足りなさみたいな、違和感とは呼べないけれど「感覚的な違い」みたいなのがあって、一話や始まるまでの高揚感の行き場を無くしてしまったような気がする。

「綺麗なペダステ」はそんな私の行き場のない期待を、私が思ってたよりもちゃんと掬いあげてくれた。でもあまり深読みしたり語ったり出来ないのは、この作品が真っ直ぐだからなのかなあと考えるのを放棄しつつ書いている。

私は概ね、このプロジェクト楽しかったです。

 

私の、なんのきらめきもなかった学生時代の記憶を塗り替えるように、舞台の上からはプールの香りがしたような気がした。 

 

高校生、最高ですね(まとめ)

 

 

ところで話は変わるのだけれど、推しの最近の仕事どうしたのだろう。

声優、声優で戦ブラの時の目新しさを失った私は微妙な顔をするばかりである。

(声優やるくらいなら2.5や2次元ではない一般の舞台に出て経験を積んで欲しいけどいつかみゆくんと共演してくれる可能性を考えて黙る)

 言い知れぬ不安感。

 

あと話関係ないけどやっぱりインスタライブで歌聴けるって最高だしスティンガー歌うまくて最高です。

 

そしてさらに関係ないけどこちら

前回みゆくんは次女の旦那・パーチック、今回みゆくんは長女の旦那・モーテルにランクアップ。あーー……みゆくん……おかえり……。

屋根の上のヴァイオリン弾きは、いつかそれだけ単体でブログにしたい。

 

男水は写真撮るの忘れてもうブロマイド開封式も終わっているのでインスタ画像はありません。

代わりにこちら。

 

 これの売り上げが良ければまた何か続くのかな。どうなんだいプロデューサー。

 

うっかり予算がついたら今度は私の推しもゲス野郎の腰巾着(http://www.fujitv.co.jp/uenosan/story/story10.html)以外の役で地上波に出れるのかい?

舞台『ジョーカーゲーム』感想

他人の推しなのだけれど、『ジョーカーゲーム』を観に行くこととなり、観てきた話をしたい。

アニメも見ていなかったし、本は買っただけで何にもしていない。

つまり、何もしていないにも関わらず、観に行ってしまったのだ。

 

がっつり内容に触れているので、これからDVDなどで観る予定があり、バレを親の仇くらい憎んでいたらブラウザバックをお勧めする。

 

そういえば、西田D輔氏にしては上演時間が短かった。2時間15分、アイアでも臀部シックスパックは避けることができそうだ。

 

一幕は佐久間中尉が中心のサスペンスで、二幕は三好の持っていたはずの「協力者のリスト」とそれを取り巻く人々の攻防だった。

二話連続で見たかのような感じで、一幕二幕でだいぶ違う印象を受けた。

 

ビジュアルの暴力

まず背広アンドタバコがめっちゃかっこいい。D機関の面々は全員背広にタバコで非常にセクシーだ。これでこそ第一次世界大戦後である。

そしてポーカーのシーン。背広、タバコ、ポーカーである。背広に、タバコに、ポーカーである。

一幕ではそれに加えて、スパイ容疑のかけられた米国人の屋敷に乗り込む際に、憲兵隊の制服、すなわち軍服を着る。D機関は諜報機関であって軍属ではないから彼らは軍人ではなく、軍人的価値観を嘲笑いながらも、それでも軍服を身に纏うというなんかその背徳的な感じも魅惑的だった。

推しも昭和やってることにはやってるけど、あれはタートルネックだし……。

 

慣れ親しんだスパイとの違い

殺人、および自決はスパイにとって最悪の選択肢だ。
平時に人が死ねば、必ずその国の警察が動き出す。

ーー結城中佐

ぶっちゃけメサイア育ちの私たちには初耳だよ。弾丸が頭かすめて川ポチャじゃどうも話はまずいらしい。

そして何より、彼らには救世主がいない。

「三好のメサイアになりたいーー」

と、思ってしまう。

彼らはたった一人で、異国の地でその場所に馴染み、生き、疑われずに任務をこなさなければならない。もちろん救いなどなく、自分の決断だけが自分を救う。

こんな残酷なことがあるかよ。三好のメサイアになりたい。

メサイアがいたら、三好が死なずに済んだのかっていうと、多分そうじゃない。死因は列車事故のせいで腹部鉄骨貫通なら助かるには賢者の石でも無いとダメだろう。鋼の錬金術師読んだことある?

でも私はメサイア出身だから健気に「知ってる〜〜これ死んでないやつ〜〜。アレでしょ? 偽装でしょ? 鋭利でしよ? 知ってる〜〜最終的に敵方に潜入してるやつ〜〜」って思いながら観てたのに、三好が病院のベッドに寝かされており結城中佐が手でそっとまぶたを下ろしてあげたので、「死んでた……」と思った。

で、よくよく調べたら書いてあった。

 役が決まったときのことを鈴木は、「あっ、死んじゃう人の役だなって思いました。舞台をする上では形作っていくには、非常に難しい役だなって。演出の西田さんと決めていこうかなって思いました」と、挑み甲斐を感じたのだとか。

http://edgeline.tokyo/wp/2017/05/03/舞台「ジョーカー・ゲーム」ゲネプロ開催!鈴木/

 しかも普通にアニメのキャラクター紹介にも書いてあった。

三好の死が避けられないものと知り、昨年各所で死にまくっていた勝吾氏をまた喪った。

 

