サニーサイドアップフォーチュン

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『仮面ライダーエグゼイド』完走

完走した。

『仮面ライダーエグゼイド』21話までの感想 - 夜明けの星を待ってる

 

エグゼイドを完走した。

視聴開始から約二週間、あっという間に完走してしまった。とても面白かった。最初「え、仲悪いな……」と思いながら見ていたが、21話くらいの時点で、彼らは仲が悪いというよりは大人として踏み込まぬ領域があったからで、後半戦を見るとそれがよくわかるなと思った。

 

そのため、正直前回と書いてあることに差がない。 

 

  • ・登場人物について
    • ・永夢先生
    • ・飛彩先生
    • ・大我先生とニコちゃん
    • ・貴利矢先生
    • ・ポッピーとパラドとグラファイト
  • ・ストーリー全般
    • ・チーム医療
    • ・エモさ
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『舞台 銀河鉄道999 GALAXY OPERA』感想

入野自由さんご出演の『銀河鉄道999』ちゃんと観てきたので感想を記録する。

 

・「原作者」の物語

みゆくんが「大山トチロー」というキャラクターに留まってないことにびっくりした。

前半、「松本零士」その人の辿ってきた物語をみゆくんが演じていて「えー! マジか!」と純粋に驚いた。前半ラストで迷う鉄郎に、まさかの原作者が一肌脱ぐのがちょっと面白かったが、「大山トチロー」という役が主人公である鉄郎を導き目標になる性質上、原作者が介入するにはもってこいだったのかなと思う。

ストーリーの展開的に「原作者」が必要だったのかとかそういうことは置いておいて、みゆくんという役者が明らかに特別である「原作者」を任されているということに感動した。

結局のところ、主役でないだけでこの物語の主人公だった。なぜなら原作・松本零士その人だから。変わらぬ永遠を求める鉄郎と、刹那こそ永遠の輝きと考えるトチローは、反発することなくトチローに引きずられる形で重なり合うわけで、それは松本零士の思う「生」というものへの答えに鉄郎が近づくというごくごく当たり前の物語的展開によるものなんだなと思った。

 

入野自由さんの歌がめちゃくちゃに上手くて涙出た

入野自由さんの歌がめちゃくちゃに上手くて涙出た。なんども言ってすまねえ、入野自由さんの歌がめちゃくちゃに上手くて涙出た

鉄郎とトチローのデュオなんかまったくもって負けてないし、なんならワンフレーズだけ歌ってたところも最高だったし、もっとソロくれ! もっとソロくれ!!

ていうかこの「歌上手いですね」というゴミカス今更感想に重ねてゴミカスの感想を述べると、めちゃくちゃに芝居上手くない? 夢を追うために上京して、期待に胸を膨らませる姿も、焦燥感に追われる姿も最高だった。

何より幕が開けて最初にみゆくんの声がした時、本当に息を飲んだ。幕が上がって最初に聴いた声が一番聴きたかった声なのは感動する。

中川さんとのデュエットの時、みゆくんは殺陣をするんだけれど、それが日本刀で「コレ見るために今日来たようなもんだな」と思った。納刀で拍手したくなった。

正直私がこうやってみゆくんのことしか観てないも同然の周囲では、宝塚のお姉様方が贔屓をめちゃくちゃに褒めていて、「どんなオタクも推しを前にしたら視野が狭いな」と思った。

 

・高橋里央くんを探す時間

登場人物が一堂に会する時間がほぼない。しかも、旅をするために一惑星一話完結という感じで進むが故に、みゆくんもそめさまも出番まで全然出てこない。

そういう時は、里央くんを見ていた。

 

機械伯爵(からのストーリー全般)

出番少なくね? マジ? そめさまのオタク怒っていいと思うけど、とりあえず顔がちゃんと出てて良かった。

機械化されてもはや人間でないが故に生気が薄く、それでいて悩みや葛藤を理解しやすい形で提示する人間らしいキャラクターなんだなと思った。

この舞台は「40周年記念」であり、銀河鉄道999に原作者がジョインしてくるという、なんというか「記念」感の強い作品である。だからファンは楽しめるだろうと思うし、前提が分かっている人、語られないものについて知識のある人は楽しいのかなと思う。何にも知らない、世代でもない、予習もしなかった人は、残された謎とかを気にしなければいい。皆さま歌がめっちゃ上手い、歌が上手いことは正義だと思う。歌が上手いけどその歌がなんかクセになるとかそういうのもないのと、演出がなんというか、伝統的な感じだったなと思う。

