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感想『舞台「刀剣乱舞」山姥切国広 単独行 -日本刀史-』

配信で見ました。

舞台『刀剣乱舞』山姥切国広 単独行 -日本刀史-

ここにダイジェスト映像が挿入されます。

とても美しい作品だったと思う。

まず目を引くセットのシンプルな美しさ、メインキャストが山姥切国広ひとりということで生まれる視点のシンプルさ。照明の美しさ。そして山姥切国広の物語としての三日月宗近への向き合い方を繰り返す流れがよかった。

個人的には三日月と山姥切のケミに物語の主軸以上の熱さを感じてはいないのだが、一方で今回の「悲伝で三日月宗近を救えなかった」山姥切がその事実と「三日月がそこにいない」ということをどう受容するのかに主眼が置かれたつくりは美しいものと思う。

山姥切国広は人間ではなく、刀である。三日月宗近もまた、人間ではなく刀である。そのために三日月を喪失したことに対して、山姥切が癒されていく過程が「刀剣」という共通項を追体験していくことになるんだと思うが、これがとても人間くさいと思った。三日月はもうそこにはおらず、そもそも他者について完全に知り得ないことからも作中の言葉を借りれば「想いを馳せる」るしかもうその状況に対して山姥切に出来ることはないが、山姥切という「物」が「離別を受容する」という人間の回復の流れを則るということが(そういう作品とは言え)人間的で良い。またその「想いを馳せた」人々が、初めは刀剣を見出すものであったのが刀剣をどう使うかに移ろいていくのも、山姥切が「思考」と「刀剣」を徐々に一緒に考え始めるストーリーを自然に感じられる。そういう美しさがあると思った。

離別と共にある話なのでフィクションとしてのわかりやすい楽しさよりも、山姥切の切実さを印象として持てるところも個人的には好きだった。

 

刀ステにおいてあらゆる人たちの憧れの対象で、日本で幾度となく展開されてきた織田信長をめぐるメディアミックス(キャラクター化)を、織田信長の可能性として捉えること。舞台という生身の人間が何度も同じストーリーを演じるフォーマットを取る作品ということ。その二つが「三日月の円環」と同列に存在しているという作り方が上手いなと思った。

私は刀ステの熱心なファンでないため、三日月の円環というものが何かもよくわかっていなかったのだけど、どうやら今回出てきた「朧の織田信長」という織田信長メディア展開の煮凝りみたいなぐっちゃりとした存在に相対する形で三日月や本丸が円環に囚われている様子。そこの理解は甘いかもしれないが、「何度もキャラクター化・上演される」という形がその円環について説得力になっているのが良かった。

織田信長はそういう自分を巡る「浪漫」に対して鷹揚で、そういう浪漫から生まれた「諸説」が歴史の面白さであると同時にめんどくささであることがわかっていて、さらにこれまで刀ステで人間が縋って来た諸説がまたそこに絡め取られていくんだなと理解した。

刀ステの「歴史」は誰かが想いを馳せた想像から始まり、仮説を経て事実と実証により多くの人に支持される通説となったものが最も「物語」として強く、浪漫ある諸説はそれには及ばないけども、その浪漫を許容できる者こそが後の世で歴史となる物語を切り開く──という理解です。

 

山姥切が「刀剣」や「刀剣と共にあった人間」に想いを馳せるにあたって、荒牧さんの器用さを思う。その早着替えやキャラクターのバリエーションもそうなんだけど、ちゃんと魅せてくるな、と思った。山姥切が想いを馳せる、荒牧さんがそれを演じるという演劇でしか成立しなさそうな構造で楽しませてくれる。またお芝居自体も本当に良く、器用さだけでなく上手さも印象に残った。本当にすごかった。本当に。

個人的には畠山義就のマッドさや石出帯刀の月代がお気に入りではあるけども、感慨深いのは桐野利秋だなと思う。私は松田荒牧のコンビに未だ想いがあり、中村半次郎は「瞑るおおかみ黒き鴨」で松田凌さんが演じた役だ。そうなると荒牧さんがその役を演じることがより一層エモいものに感じる。

三日月を想うシーンで溢れるものがあったのも、人間味があって良かったです。「煤けた太陽」たる山姥切国広が、悲しみを受容して「陽伝」を目指す。希望がある。

26名いるアンサンブルキャストもそれぞれが交代で脚光を浴びる仕組みなのも良かったと思う。多くの物語の中に多くの登場人物がいて、それが当たり前に思う。中嶋海央さんの信長はやはり魅力的で、皆が理想に思うようなわかりやすい信長像でありパワフルで理知的で格好良かった。

あと、ふくのすけのデザインで面食らって始まり、愛着を持たせたところで退場する作りが鬼畜だった。

 

今回は映像演出もそんなにしつこくなくて見やすかった。過去の人間キャストの顔が見れるのも嬉しかった。

虚伝の本能寺のラストシーンを再現するところが一番泣けたかもしれない。

気になるところとすれば基本的に歴史の要所の、さらにハイライトを追想するつくりだから仕方ないのだけど、とにかく叫ぶ演出になっているのは逆に掴みどころがないとも思う。すごく演劇的な質感であると同時に、緩急を感じ辛くないかと思う。すごく疲れる。またかなり仕方ないとは思うんだけど、歴史に関して説明してることが大変多いために、観る人によっては削がれやしないかとも思う。

 

繰り返すが、三日月の喪失と向き合う話であるが故に単純に楽しい演目ではないが、観て良かったと思う。そういう作品だった。