二幕の演出がかっこいい

 一幕では割と西田Dみが抑えられていた。

だが二幕はだいぶ西田Dみがある。

ぴゅんぴゅん時系列が飛んだりするのも特徴だと思うのだが、一幕はそれがなく完全に一つのストーリーに沿う映画のような作りで、二幕は逆にそれがあるからこそ「事実」と「推理」と「現在」が混在してスパイアクションという感じがする。

例えば暗転と見せかけて懐中電灯であたりを照し出したりも、背景をスクリーンにして映像を映し出すのもだいぶ「ぽい」と思う。

三好が最後にステージを去る時にも懐中電灯を使うのだが、その時背景にあるアルファベットが「joker game」に照らされるのがアニメ感ある。アニメ見たことないけど。

 

一幕の感想も言う

もう完全に私の深読みでしかないんだけど、一幕ではポーカーとみせかけて「ジョーカーゲーム」に興じ、ただのポーカーだと思ってた佐久間さんは買収と騙し合いという「ジョーカーゲーム」の本質を教えられガン切れする。

で、その佐久間さんが憲兵隊として米国人(ゴードン)宅に乗り込み、そこでその米国人が盗んだ機密書類の隠し場所というカラクリを佐久間さんによって暴かれる。

D機関の面々にとっては簡単なことだったと思う。D機関的、諜報員的発想を持っていれば、簡単な答えだったはずだが佐久間さんは軍人的価値観の持ち主だ。だがそれをあえて佐久間さんに言わせるというD機関のある種の洗礼という側面、そして家宅捜索されたゴードンからしてみれば佐久間さんの指示によって暴かれることになる隠し場所という見え方。三好というプレイヤーによって提示される佐久間さんという「ジョーカー」、すなわち「切り札」である感じがかっこよかった。

「ジョーカー」の佐久間さんは番外の札らしく、一幕ラストにD機関から去る。そうやすやすと、切り札は使えないよね。

 

佐久間さんめっちゃ主人公

一幕は佐久間中尉がD機関に馴染んでいく、ある種の成長を描いていたと思うのだが、まずその様がとても主人公。

二幕はほぼ出てこないのだが、D機関の面々がそれぞれの任務を終えて帰国した際に、一幕で戦地に送られた佐久間さんも、一員としてカムバックしてくる。

本来三好が居るべき場所を照らすスポットライトを見つめながら近く足音が、もしかしたら三好なんじゃないかって期待してしまう。三好が帰ってきたんじゃないかって。死んでるのに。

佐久間さんはそんな期待を歯牙にも掛けず、颯爽と現れて三好が立つべきその場所に立ち、軍人らしく(佐久間さんらしく)帰還を告げる。

あれだけ三好と反目していた人が、三好の立つべき場所で自分らしくあるって言うのは、胸に迫るものがある。

三好のメサイアになってあげてよ……。佐久間さんが三好を救うことができたなら、三好は死ななくて済んだかもしれないじゃん……。列車事故だからどうしようもないけど。

 

お笑いシーン
別にいらないと思うんだよね。オラキオさん普通にお芝居してるだけでも存在感あるし、まあ西田D氏がやりたいならやればいいんだけれど。
ジョカゲだかどうというわけではなくて、例えば板の上の役の、キャラクターとしての素が、日常パート垣間見えたりする時に少し笑えたりとかそういうのは好きなんだけど、シリアスなところにぶち込まれるのは「別に無くてもなあ」と思う。

 

と、まあこんな感じで楽しい舞台だった。

最後に結城中佐の名言に触れておく。

女は必要もないのに殺すからだ。愛情や憎しみなどといった取るに足らないもののためにな。

ーー結城中佐

メサイアのことかな?

 

混同してるのは私だけかもしれない。

 

メサイアの持つ熱さや感情はジョカゲでは全く役に立たないというか、まさしく別物って感じだ。

仕組み、情勢、思考、最適解。まさにハードボイルドな舞台だった。こんなに違うものかしらね。

 

 

 

完全に余談なのだが、三好について評する、三好が潜入していた際の隣家の人の言葉として、「美男」というのが出るのだが、そこで「んんんんんんん〜〜〜〜」みたいな喜び方を内心ではしていた。

 なんかイケメンとかハンサムより美男って褒められてると「そ、それだ〜〜」ってなりませんか。

 なるんだ、私は。

 

またメサイアメサイアうるせえなってなってるのはひとえに悠久のせいで、「こんな日が来ると思わなかった」とは一体何、どんな日が来たの。

「こんな日がくると思わなかった」

一体どんな日なのでしょうか。

動き出す悠久 | 井澤勇貴オフィシャルブログ「yuu-style」Powered by Ameba

 有賀にも分からないこと私に分かるわけないね。

終焉も悠久も果たして白いのだろうか。空白の中に漂うだけじゃ、きっと幕は降りないよねこっわ。

日の当たる場所で生きることもなく、死ねもせず、産まれてから今日までずっと曖昧な社会のグレーゾーンをたゆたって来た有賀さんにも、人間らしく望むものがあるなら、それを手に入れて欲しいと思う反面、