一個思ったのは、普段観る若手俳優舞台は、みんな動けて、素早くて、殺陣し慣れてるんだなってことだ。

別に、この作品はそこを見せ場としては考えてないから良いのかもしれないけれどもね。

 

とまあそんな感じで、半額出すからみゆくんのところだけ抜粋した円盤作って欲しい。

 

https://www.instagram.com/p/BkpPAq7hOEy/

#観劇 #銀河鉄道999 #銀河鉄道999GALAXYOPERA

 

『仮面ライダーエグゼイド』21話までの感想

14話まではオーズと並行してたんだけれども、ごっちゃになって来そうだったのでエグゼイドを中心に見た結果の印象の話をメモしたい。

ビルドについて書いた事ないのに書くんかいという感じだが、ビルドは冷静に見れないのでゴミみたいな語彙になってしまい読めたものではない。そのうちちゃんと書く。

エグゼイドに関する知識は平成ジェネレーションズFINALとそれに付随する形で読んだえむせんせーとパラドのwikiくらいです。

 

  • ・登場人物について
    • ・永夢先生
    • ・飛彩先生
    • ・大我先生
    • ・貴利矢先生
    • ・ポッピーピポパポ
    • ・パラド
  • ・ストーリーについて
    • ・関係性について
    • ・展開について
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『イノセントデイズ』MV感想

 

若者の夢を描くときに、熱く描くか静かに描くかのパターンがあると思うが、これは静かなパターン。バラードなのだから当たり前なのだけど。

5人それぞれに設定を付けてあって、それが「Sexy Zone」の5人にも通ずる設定であるというところですでに監督に乾杯という感じはある。

 

大抵のグループや大抵のコンビや大抵の作品に執着するような人間は、その中だけで完結する小さい人間関係に夢見ている節があると思う。

少なくとも私はそうで、5人が、5人の世界で健やかであることこそが大切である。きっと他の、どんなグループの(あるいは座組の)ファンも同じだと思う。

5人が美しい家で5人だけで暮らし、淡く美しい色の服を着て、5人だけの夢によって5人だけで構成された世界を揺らすという、その閉じられた関係性がまさにそれ、おたくの見る夢であった。

役としてフェイクが混ざっているとはいえ、彼らの演じる役は彼らにどこまでも近くて、重なって見える。であるからこそ、あの美しい家が「Sexy Zone」というグループをシンボリックに示しているように思えて、あの家が5人だけの小さな世界に見えた。

他の人間が一切登場しないところもまたいい。「塾講師」「妹」という外と関わる設定はあれども、セリフにすら一度も出てこない。見せたいのは5人、というのがはっきりしてる。

 

Sexy Zoneって、ふまけんが出会ったことを当人たちが運命だと思ってることもさることながら、それを弟組3人が良しとした上で、5人出会ったことを限りなく運命に近しいものとして捉えてるところがあるようで。

おたくはすぐに運命を感じ、信じたくなる生き物だから、それが許されるというだけで居心地が良い。

本当に、定められた出会いであればと無邪気に願ってしまう。

 

「小さな世界」と「運命」の、永遠であってほしい2つが、変化していくのが青春であるという風に考えるのであれば、これはまさに青春を切り取ったMVであったし、けれどその中でもなお、世界も運命も変質してはいかないという点で理想だったと思う。

夢に向かって変化して行くことと、関係性が変質することは違うというような。(メイキング見たらふーまくんも言ってたけれど)

家という箱がなくても5人の世界は確かにあって、それは関係性という結線によるものなんだなと感じるのだ。

 

メイキング見ていて、青春のX軸が「永遠」と「変質」なら、Y軸は「甘い」と「苦い」なのかなとか(そうちゃんが監督に言われた、と話してた内容とか)思った。

楽しいことばかりではなかったということはみんな知っていて、それでも5人でと言う役割をそうちゃんやマリちゃんが担うことが、「いま5人である」という象徴しているみたいだ。

 

いま、5人であること。これかも5人でやっていくんだということ。「次」を、「また」を、言葉の中で少しずつ見せてくれること。色々なものが形を保てなくなる世の中で、こんなに嬉しいことはないと思うし、こんなに信じたいと思う言葉もないと思う。

永遠などない。そんなことはわかっている。

けれど出来れば、信じさせてほしいと思う。

 

──と、日々に疲れたおばあちゃんはMV見ながら思いました。

 

