サニーサイドアップフォーチュン

映画、特撮、演劇、ダンスボーカルグループ

感想『ブレードランナー 2049』『レディ・プレイヤー1』『シャイニング』『ポスト・モーテム 遺体写真家トーマス』『死霊館』

ブレードランナー 2049

言わずもがな、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を原作とした1982年公開の映画『ブレードランナー』の続編として、2017年に公開になった作品である。私は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』は読んでいるが、『ブレードランナー』は観てない状態でこの作品を鑑賞している。

全体として、やはり嫌いではないのだがとにかく長い。普通なら削りそうな描写など、妙に長く撮り続けるのが監督流なのかもしれないがとにかく長く、削ってもっとテンポ良く進められそうな気がしてならない。が、削ってしまって退廃的・かつ混沌とした空気感が薄れるのかと思うと難しい。この映画の魅力はそういう空気にあることは否めないので。

街並みの、新宿でありソウルであり香港であり上海みたいな造形はかっこいいが、アメリカ設定のためかあんまりアジア人はおらず混乱する。警察があんまり組織としても制度としても機能しているような印象を受けず、基本的にはそういう統治機構そのものが排除された映画の構造だと思う。もちろん主人公・Kは捜査官ではあるが、結局は彼のアイデンティティレプリカントと人類の差、出自とそれに伴う情緒の話がメインなので、組織図は必要ないということなのだろうか。

ハリソン・フォードは『スターウォーズ』しかり『インディ・ジョーンズ』しかり、やたらと大作における子育てに関与できなかった父の立場になっているな、と思った。それだけずっと映画界で地位を確固たるものにしている、ということか。

ところで、実はYouTubeで前日譚である短編が観れたらしい。全然気づいていなかったのだが、予告編を検索したときに表示されたのでリンクを貼っておく。見ておいた方が、多分わかりやすい。

 

レディ・プレイヤー1

楽しかった!画面に色んなものが出てくるのでそれを見てるだけで十分うきうきする映画だと思う。なにより『DUNE』や『AKIRA』を観てからの視聴なのが我ながら良いタイミングだった。金田のバイクが最初のレースで出てくるのはやはり、『AKIRA』で最初に金田たちがチェイスするからなのかな。

オアシス内の巻き起こる全て──映像がとにかく楽しく、特に最初のレースシーンなどはおそらく映画館で見たら迫力があったのだろうなと思う。4DXで見るためにBGMをなくしているような感じだった。

正直、パーシバル(ウェイド)が最初の試練を乗り越えて、目に見えて調子こくシーンあたりは共感性羞恥が凄まじく観ているのが辛いと思ったが、それを超えてIOIに対して反撃に出たりチームとして5人が機能し始めるところなどはヒーロー好きとしては堪らない。ただ全員家が近所で敵の本拠地も近所のため、現実世界ではずっと近所を走り回るだけでオアシス内の話に比べて規模感が小さい。カーチェイスやアクションなどドキドキするし、展開上全員が集合できなければ面白くないので仕方ないのだが、見終わった後にちょっと思ってしまった。

若いうちにしか調子にも乗れないし、正義のために戦うこともできない。ウェイドはとにかくオタク的な記憶力と回転の速さを持ってるが、年相応にそういう幼いところもある感じで、王道のアドベンチャーだった。

ハリデーはあんなに自分の生涯から試練を作り出して、どれほど自分を理解して欲しいと思っていて、どれほど「天才」としか認識されてこなかったのだろうと思うと、切ない。

森崎ウィンくんはアクションシーンもあるしMr.スミスみたいなスーツに銃っていう衣装もあるし、勝率は悪いけどすごいかっこいいです!突然日本語で「俺はガンダムで行く!」と言い出すのは吹き替えにしてると体験できないので、私は最後のバトルは字幕と吹き替えで二回見ました。このセリフの訳は彼がご自身で考えたとのこと。

つまり、別にガンダムシリーズのパロディではないそうなのだが、私は映画を見ながら「刹那*1みたいだな」と感じていて、あとで色々調べたら同様の意見もあり安心した。迷いを断ち切って戦場に出る主役機のパイロットとしてこれ以上なくかっこよかった。人生で一回は言いたいセリフ、「俺はガンダムで行く!」