そこに間宮がいないことも、サクラが人間らしく生きていけるはずがないことも知ってる私たちはどうしたら良いのだろう。

 

はー、つらいね。

有賀の幸せに、せめて加々美が寄り添える未来が来ることを祈りつつ。

すべてをやりきった三好が、安らかに眠って、出来ればD機関のみんなでワイワイしている番外編があるならそれを紹介して欲しい。

 

 

ミュージカル『薄桜鬼 原田篇』感想

男が女を守るっていうのは、間違いなく正義だ。

 

薄桜鬼において 原田左之助は、変若水を飲まない。

若水を飲まないということは、羅刹にならない。

羅刹にならないということは、吸血衝動がない。

吸血衝動がないということは、薄ミュにおけるキスシーンのくだりで吸血を伴わない。

 

皆の者ーーーーーーー月9じゃーーーーーーー!!!!

(月9ではない) 

 

 思い返せば昨年夏、原田篇が発表された時の耳をつんざくような歓声の中、ぼろぼろと泣いていた私たちもまた、悲鳴にも似た歓声を上げた。

来るなら来いと思っていたが、本当に来るとびっくりするものだ。

 

三馬鹿(藤堂、原田、永倉)のうち二人(藤堂、永倉)が前回より新しいキャストを迎えた。猪野氏のブログはとても泣ける。

https://ameblo.jp/hiroki-ino/entry-12162336641.html

薄桜鬼って儚いコンテンツで、なんかとてもキャス変する。踏み台にされ、大事にされ、ここまで漕ぎ着けたのだろう。

私はその歴史の後半しか知らないのだけれど、この目で観ることができて本当に良かったと思う。

上がった幕はやがて降ろされなければならない。

原田篇は大千秋楽まで進んで行き、薄ミュというコンテンツの先はまだわからない。

それでも、今この時代に、共に在ったことを嬉しく思う。

 

ポエムはこれまで。

 

原田篇だよ!!!!というテンションに誤魔化されるかなと思いながらオムニセブンで購入した納谷くんやとんちゃん、あとなぜか前山剛久氏などなどのブロマイドを眺め、舞台前日の恒例行事であるコットンパックをしながら書いている。

 原田は「羅刹化しない」という薄桜鬼におけるベストオブテンション上がるポイントをまるっと無視し、そのぶん千鶴との朝チュンがあり、新八との友情があり、普通の(普通とは)乙女ゲーム感満載である。

 

私の記憶が確かなら、他ルートにはあった葛藤や抗えない歴史の流れ、変わって行く時代に迎合出来ない隊士みたいなものはほぼ無い。

なんだかひたすらに甘い言葉を原田が言うんだけど、千鶴がそれを千鶴への想いだと断定出来るようになるまで時間がかかって 、で同衾。

最終目標が夫婦なだけあって、完全にラブストーリー。

それで、だ。

薄ミュの醍醐味っていうのは殺陣あり、歌あり、儚い運命の中で成就する恋あり、だと思うんだけれど、原田ルートっていうのは羅刹化しないから安心と信頼の寿命で……。

つまりまあなんて言うか、いちゃつきが多い。はずだ。

生で観て大丈夫だろうか。実家のリビングでラブシーンを親と見てしまった時のようにならないだろうか。

 

緊張する!

 

***

 

観てきました。以下感想、ネタバレありです。

 

思い入れ is やたら深い。

 

波はジェットコースター

薄桜鬼のテンプレとして、夜の京の街で浪人に絡まれ→羅刹に襲われ→「あーあ、一くん仕事が早いよね」「俺は勤めを果たすべく動いたまでだ」→「背を向ければ斬る」→屯所で女である事と父親のことが露見、というのがある。

原田篇もあることにはあるのだが、その後池田屋禁門の変までダイジェストかってくらいの勢いで話が進む。

これ大丈夫? 付いてこられてる? 甲府のシーンとか甲府だって気づいてるかなみんな。

ダイジェストになってるのには確実に原田篇であるからだろう。原田さんの良さは前半には発揮されない。

観るときはこれまでの薄ミュや原作で勉強することをおすすめする。

 

恋はジェットコースター

原田さんと千鶴ちゃんがずっと一緒にいるんだ……!!

何度も言うが今までのルートは千鶴ちゃんとの間に「羅刹である」「戦に赴く武士である」ということを一枚挟んでいた。それがない。千鶴ちゃんが鬼であるということも最早恋愛のエッセンスにしてしまう原田さんの懐の深さ……。

そして花凛ちゃんの歌が上手すぎる。とんちゃんと二人で歌う時とかもうこれ美女と野獣(映画見た)かな? ってな具合だ。

めちゃめちゃ月9だった。

最終目標はが夫婦の二人は進みが早い。

キスはするだろうとは思ったけれど、まさか同衾するところまでやるなんて。

二人とも歌がとんでもなく上手くて、ずっと聴いてられる。

カテコのヤイサでお互いのことを見て微笑んだりするのだか、それを見てまた私は泣いた。

 

ファムファタールたるのか

昔はそんなこと考えなかったが、原田さんと永倉さんという親友が分かれる原因に、千鶴ちゃんがいるってことにやっと気づいた。

原田ルートの千鶴ちゃんは「責任を取らなくては」という強迫観念に苛まれているから、「魅惑の女」って感じじゃないだけだ。

思いきり抱き寄せられると心

あなたでよかったと歌うの

愛のかたまり KinKi Kids

 