舞台行ってなさすぎてまさかのMVの感想。

メサイア月詠乃刻感想

言っておきますが、めちゃくちゃに気持ち悪い感想?妄想?です。なぜなら白崎が卒業した今、万夜様(と小太郎)を推しているからです。(ここは観た後に書いています)

 

〜これまでのメサイアと私〜

メサイアだ。

いやーメサイア来たよ。来れて良かったよ。ショーマストゴーオン、13ヶ月目のユートピア目指して。

白崎が卒業してしまったいま、悠久のDVDを観ていて、私はいつきのこと好きだったんだなぁと思った。間宮がいなくなって、いつきが来て、いつきが間宮のあとをなぞって。それで、いつきのことが私は好きだった。

なので、卒業したはずのいつきがまたいるのもなんか、嬉しいなと思ってる。「その男の名は…加々美いつき」だけで興奮してiPhoneを投げそうになった。

このツイート、正直ちょっと泣いた。少ない言葉が、サクラのいつきらしく思えてしまって。

万夜様と柚木が、小暮と雛森が、早々に己の過去と向き合うことになるらしい本作。あの強烈とも言える暁を、美しい悠久を見た4人ならきっと良い救世主たる関係を演じ切ってくれるのではないかと思っている。欠けることなく。

そう、欠けたることなく。

つくよみというそれが、黄泉の坂を駆け上がって、黄泉を見たその眼球から生まれたのなら。坂の下を二度と見ないような生き方をしてくれたら良いと思う。夜を照らす月の如し、だ。

アスファルトに立つ僕と月の間には何もないって知った

『ナイトフィッシングイズグッド』サカナクション

ここまでは観る前に書いた前置き。というわけで、以下は見てきた後に書いた感想である。例のごとく、ネタバレに関してはモリモリして行くスタイルである。

 

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『極上文學』の感想的なもの

誰でも一冊は本を書ける、人生という名の本を!

もっと読ませてくれよ、つまんなかったら破り捨てる! 傲慢にっ

    月永レオ 『あんさんぶるスターズ!』より

大元のストーリーは『風の又三郎』にのっとり、具現師の方達はみな子どもとして客席を駆けていた。競争に客を巻き込んだり、ふざけてみたり。「あーー」という発生の練習をして、それでふざけているものだからわからなかったが、始まってみればそれが風の音だった。

 

語るための「私」という役があった春琴抄と似た、「語り師」が物語を読む。『風の又三郎』を軸として、入れ子の物語として『よだかの星』が描かれていた。

一郎や、嘉助や、三郎が、先生がみなに読むように言った「よだかの星」が馴染んでいく三郎と馴染めずに星になったよだかの対比なのかなとか。

人は、異なるものを受け入れることがとても難しい生き物だ。だからこそ、わずかに心が触れたとしても、ちょっとしたことで離れてしまうんだなとか。

 

宮沢賢治という人の持つ物語性が、色濃く反映された作品だったのだろうと思う。極上文學では本それ自体が魂であり人であるから、また逆も然りというか、人もまた物語で魂であると感じるというか。

例えばあの司書(?)さんがあの服から、あの言葉から推察できる「誰」で合っているのかとか。語り師が出会ったあの青年が「嘉助」なのかとか。物語を読んで語っているはずの語り師もまた物語の登場人物でしかないということを表しているように感じる。

 

たとえば、全ての言葉がどこからきたのかは、その人の教養やキャストの話をちゃんと読んでいれば分かることで、平等に与えられた解釈の機会だ。

いくつもの物語を重複したことで、こうやって客に考えさせる余白が増えたのかもしれない。章扉が増えて行くように。

 

如何様にも解釈できるということは、どの解釈でも正解でないということで、それはまた「違うこと」の「さびしさ」であるように感じた。

 

ヒーリングCDみたいな作品で、なんも考えずに見つめてるだけで良いというか、変に気を張る必要もない静かな舞台だった。

朗々と声が合わさって響いて行くのが何かに似ていると思って調べたら、諷経というらしかった。今までの極上文學でそれに似ていると思ったのは初めてだから、宮澤賢治のおかげかなと思う。

 

 

ありがとうキュウレンジャー

今更すぎてもうどうしようもねえなって感じなのだが、やっとこさ宇宙戦隊キュウレンジャーを最後まで完走した。最後二話、涙無くして観れなかった。というわけで、ここではラスト二話に焦点を絞って「チキュウを救ってくれてありがとう、キュウレンジャー」の気持ちで感想を述べる。ウッ……キュウレンジャー終わらないで……。