 

シャイニング

レディプレイヤー1を観たら次に観るのは『シャイニング』と決まっている。

例えば薄気味悪い音と共に青白いメイクをされた霊がたくさん出てくるとか、血みどろの人間が出てくるとかではない。そういう演出が苦手だという人は安心して欲しい。そういう演出が苦手な人がこの映画を観るのかはさておき。

そのため、恐怖の方向性としては夫ジャックがホテルの狂気に内面の不安定さや重圧、暴力性を刺激されて狂っていくところにある。また、それに対して抵抗しつつも基本は弱気である妻ウェンディの、なんとなくある頼りにならなさにハラハラする映画だなと思った。先住民族を蔑ろにしたところからこのホテルの曰くが始まっている(これは映画独自の設定の様子)ところなどは土地や建物に残る怨嗟が何年経っても新たな怪異を呼び寄せるという仕組みになり、良いと思う。

序盤から不穏を匂わせる家族なので、密室に閉じ込められればこうもなるという納得感もある。

個人的には、ジャック・ニコルソンのお芝居が非常に苦手だった。

 

ポスト・モーテム 遺体写真家トーマス

ハンガリーから来たホラー映画で、なんと今年のアカデミー賞長編映画部門・ハンガリー代表作品である。ホラー作品なのに。

第一次世界大戦臨死体験をし、終結スペイン風邪が流行する中で遺体写真家として生計を立てるトーマスと、冬で土が凍るせいで増え続ける死者を埋葬できない村に住む少女で、生まれた時に死にかけたアナのバディムービーだ。

海外のホラーなので霊の勢いとプレッシャーが本邦と段違いで、とにかくなにか伝えたい霊達は犬やら人やら浮かすし、写真に写りまくり、村人の元にしょっちゅう現れている。薄気味悪いとは思うが、アグレッシブな(霊の)自己表現である以上、例えば頭を洗った後鏡を見るのが怖くなるような、そういう尾を引くような感覚はなかった。

社会そのものが戦争と流行病で人死に慣れていて、それでもなお喪失に耐えるために遺体写真という手段が発展したことと、最終的な映画のメッセージはまた別で、もちろん喪失を癒すために必要な手段であることを否定しているわけではないのだけど、死に慣れすぎることに対しての警鐘みたいなことなのかなと思った。

トーマスがアナを子どもだと言うシーンもあるのだが、それは彼女が必要以上に自分の仕事を手伝わないで済むようにといった感じで、基本的には対等に村で何が起きているのかを探って行くのが好きだった。心霊現象発生時の録音をアナに任せて、自分は現像に向かうところなど年齢差を全く気にしていない様子。トーマスは臨死体験時にアナを見ているのでやや執着するような素振りもあるけれど、基本的にはクールな人なので必要以上な描写はないように思った。

こういう村って排他的で余所者嫌いなイメージだったけど、トーマスはそれなりに歓迎されて協力者も多く、心配もしてもらえるので安心感がある。ロケーションもセットも良い。基本的にずっとスタイリッシュで美しい。シリーズにできる終わり方なのでハンガリー版『心霊探偵八雲』になれる。

 

死霊館

あまりにハイテンションで心霊現象が発生するため、「これがアメリカのホラー……」と気圧される。こういうベタな感じが「こういうので良いんだよ」という印象で、変な言い方だが安心感があるし、スタンダードを学ぶことができると思った。

「魔女がいて、悪魔を崇拝し、彼女らが神とそれに連なる子羊達を冒涜し呪う」みたいな仕組みがあまり理解できない。構造としてはわかっても思考に馴染まないのであまり恐怖感はなく、むしろエドが子ども達の洗礼の有無を気にしたり、神父が洗礼されていないことを理由にバチカンの協力に対して微妙な反応をしたり、「魔女がホラー映画のラスボスとして成り立つ文化」があるということが怖かった。

追記。書くのを忘れていたが警官と助手の事件解決後のやり取りが良かったので二人がバディ組んでちょっとした心霊現象に挑むドラマシリーズ作って欲しい。

*1:機動戦士ガンダム00の主人公。刹那・F・セイエイのこと。彼の名台詞といえば「俺がガンダムだ」である。