夢に見し光を信じてひさかたを仰ぎて 

抗えぬ時代の刃に

傷ついて倒れてなお

夢に見し光を信じて

ひさかたを仰ぎて

舞風 吉岡亜衣加

土方さんが近藤さんと見た馬鹿げた夢が、原田さんと千鶴ちゃんの恋とは平行に描かれている。

まさか、土方さんが最果て(函館)まで行き、風間さんと決着をつけるシーンをやると思わなかった。

確かに、原田さん絡みでは新選組の他のみんなの大河ドラマはあまり描けない。だから独立して描いたのだろう。

 

ぎゅっと詰まった中に、舞台が二つあるみたいだった。

 

原田さんの戦いを描いているのに、これでおしまいと言わんばかりのいいとこ取りだ。古い曲を新しい歌詞で歌っている現行キャストの姿に泣いた。ヤイサといえばいつものヤイサなのだが、今回歌詞を変えて最後、土方と風間の戦いの前に歌う。

ここの泣けるポイントは二つ。

一つは羅刹として戦う沖田慶彦はちらりともそちらをみないのだが、その肩に近藤さんが手を置くところ。

二つ目は羅刹として戦い抜く覚悟を決めた藤堂つばさが山南輝馬と顔を見合わせて、胸のあたりをギュッとするところ。

沖田さんや平助くんより先に死んでしまった二人も、仲間として共にある。

 

前半はそんなことないのだが、原田さんと永倉さんが離隊してからは特に顕著だ。風間さんが洋装になった姿を見てたちまち泣き始める勝吾担の友人が面白い。

 

至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり

不知火ーーーー。

不知火はいいやつだ。嫌いだ、取るに足らない、ちっぽけだと言いながら決して人を見限らない。

柏木さんが言っていた。「斎藤篇は端っこで終わったのに、今こんな真ん中にいる」と。

すごいことだと思う。

今、もう斎藤篇からいるのは柏木さんだけになり、きっとその想いもひとしおなのだろうと、推察するばかりである。

魂を信じない不知火さんを演じる柏木さんの中には、初演から受け継ぐ誠がある……(ポエム)

初演メンバーがたくさん観に来ていた時のカテコ、みんなを探す柏木さんの姿が誇らしかった。

泣きそうになるからこういうこと書くなよ〜〜。

おもしろき こともなく世を おもしろく すみなすものは 心なりけり

高杉晋作

 

「変わらないものをこそ、信じている」

絶賛させてください。

納谷くんが最高でした。

今までの斎藤さんは、粘り強く、したたかで、心に全てを秘めて内省していく斎藤さんだったと思っている。松田氏と橋本氏の「斎藤一」はとてもよく似ていて、まさに「変わらないものをこそ信じている」斎藤さんであった。

納谷くんは、しなやかで、爽やかで、美しい斎藤さんであったと思う。「変わらないもの」を信じるだけではなく、変化を受け入れ、自らも変化して行く。そういう斎藤さんだった。

松田氏と橋本氏が内へ内へと押し込めるように演じていたのと対比されるように、納谷一くんが持つある種オープンな外向きの力が初めて沖田さんに向かう時の話は次のセクションで。

 

納谷くん、とても強かった。小夜で初めてお仕事を拝見しとても驚いたのだけど、やはり納谷くんの身のこなしは眼を見張るものがある。

素晴らしかった。本当に。

Patchに行きたい、心の底から思う。

 

「Give me the power change the world 」

 新曲祭りだった。当たり前なのだけれど、新しい話のわけだから、新曲書き下ろしが多いわけだ。

でもそれは原田さんや千鶴ちゃんが中心だった。

平行に描かれている新選組パートでは、歌詞が少しずつ違う名曲がたくさん出てくる。

一番泣いたのは「Give me the power 」である。

今回、期待していた双璧感が結構薄い。序盤は特に。

でもこんな記事を書いたくらいには、双璧に期待していた。

 http://aoionon.hatenablog.com/entry/2017/04/14/211249

そこで不意にやってくる、藤堂篇で双璧が二人で歌った「Give me the power 」のイントロ、そして沖田慶彦の歌い出し「こんなの、悪い夢みたいだ戦えないって」……。

藤堂篇の双璧は、割とメサイアだった。松田氏から橋本氏になったことで、ちょっとみんなの思い入れが薄れてしまったくらいのものだったと思う。二人で歌い、二人で戦う、千鶴ちゃんの介在しないステージという点では救世主たり得た。

http://aoionon.hatenablog.com/entry/2017/04/14/211249

こんなことを書いていた人間には刺激が強い。

正直、曲が聞こえた瞬間から涙が溢れてきた。

今回割と沖田さんは孤独だ。土方さんが差し伸べた手を突っぱね、一人病を理由に残され、千鶴に救われるでもない。これは、原田篇なのに沖田さんのことを描いてしまったが故の孤独で、「気づいたら変若水飲んでた」くらいの感じで描けば客は孤独すら感じなかったのだろうと思う。

今回、沖田さんに戦うことを決断させたのは、斎藤さんだった。

沖田慶彦は土方岳を殴った後にこう言うのだ。

「僕は先に会津に行きますよ。一くんもいるみたいだし」

沖田慶彦は納谷一くんに触発されて、追い、戦えるのだと証明しようとするのだ。

戦うことを諦めかけた沖田さんの心を救ったのは、納谷一くんの持つ外向きの力だと、感じないだろうか?