 

・何も考えてないようで考えてるラッキー

ラッキーは大抵のことを「よっしゃラッキー!」で片付けてきた。そして大抵のことが彼の運にかかればお茶の子さいさいだった。でも人心ばかりはそうはいかず、彼は今までも多くの人の心を、その「自分の運を信じる」という彼の熱い心から出る言葉で動かしてきた。だから最後も彼は自分の言葉で、判断をそれぞれに委ねる。他のメンバーに最後の戦いを強制したりしないし、ちゃんと考える時間を用意する。そこがラッキーの育ちの良さというか、リーダーらしさだなと思う。

 

・決戦前夜

それぞれの決戦前夜のシーンの良さ、語っておきたい。

まず物語の中で最初にラッキーの言葉によって救われたガルや、反目しあったハミィが「そんなこと聞くなんて!」と言ってることがいい。リーダーというのはある種の孤独がつきまとうもので、実際前夜のラッキーだって一人でみんなの決断を待ってた。けど「そんなこと聞くなんて!」と怒ってくれる人がいるというのは、ラッキーが一人になることはないと示してくれてることに他ならないと私は思う。

BN団〜〜!!! この二人は最初から最後まで二人の世界だった。もちろん他のメンバーとちゃんと絆はあるけど、それでも最後にずっと一緒だと確かめ合うのは他のメンバー全員とではなく、バランスとナーガお互いなのだ。それはナーガが得た感情の、その「恐怖」のままに遁走しても、バランスが利己主義のために逃げたとしても、それでもお互いのためにお互いがあるという全てを受け入れた依存のもとに成り立つ関係なのだ。二人の関係には名前はないけど、それでもずっと近くで続いて行くのだと無邪気に信じられるのがこの二人の良いところだった。

定期的に交流して欲しさがある。

キュウレンジャーが生んだディズニープリンセスこと、スティンガー。兄を追って始まった孤独な彼の旅路の終わりを前にして、彼を相棒と呼ぶ人と慕う人が彼の近くにいることに泣けた。単純に、もう一人ではないということがどれだけ彼を救うのだろうと思う。

小太郎はこれから大人になる。スティンガーはそれを見つめて過ごし己に兄を、小太郎に己を重ねて行くのだろうと思う。それは兄の想い出を反芻することに他ならず、そうすることでスティンガーは兄をこれ以上失わずに済む。チャンプはその痛みを、アントン博士を失ったチャンプはその痛みを知っているからこそ共有し、寄り添うことができる。孤独を感じた時に歌って誤魔化してきたスティンガーの歌は、チャンプや小太郎と共にメロディーを重ねることで初めて、絆を感じるためのツールになったのだ。

スパーダとラプターは何なの? え、何なの?

割とずっとそういう感じで描かれてた二人だったが、もうバッチリそういうフラグ立ってる感じ。これだけは言える、めっちゃ好き。スパーダは紳士で、フェミニストだ。ラプターはアンドロイドってこと以外は普通の女の子で、もうなんていうか、成就を願わずに居られない。

 

・最終決戦

みんなが次々と倒れて行くさま、あまりに辛い。ズタボロになりながら敵陣に突っ込んで行く。ここでスパーダとラプターがハリウッドさながらの愛の叫びを繰り広げ、私は感動した。いやまあ告ったとかそういうんじゃないんですけど、なんていうの、「私があなたを守る!」「僕だって君を守る!」みたいなそういうやつ……。ラプターって最初守られてばかりで、だからこそ戦う事を夢見てて、スパーダは取り返しのつかないことになるくらいなら夢を諦める方がいいって考えてて、すれ違ったこともあった。けどその二人がお互いのために背を預けて戦うことの尊さ、守る守られるの一方的な関係じゃなく共に並び立つ関係になったということが、素晴らしいと思うんだよね。この二人は、有り体に言えば恋愛感情のことだけど、そういう発展の仕方をこれからするかもしれないと匂わせられているから、そういう感情の複雑な交換は、対等であるからこそできるという事を示してると思う。

今までずっとナーガのことを元気付けてきたバランスは、機械生命であるが故にナーガより先に機能低下するところが悲しい。一年かけてたくさんの感情を得たナーガが、バランスの背中を感じながら「君と出会えてよかった」とポロポロ泣くシーン、大号泣でした。