 

こんなの、双璧として最高だ。

 

「鬼としての名をくれてやろう」

 元土方、現在鬼の佐々木千景、アニメだった。

ゲームから抜きでてきてそのまま動いてるみたいな。

わざわざたぶん、声を寄せているのだと思う。そういうの別に、いらないと私は思っている。だって演じているのは津田健次郎ではなく佐々木喜英だ。ヒデ様の風間でいいはずだ。

でも、津田健次郎に似ている、似せていると感じた時、同時に感動した。

美しかった。

ヒデ様の風間で良いと思ったが、これがヒデ様が表現する風間なのだろうと思う。原作に寄せることもまた、手段の一つでしかないのだろう。それが一つのリスペクト、表現なんだなと。

土方を演じていたヒデ様が、黎明録で鬼になる覚悟を決めたヒデ様が、鬼として、松田岳という自らの後の土方に言うのが、なんともエモーショナルである。

羅刹というまがい物の名は、貴様の生き方には相応しくないようだ。

貴様はもはや一人の鬼だ。

貴様の存在に敬意を評して名をくれてやろう。

ーー『薄桜鬼』だ。

 そして二人で歌う。

「鬼として認められる為に〜」「良いだろう全てを〜」

エモーショナルすぎる。

 

そういえば、初演メンバーがたくさん観に来ていた回の演技は、みんなより熱くなっていたかもしれない。

 

「俺がいないとダメすぎだからな!」

木津つばさくんと福山翔大さんがとても良かった。

今回、原田篇ということでガッツリ油小路を描いているのだが、「藤堂つばさが飲む変若水」はなんだかこれまでの羅刹化とは重みが違った。

藤堂篇は主人公だった。でも今回は永倉さんに新選組という組織に対する違和感を与える為に羅刹になるようなもので、千鶴もいないのに救われるわけがない。

救われるわけがないのに、年若い藤堂つばさくんが羅刹化するという、老婆心直撃のストーリー。

元気な彼を見たいときはこちらの番組を見るしかない。

 猫のひたいほどワイド | デジタル3ch テレビ神奈川

 

永倉さんにしても、ずっと一緒にやって来た原田さんに負け、笑顔で二人を見送るシーンがあまりにも切なく、泣けた。涙ぐむ声で原田さんに問いかける永倉さんの背が、切なかった。

原作通りの、二人を抱き寄せるシーンがとても良かった。

 

とても良かった。二人が新しいキャストで、本当に。

 

和睦しないスタンス

山南輝馬が不穏。

あれだけ羅刹化したときに、苦しむのではなく狂う演出になったのは今回初めてだ。山崎さんも、苦しむというより狂っていた。

山南さんは少しずつ狂い、ガムシャラに、手段を選ばず生き残る術を探している。意思と関係なく動く腕を抑え込み、笑い、糸の切れた人形のように動く山南さんがマジで怖い。

そしてそのトドメを刺すのが風間さんなのだが、刀ステでは兄弟だと今更気づいた。

 

推しの話をさせてください

最高だった。

歌も演技も上手くなっている。確実に、上手くなっている。上手くなっていると思う。贔屓目だけど上手くなってる。え、上手くなってるよね? 不安になってきた。

今回、労咳が露見するのは千鶴ちゃんに対してではなく土方さんに対してなのだが、故に原作通りのセリフを口にする。

命が短くても長くても、僕にできることなんでほんの少ししかないんです。

今までの沖田慶彦は、儚く、桜にまかれそうで、そのまま消えてしまいそうな雰囲気があった。

今回は、生に、生きて戦うことに固執している感じが強く打ち出され、内面の葛藤や覚悟が感じられた。

素晴らしく良かった。

近藤さんの死後、土方さんに詰め寄るシーンがある。これまでも激昂したそのシーンの演技は鬼気迫るものがあり、「土方さんを許さない」という決意が爆発していた。今回は、どうして、なんでと問いながら土方さんの肩に額を載せ、泣いている。

土方さんもまた、そんな沖田さんのことを抱きとめる。

二人は、近藤さんという大切な存在を亡くしてしまったために、寄り添うのだ。

その時の涙をこらえる沖田慶彦が最高である。まぁ結局殴るんだけど。

 

 

全体的に、殺陣がより早く、そして手数も多く、推しやヒデ様が好きなあのクルクルも多くの人がやっており、とても華やかなことになっている。

カーテンコールでみんなに迎えられる原田啓介の姿を見て、それは階段を降りて両腕を広げる座長の姿で、「やっぱ座長公演ってこうあるべきだよね」と泣いた。
やがてあなたが0番まで階段を降りてきて、両腕で喝采を受け止めてくれる日が来る。Kとか。信じてるぜ。

原田さんの戦いの他に新選組の戦いも描いているから、舞台上でみんながみんな戦っていたり、いくつ目があっても足りない。

最初に書いた通り、スピードは早い。特に前半は。その点では「分かっている人向け」の舞台かもしれない。

でも勉強してでも見る価値があると思う。

これまで薄ミュが積み上げて来た歴史が、怒涛のように繰り広げられる。

 

感極まる。

 

感極まるを得ない。

 

例えばここで終わることになったとしても、美しい幕引きであることは確かだ。

上がった幕は降りなければいけない。

 

いずれ、いつかまた咲く、満開の桜を願って。

 

千秋楽お疲れ様でした。私もこの作品が大好きだ!

 

 

 

絶対舞台化しないと思うけど好きな作品

絶対に舞台になることはないだろうと思っていた治安の悪い界隈の作品すら、舞台になる。

そんな中で舞台化しないコンテンツなどこの世にあるのだろうか。

あるかもしれない。

 

別に無理して舞台になる必要は全く無いのだが、私の場合薄桜鬼の前例があり、「舞台化する」=「私の中でリバイバルが起きる」となるので、舞台化することによって私の中で再ブームになって欲しいと思う好きなアニメ、マンガを紹介する。

 

こういうのをなんていうのか知っているよ私は。

妄想だよ。

 (以下、著者名等敬称を略すこと、ご容赦いただきたい)

 

交響詩篇エウレカセブン

「初っ端からロボットアニメかよ」と思わないでも無い。「舞台化しないと思う」とタイトルした以上、舞台化したら私の負けなので一番最初に持って来た。

これは主人公・レントントレインスポッティングが名前の由来である。続編おめでとう)とヒロイン・エウレカのボーイミーツガールバトルアクションロボットフィロソフィーアニメである。

爽やかかつ、恋愛を通り越し二人が家族になっていく様は応援せざるを得ないし、そもそもあらゆるカップルが恋を超えて家族として共に生きようとする。泣ける。

20話くらいまではしんどいかもしれないが、25話くらいから格段に面白くなる。50話見きれる体力と時間のある人にはオススメできる。

なぜ舞台化出来ないか

LFO(人型巨大ロボット)の戦闘シーンを再現できない

コックピットだけ置いてあってあとは映像にされても困る。

・リフ(空中サーフィン)を避けて通れない

レントン達が所属する反政府レジスタンス、ゲッコーステイトは表向きリフボーダーのグループである。舞台でワイヤーでもするのか? リフは避けて通れないため危険。

余談だがやはり男水がエアスイムのようでもはやなんでもありだなと思った。

・50話もある

長すぎる。

・今年映画になる

アニメがモリモリ動き始めたのに舞台にする必要がない。

アニメよりマンガのほうが格段に短いのでマンガから手を出すと、だいぶストーリー違うのでびっくりする。

植田氏にレントンのコスプレしてもらいたいって、日々思ってます。

 

つり球

ノイタミナにて放送されたSF釣りアニメである。内気であがり症の主人公・ユキと、どうしても釣りがしたい宇宙人・ハルが江ノ島を舞台に、楽しく釣りをして成長しながら世界の存亡をかけて釣竿を握る物語である。

ユキたちの同級生である釣り王子・夏樹のいとこ(エリカ)は作中巫女服まで着ており、「お、彼女がヒロインかな?」と思うのだが、実際ヒロイン枠はハルだ。ハルはみゆくんである。

通常1クール放送の場合11話で終わるノイタミナの中では異色の12話構成で、エウレカの約4分の1と非常に見やすい。

なぜ舞台化出来ないか

・釣りが題材

気が遠くなるほど地味な上に、思い出すのは「インフェルノ」のウィー・ウィーの釣りシーンである。

糸、付いてなかった。

エアフィッシングに今更どうこう思わないが、いかんせん地味である。キャスティング(投げ釣り)の練習に一話使うのに舞台に出来るものだろうか。

・古い上に展開がない

いまつり球を舞台化するなら、サイコパスをした方が全然興業が成功しそうである。

映画にもゲームにもなっていないつり球より、先に舞台になる作品は沢山ある。

深夜でドラマとかやりそうな雰囲気のある作品ではあるため、だれかコアな偉い人の目に留まればもしかしなくもないと思うのだけれど、そう簡単にはいかない。

ハルを納谷さんがコスプレしてくれるだけでもいい。

めちゃくちゃ2.5舞台っぽい作品なので気が向いたら見てください。

 

ハイガクラ(作 高山しのぶ

歌を歌うことによって神を使役することが出来る歌士の一葉は、沈みゆく故国のために従神の滇紅と共に海を渡り、因縁と陰謀のなかで冒険する話である。

あまつきとめちゃくちゃに迷ったが、こっちの方が舞台に向いていると判断した。

とても衣装やキャラクターが華やかで、踏々歌(歌士が神を従える際に歌い、舞う歌のこと)もまた派手で舞台映えするはずだ。

なにより、一葉とその従神、それを取り巻く人々(神々)の様がとてもエモーショナルだと思う。

うっかり動く一葉や滇紅を見たら泣くかもしれない。

舞台に出来ないと思う理由

・キャラがめっちゃ多い

龍王の子供達だけで九人いる上に、一葉の従神も続々増えている。みんな出したらあんステレベルもしくはそれ以上に人がいる舞台になってしまう。

舞台の上ギュウギュウ。

脚本家パワーでどうにでもなる可能性を提唱したい。

・アニメ化すらしていない

ドラマCDになったことがあるので声優は付いていると言えば付いている。

だが、アニメ化してどーーーんと目立ってもいない作品が舞台になるだろうか。甚だ疑わしい。

・伏線が多い上に完結していない

完結していないので「〜〜篇」という風にしたとしても、伏線が多くスッキリしない展開になること間違いなしだ。

批判されそうでいやだ。

そもそも完結していない作品をアニメ化したり舞台化したりすると尻すぼむイメージがあるので止めよう。

滇紅が推しだったらいいなと思っている。奏くんと仁希を一気に見れる感じになるはずだ。いいとこ取りである。

だが、残念ながら私の好きなキャラクターは比企だ。

 