スティンガーとチャンプと小太郎は、その点戦士らしいなと思った。戦うことそのものに主眼を置いている三人だから、敵の攻撃にも突っ込んで行くのがあまりにもかっこいい。

 

・ひとりひとりがスーパースター、全員揃ってオールスター

ドン・アルマゲの中にプラネジウム*1として吸収されていたショウ司令と、体を乗っ取られていたツルギを含めて、ドン・アルマゲを食い破って外に飛び出してくるみんなを見て、私の中の幼女が「信じてたよ〜〜」と泣いた。

ラッキーは言う、「ひとりひとりがスーパースター、全員揃ってオールスター」だと。

めっちゃくちゃに泣いた。

なんて単純な、なんてシンプルなメッセージだろう。一年かけて、ずっとキュウレンジャーが投げかけたのはこのメッセージだったのだ。

生まれも、育ちも、境遇も何もかも違う12人が、全員それぞれがスーパースターであるとラッキーは言ってくれる。みんな違ってみんな良い。

キュウレンジャーは熱い男の継承の話でもあったなと思う。最初の救世主であるツルギ*2から、ラッキーはリーダーとは何かをたくさん学んだはずだ。けれど、ある種ヒロイックな自己犠牲的発想をしがちなツルギを超えて行けるのが、ラッキーという男だった。ラッキーはなんてったって父であるアスラン王から託されてるからね。愛されている、自分の命が望まれているという感覚を持つラッキーは、自己犠牲を良しとしない。

まあ一歩間違えば自己犠牲になりかねない作戦でドン・アルマゲに挑んでたわけだが、それはキュータマやみんなの力を信じてたからこその判断ということで。勝算は自分を信じるというところにあったわけだ。

 

・VS鬱

ドン・アルマゲの正体が「運のない連中の思い」であることが判明し、ドン・アルマゲの短絡的かつ刹那的思考が生命体的でないが故に生まれたものだなと思って切なくなる。負の感情がドン・アルマゲとして排出され、ドン・アルマゲとして蓄積されてきたわけで、ハナっからキュウレンジャーは実体のない鬱と戦ってたわけだ。

否定的な感情の塊であるドン・アルマゲに、肯定感の塊であるキュウレンジャー、ひいてはラッキーが負けるわけがなく、ドン・アルマゲの中にプラネジウムとして吸い取られた多くの生命がキュウレンジャーへの応援という形で一つになり、強大な鬱を滅する。

ラッキーの運を引き寄せるポジティブさは、自分を信じるという単純なところに端を発している。努力は必ず報われるとか、そういうこと以前に自分を信じて、とずっと伝えていたのだ。ひとりひとりがスーパースター、みんなそれぞれ違うけど、それぞれが自分を信じて、と。その圧倒的肯定感が、全ての負の感情たるドン・アルマゲを打ち破るのだ。

流星に乗って落ちてくるラッキーの一話のリフレインに一年前を思い出し胸を熱くした。

 

・エピローグ

スティンガーが戦い続けるとして選んだ道がリベリオンの司令なの、ほんとあの孤独に戦ってたスティンガーが成長したなという感じ。ショウ司令によって拾われた彼もまた、キュウレンジャーの中の熱い男の、継承の物語の主人公だった。小太郎もまた、その近くで成長して、スティンガーからたくさんのものを継承するんだろうと思う。

スパーダとラプターめっちゃくちゃに可愛くない? なんなんだよモジモジしてんなよ可愛いなあもう。この二人はまたこれから始まる物語があって、それはそれでとっても見たい。あとツルギはほんとカレー好きだね。

一人っきりでじいやの元から飛び出して宇宙を旅してたはずのラッキーが、今度はガルと一緒に宇宙を旅してて、一話とおんなじようにスクーターで落ちてくる。やっと宇宙が平和になったのだ。平和になったからこそ、キュウレンジャーそれぞれの、戦いではない物語が始まる。だからこその一話と同じ落下で、けれど一話と違って12人の仲間なのだろうと思う。

 

中だるんだ時もあった。見ずに溜めまくった時もあった。平たく言って、色々あった。でも、初めてちゃんと見た特撮作品が「宇宙戦隊キュウレンジャー」で本当に良かったと思う。

一年間、本当にありがとう。

お疲れ様でした。

 

LUCKYSTAR

LUCKYSTAR

 

*1:星に眠るエネルギー

*2:初代宇宙連邦大統領であり、かつてドン・アルマゲを倒した。実際にはドン・アルマゲはクエルボに取り付いていたので生き残っていたのだけど。