D・N・ANGEL(作 杉崎ゆきる

14歳の誕生日に想い人に振られた丹羽大助は、その夜覚醒した「恋愛遺伝子」によって大怪盗 ダーク・マウジーに変身。大助としての日常、怪盗ダークとしての仕事の狭間で、想い人である梨沙、その双子の姉・梨紅を巻き込んでのアクションラブコメ伝記少女漫画である。

これも舞台向きだと思う。ウィズ、という使い魔がいたりするのだがフェアリーテイルみたいにラジコンにしてもいいし、最悪いなくてもなんとかなるのではないかと思っている。

なにより変身シーンがスモークでもいいと思うし、舞台の上にはいるのに周囲の人には認識されずに騒いでる大助役の人のことを思うだけで可愛くてヤバイ。妄想。

舞台にならないと思う理由

・完結してない

いっそ舞台化して完結させて欲しいに一票。

アニメはとても綺麗に終わっており、完結していない作品のアニメとは思えない。最高に面白い。

もはやアニメが原作なのではないか。

・古い

何年前の作品だよという感じである。この作品を舞台化するより前に舞台になるであろう作品が多すぎる。

犬夜叉が舞台になる今、おかしくないのではないかと思っている節もある。

だが、犬夜叉は完結している。この差。

梨紅を田上真里奈氏がやってくれたら言うことは何もない。

 

アニメ最高なので是非。

 

神々の悪戯

ブロッコリーから出ている乙女ゲームで、「箱庭」と呼ばれる学園型の施設に人間嫌いの神々と一緒に人間代表として生活することになったヒロインと、かの有名な神々との恋愛を描く物語である。

基本的なストーリーは「あー、はいはい」という程度なのだが、想い通じ合ってから別れまでがくっっっっそ早い。むしろその別れを見て泣くためにこのゲームはあり、そこを評価できない人間にこのゲームはお勧めできない。

突拍子もない神々の言動と行動を「彼らが人間を理解していないからだ」と理解してあげる広い心と、「どうして彼と離れなければいけないの?」と涙を流せる純真な心を持ったあなたにオススメする。

個人的な話だがアポロン様がこの世界の二次元作品の中で宇宙一好きである。

あと豊永利行氏のキャラソンが良すぎてキャラソンでいいのか疑問を持つ。

舞台化しなさそうな理由

・ストーリーのクオリティがカスい

乙女ゲームの舞台化は、薄ミュのように「〜〜篇」とするか、もしくはマルチエンディングになると思う。マルチエンディングにしてもアニメルートにしても、割と元のストーリーがカスである。

トーリーの予測がつきまくり、予定調和の展開、「来るぞ」と思ったタイミングで現れる障害……。

美味しいところ取りしたらマシになるかもしれないが、これを書いていたらアポロン様ルートでは昔の女が出て来ることを思い出して苦しくなってきた。

・なんか人気がない

ねえなんでこんなに人気がないの?

なんとかのプリンスだって別にさほど面白くはなかった。かみあそだって同じじゃないか!!

どうして!! もやは舞台化してくれという感情しかない。大人気俳優キャスティングしていいとこ取りした泣ける脚本で舞台化して一発逆転狙うしかない。

なぜアポロン様が宇宙一タイプかというと、まず太陽(神)で、金髪、主人公(メインヒーロー)気質、王子様のような立ち振る舞い、声帯が入野自由だからである。

作中登場する『枷』と呼ばれる装置がとうとう売られる。『枷』とは登場する神々の神としての力を封じるもので、アクセサリーの形をとっているにも関わらず、今までアクセサリーにならなかったものだ。

http://www.artemiskings.com/collaboration/anime/collaboration-kamigami-yokoku.html

欲しい。

 

だんだん趣旨が変わってきた気がする。気を取り直してどんどん行こう。

 

 UN-GO(原案 坂口安吾

ウンゴ、ではなくアンゴである。

坂口安吾『明治開化 安吾捕物帖』を原案としたSFミステリー作品である。

「敗戦探偵」結城新十郎とその相棒・因果が様々な難事件の解決に挑む。私は坂口安吾の探偵小説が大好きなのでこのアニメもめちゃくちゃ好きだった。もし舞台にするとしたら2.5でありながら推理小説を原作に持ち、どこにアイデンティティを持つのかわからない雰囲気となり、この作品の持つディストピアな世界観に良くマッチすることだろうと思う。

舞台化しなさそうな理由

・流行らなかった

このアニメ、今まで見ていた人3人しか知らない。最近はもはや放送していたかすら怪しいと思っている。

本当にやっていたのだろうか。私の幻想かもしれない。

・万人受けしない

SFミステリー探偵ものという詰め込み過ぎ状態であるため、とても万人受けしない。

ただびっくりするくらい刺さる人には刺さる作品だと思う。

ディストピアって言われてご飯三杯食べれるとか、そういう人は好きだと思う。

 

蝿男(著 海野十三

もはやアニメですら無いのだが、海野十三の書いたSF冒険探偵小説である。

名探偵 帆村壮六と猟奇殺人犯 蝿男との推理バトルを描いた作品で、ちょっと名探偵コナンみのある小説だ。 帆村の軽ーい名探偵ぶりもさることながら、簡単に守られてくれないヒロインや癖のある検事や刑事が出てきて、お約束でありながらもテンポよくアクションを交えて話しが進んでいく。

帆村シリーズは一つ一つ趣が違って面白いのでオススメだ。

蝿男を読んだら『俘囚』を次に読むことをオススメする。

舞台にならなさそうな理由

・蝿男がグロい

いきなりネタバレてるかもしれないのだが、蝿男周辺がグロい。

・目の付け所がシャープ過ぎる

海野十三を舞台にしようという発想が無さそうである。江戸川乱歩のようになんか厨二心をくすぐられるのならともかくとして、海野十三って、どうなの?

帆村の純矢氏感は相当だと思うのだがその辺は読んで見たことのある人にアンケートを取らないとダメかもしれない。

青空文庫でも読める。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000160/card1254.html

 

わかばのテーブル(作 芝生かや)

彼女と別れ傷心の道信は、気分転換のために田舎に引っ越す。そこで偶然出会った幼稚園園児の歩とご飯友達になるこの漫画。

めちゃくちゃほっこりする。

見つけたきっかけは鈴木勝吾担の友人と本屋をうろついていて、表紙の主人公・道信を見た私が「これ勝吾くんみあるのでは?」と言い出し、友人が驚くべきチョロさで「買うわ」と買ったことである。

昔はこういうハートフル漫画って誰が読むのかと思っていたが、こういう社会に疲れた人間が読んで泣くためにある。

舞台になら無さそうな理由

・普通にドラマ化しそう

内容、子役、田舎町、お仕事、その全てドラマ化しそうな雰囲気しかない。

ドラマ化して道信が勝吾くんでない時どうしたらいいかわからない。

 

わかばのテーブル (Beコミックス)

わかばのテーブル (Beコミックス)

 

 『だんだらごはん(作 殿ヶ谷美由記)』もごはんマンガだが、新選組主役の歴史マンガという側面もあって、みんなのこれからを想って泣ける。

 

 

ヴァニタスの手記(作 望月淳

前作『PandoraHearts』と大いに迷ったがこちらで。確か前にAmazonのリンクを貼った気がする。

吸血鬼潜む十九世紀・パリ、蒸気機関の発達した世界で吸血鬼専門の医者 ヴァニタスと、世間知らずな吸血鬼 ノエの二人が暗躍(?)するダークファンタジーである。

私のように特定の病(厨二病)を患っている人間が好きなものが詰め込まれている。衣装もめちゃくちゃに可愛くなるはずだ。

舞台にならなそうなところ

・既刊二巻

少ねえ〜〜。舞台化する余裕がない。

逆に言えば二巻買えば追いつくし買ってみたらいかがでしょう。

・むしろ舞台になってないのがおかしく思えてきた

完全に早漏の発想だがこんなに2.5なのに舞台になってないっておかしい気がしてきた。私が見損ねているだけで実際はもうやったのではないか。

もうなんかこれに関しては舞台化うんぬんより人気出ろよという私の願望でしかない。

http://www.jp.square-enix.com/magazine/joker/series/vanitas/

 ぶっちゃけ、パンドラのジャック=ベザリウスが一番好きなのだが、パンドラは終わってしまってしばらく経つし、もはや流行って欲しいのでヴァニタスをオススメする。

 

私の家では何も起こらない(著 恩田陸

絵本に出てくるような丘の上の小さなお家は、幽霊屋敷として有名で、その家に住む、関わる人々の怪談集である。直木賞本屋大賞おめでとうございます。

『鬼談百景(著 小野不由美)』と迷ったのだが、物語として一貫性がある方が舞台への希望が持てると思ったのでこちらにした。

私は怖い話とか大好きで、ネットで有名な話は読んだと思うのだが、そこから「怪談小説」に最近手を出し始めた。そのうちの一冊がこれで、夜想像して眠れなくなるような事もなく、伏線と反復があって先が気になり、かつゾッとするというすごい作品だった。さすがー、さすがですー。

舞台化しなさそうな理由

 ・もはやオムニバスでスペシャルドラマになりそう

舞台でやる必要なしって感じ。

好きなので紹介しました。薄いのでぴゃーーーって読めます。

 

私の家では何も起こらない (角川文庫)

私の家では何も起こらない (角川文庫)

 

 

 

疲れてきた。

もう6000字も書いているし、もはや7000も見えてきた。

途中から入野自由のお仕事紹介みたいな雰囲気だったり、私の本棚紹介になっているが、よかったら見たり読んだりプレイしたりしてくれると嬉しい。

 

慢性的な厨二病を患う私と趣味が一致するかどうかはわからないのだが、そんなこと言ってたら一生紹介などできないので一般ウケは気にしなかった。

ブクログの私の本棚のリンクやスクショ貼れば良かったのではと、ここまで書いて思ったが時すでに遅し。